今年で生誕100周年! オリジナルの「マイバッハ」とはどんなブランドだったのか?
2021.07.07 デイリーコラム据わりがいい“メルセデス・マイバッハ”
2021年、ダイムラーは新しい「メルセデス・マイバッハSクラス」を発表した。2002年にダイムラーが「Sクラス」の上位に位置する超ド級リムジンのモデル名として、マイバッハの名を復活させたときから数えて、今回のモデルは3世代目となる。それはマイバッハ100周年を記念して放たれたという。
2002年の復活時は単にマイバッハと名乗っていたのに対し、2015年の2世代目と今回の3世代目は事実上Sクラスのトップモデルとしての位置づけであり、メルセデス・マイバッハの名が冠されている。ラジエーターグリルの頂点に“スリーポインテッドスター”が鎮座することに変わりはないが、グリル内のロゴマークが見慣れたメルセデス・ベンツのそれでなく、“MAYBACH”のロゴとなっていることが新しい。こうした意匠の変更は、マイバッハの存在を強調しているかのようにみえる。
マイバッハというクルマ、そしてマイバッハ父子の足跡を考えると、新型も冠するメルセデス・マイバッハとは、実に“据わりがいいネーミング”であると思えてくる。
この稿では、マイバッハの生い立ちに触れながら、そのブランド名の価値について述べてみることにした。
ベンチュリー式キャブレターを発明
現代につながるガソリンエンジン搭載車の誕生は、19世紀後半の1885~1886年にある。それらは、ゴットリープ・ダイムラーが完成させた二輪車(ニーデルラート)とカール・ベンツが発明した三輪車(パテント・モトールヴァーゲン)であることは、よく知られている。だが、もうひとりの重要人物、ウィルヘルム・マイバッハの功績が大きかった。
ダイムラーより12歳若いエンジン専門家のマイバッハは、ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト(DMG)が設立されたとき以来のパートナーであった(以前の職場で知り合っている)。
マイバッハは、アウグスト・オットーが発明した4サイクルガソリン機関を小型高速化する開発に従事し、1892年にはエンジンに安定した混合気を供給できるベンチュリー式キャブレター(別名:マイバッハ・キャブレター)を発明するという、自動車の誕生に貢献した技術者であった。
1901年、ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフトは、初めてモデル名に“メルセデス”の名を冠した市販車の「35HP」を発表したが、同車は病床にあったゴットリープに代わって、マイバッハと、ゴットリープの長男パウル(1869~1945年)が完成させたモデルであった。
こうした経緯から、いささか飛躍した私見ではあるが、伏していたゴットリープに代わってマイバッハが設計を指揮した35HPは、ダイムラー・マイバッハと呼ぶにふさわしいモデルといえるだろう。実に“据わりがいい”と、私が冒頭に記した理由である。
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ドイツで唯一のV12エンジンを開発
ゴットリープ・ダイムラーは、メルセデス35HPの完成を待たずして1900年3月に他界し、パウルがダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフトの新たなリーダーの座に就いた。ゴットリープとともにダイムラー社を築き、同社の技術面を担っていたマイバッハは、1907年4月1日に61歳で同社を去った。
だが、ウィルヘルムは引退したわけではなかった。1909年、彼は、フェルディナント・グラフ・フォン・ツェッペリンとともに、飛行船用エンジンをつくる会社、マイバッハ・モトーレンバウを興し、産業界に戻ってきたツェッペリンは硬式飛行船の開発者であり、それに搭載するエンジンを必要としていたのである。
会社のかじ取りを担ったのは、ウィルヘルムの長男であり、自身も技術者のカールで、ウィルヘルムは開発に没頭した。マイバッハ製のエンジンを搭載したツェッペリン飛行船は、民間機としてはもちろん、第1次大戦では軍用機として活躍した。
第1次大戦でドイツが敗れると、ヴェルサイユ条約によって、ドイツでの飛行船と飛行機の生産が禁止されたことから、マイバッハは、自動車エンジンの製造・販売を経て、自ら自動車生産に乗り出した。
マイバッハの名を冠した初の生産車は、1921年のベルリンモーターショーで公開された「W3」であった。それは高い品質を備えた進歩的な高級車として設計され、6気筒の5.7リッターエンジンに、ペダルで操作するという進歩的な2段ギアボックスを備えていた。
1920年代後半には、マイバッハはドイツの最高級車市場でメルセデス・ベンツの直接のライバルに成長し、1929年には、その頂点というべく、7リッターV12エンジンを持つ「W8」こと「マイバッハ12ツェッペリン」を放った。これには、マイバッハの飛行船用エンジンのノウハウが惜しみなく投じられており、アルミ製ピストンほか各部にアルミを用いた軽量化が施されるという進歩的な設計であった。
この時期、ドイツでのV12エンジン搭載車はマイバッハ12だけであり、1931年に高級車メーカーとして知られるホルヒがV12モデルを投入するまでは、唯一無二の存在であった。ダイムラー・ベンツはV12エンジンモデルを試作しただけにとどまり、V12エンジンの生産型が登場したのは1991年のW140型Sクラスであった(エンジン型式M120)。
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消滅、そして復活
第2次大戦後のマイバッハ社は、船舶や鉄道車両用の大型ディーゼルエンジンの生産に集中し、乗用車生産から離れた。すなわち、同社の自動車生産は1921~1940年までの約20年間にすぎず、総数は1700台程度といわれている。
マイバッハ父子は根が“エンジン屋”であり、第2次大戦後に多くのメーカーが台頭した自動車業界のなかでは、マイバッハが高級車メーカーとして生き残るのは難しいと考え、原点であるエンジン専業メーカーに戻っていったのではなかろうか。
1960年には、ダイムラー・ベンツが同社の筆頭株主になり、1966年にはダイムラー・ベンツの大型エンジン製造部門と合併し、マイバッハ・メルセデス・ベンツ・モトーレンバウGmbHとなった。その後、1969年にモトーレン・ウント・トュルビーネン・ウニオン・フリードリッヒスハーフェンGmbHと改名され、社名からマイバッハの名は消滅した。
冒頭に記したように、21世紀が幕を開けて間もない2002年に、ダイムラー・クライスラー(当時)は、メルセデス・ベンツSクラスの上位に位置するモデルとして、マイバッハの名を復活させた。
こうしたマイバッハの歩みをたどると、マイバッハは、初期にはゴットリープ・ダイムラーのパートナーとして会社の礎を創り(恩人というべきか)、1926年にダイムラー・ベンツが設立されてからは、そのよきライバル車としてしのぎを削るという、“長い付き合い”であった。ここから、ダイムラーが新しく高級車ラインナップを創設するにあたって、マイバッハの名は最適だったことがわかってくる。さらに、1996年にはダイムラーの推薦によって、デトロイトの自動車殿堂(The Automotive Hall of Fame)入りを果たしている。その理由は、「独自の設計によるすべて新しいコンポーネントを備えた自動車を考案および製造した」であった。
(文=伊東和彦<Mobi-curators Labo.>/写真=ダイムラーアーカイブス/編集=藤沢 勝)
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伊東 和彦
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