フランス企画のベルギー製アメリカ車?

米欧プロジェクトといえばダイムラーとクライスラーが結局シナジー効果を上げられなかったことが記憶に新しいが、歴史をひもといてみても、大西洋をまたいだ作業はけっしてけっして簡単ではなかったようだ。
1970年代中盤、フォルクスワーゲンは初代「ゴルフ」を米国ペンシルバニア工場で「ラビット」の名のもと生産したことがあった。ラビットはゴルフに比べてアメリカ人向けに、サスペンションをソフトにするなどのモディファイが施されていたが、逆にドイツ的品質とムードを重視していた「ビートル」以来の顧客からそっぽを向かれてしまった。2011年1月に発表された北米生産型「パサート」にも、そうした過去に学んだ教訓がどこかに生かされているに違いない。

いっぽうここに紹介するのは、そうした大西洋横断プロジェクトにおける、今や忘れられた1台だ。名前を「ルノー・ランブラー クラシック」という。1960年、ルノーは自社製の高級車「フレガート」を生産終了した。その後継モデルとして、提携先のアメリカン・モータース(AMC)の「ランブラー・クラシック」を1962年からベルギー工場でノックダウン生産したものである。
ルノーによると、内外ともに大幅にアップグレードしたものの、良好なセールスには結びつかなかったという。結局1967年に生産に見切りをつけ、よりヨーロッパ人のテイストに合う「ルノーR16TS」にバトンタッチさせた。

参考までにルノーとAMCの苦心はその後も続いた。
ルノーはAMCとの協力で、1970年代中盤に初代「R5」を北米市場に投入したが、フランス的合理精神は米国のユーザーにとってプアーなだけに映ってしまった。やがてAMCが経営不振に陥ったため、1979年にルノーはAMCの筆頭株主となったが、それもさしたる成果は上げられず、結局AMCはクライスラーの手に渡ることになる。

AMCがクライスラー傘下となったあと、ルノー時代の忘れ形見として1988年に登場した「イーグル・プレミア」も大成功とはいえなかった。「ルノーR25」の車台にジウジアーロデザインのボディを組み合わせたそれは、後年の米国車の欧州車風スタイル化に先駆けるものだったが、イーグルのブランドとしての定着に貢献したのは、三菱製OEMモデルのほうが大きかった。

とかく日本では“欧米”とひと口にいうが、かくも昔から大西洋双方のカスタマーを1台のクルマで満足させるのはかなり難しいのがわかる。

2010年のルノー系イベントで筆者が遭遇した2代目「ルノー・ランブラー クラシック」。
2010年のルノー系イベントで筆者が遭遇した2代目「ルノー・ランブラー クラシック」。 拡大
リアには“Rambler Classic”、サイドには“Renault”のバッジが。
リアには“Rambler Classic”、サイドには“Renault”のバッジが。 拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。1996年からシエナ在住。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとして語学テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。19年にわたるNHK『ラジオ深夜便』リポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストなど、ラジオでも怪気炎をあげている。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など著書・訳書多数。YouTube『大矢アキオのイタリアチャンネル』ではイタリアならではの面白ご当地産品を紹介中。

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