「N誕生50周年記念イベント2DAYS」の会場から
2017.12.05 画像・写真2017年12月2日、3日の2日間にわたり、「N誕生50周年記念イベント2DAYS」が開催された。会場は、2日が東京都港区の本田技研工業本社ビル内にあるHondaウエルカムプラザ青山、3日が埼玉県狭山市にある同社の狭山工場(埼玉製作所 狭山完成車工場)である。これは1967年に発売されたホンダ初の軽乗用車である「N360」の誕生50周年を祝したもので、主催は1983年に設立されたNシリーズのワンメイククラブであるホンダN360エンジョイクラブ(HNEC)。2日は誰でも入場可能なオープンイベントで、本社ビル前にHNECメンバーの所有するN360を20台展示し、ウエルカムプラザ青山内ではゲストによるトークショーが実施された。3日はNシリーズのオーナーによる里帰りイベントで、計63台のNシリーズが集合。車両展示およびランチパーティー、そしてここでもトークショーが行われた。2つの会場で開かれたイベントの様子を、写真で紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)
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1/3312月2日、青山のホンダ本社ビル前に、オーナー所有の「N360」20台が展示された。
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2/33本社ビル1Fにあるショールーム、ウエルカムプラザ青山のショーウィンドウにも「N360 誕生50周年」の文字が。
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3/33展示された一台の、1967年3月から1969年1月まで販売された通称NⅠ(エヌワン)のボディーサイドには、発売間もない時期に発行されたカタログや雑誌広告に使われた写真が実物大に拡大され、貼り付けられていた。
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4/33ウエルカムプラザ青山内に展示されていた、ホンダコレクションホール所蔵の初期型「N360」(NI、厳密にはマニアの間でN0<エヌゼロ>と呼ばれる、シリアルナンバー1万前後までの最初期モデル)。当時の軽の平均より5割以上も強力な最高出力31psという高性能、軽の常識を破った高いスペースユーティリティー、そして既存の軽より数万円安い31万3000円(狭山工場渡し)という驚異的な低価格を武器に、1967年3月に発売された。
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5/33午前中に行われた最初のトークショーのゲストは、父上に買わせた「N360」が最初の愛車だったというモータージャーナリストの吉田 匠氏(中央)。進行役は自動車関連書籍を多数出版している三樹書房代表で、自身もかつてN360を所有していたという小林謙一氏(右)、聞き手はイベントを主催したホンダN360エンジョイクラブの事務局を務める菊島幸一氏(左)。市販開始前にテスト走行するN360の覆面車両を、大学浪人時代に軽井沢で目撃したという吉田氏の思い出話を皮切りに、楽しい話題が次々と飛び出した。
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6/33菊島氏が長年愛用している「N360S」(ボディー同色の専用フェンダーミラーや専用ホイールにフォグランプ、室内にはタコメーターや3本スポークのステアリングホイールなどを備え、スポーティーに装った1968年2月発売の「Sタイプ」)に、箱根で試乗する吉田氏。2012年に「ホンダN-ONE」がデビューした際に、『CAR GRAPHIC』誌の企画で新旧Nのインプレッションを行った際のショット。
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7/33午後のトークショーでまず登壇したのは、アメリカから来日したゲストであるティム・ミングス氏(中央)。彼はボロボロの状態で発掘された“シリアル・ワン”(シリアルナンバー1番)こと北米輸出第1号である「N600」を完璧にレストアし、米国ホンダに寄贈した。ほかにもN600や「Z600」など多数のクラシックホンダをレストアしている、N愛好家の間では高名なエキスパートである。左は通訳を務めた青戸 務氏。この後にゲストスピーカーとして登壇した。
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8/33次いで行われたこの日最後のトークショーのゲストは、「N360」のデザインを担当したホンダOB。宮智英之助氏(中央)は1960年にホンダに入社し、N360ではエクステリアデザインを担当。青戸 務氏(左)は1966年に入社し、やはりN360のエクステリアデザインに関わった。N360のデザイン実務に関する話から、当時のホンダのデザイン環境、そして本田宗一郎氏の人となりに至るまで、貴重で興味深いエピソードをたっぷり披露してくれた。
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9/33宮智・青戸両氏は資料を豊富に用意して、「N360」のデザインにまつわる裏話を聞かせてくれた。これはフロントグリルについて話しているところ。当初の案では本田宗一郎氏の好みで独立したグリルを持っていたが、当時の軽規格で1.3mしかない車幅を広く、安定感があるように見せたいという宮智氏の提案が、すったもんだの末に通ったという。ちなみに宗一郎氏が推していた当初の案は、1970年の「NIII」へのマイナーチェンジで採用された。
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10/33本社ビル前にて、ゲストとスタッフを務めたHCECのメンバー。今年に入ってから、メンバーはこのバナーを掲げて、各地でイベントを重ねてきた。
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11/3312月3日には、Nシリーズ誕生の地であるホンダ狭山工場(埼玉製作所 狭山完成車工場)での里帰りイベントを実施。計63台が集まった。
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12/33「N360」シリーズ(NI~NIIIの乗用車)は、輸出仕様の「N600」を含め39台が参加した。
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13/33通称NIこと初期型「N360」の、ボディー塗装もオリジナルという未再生車。エクステリアは後付けされたフォグランプと、ホイールキャップが外されていることを除けばオリジナル。1990年に走行1万3000km台で某所に保管されていた個体を現オーナーが入手、それから約7000kmしか走っていないという。ちなみにナンバーは購入年度を示しているが、希望番号制実施前だった登録時に、予期せず“大当たり”したものだそうだ。
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14/33室内もステアリングホイールが「N360S」用に交換されていることを除きオリジナル。ドア内張には新車時のビニールが張られたままである。4段MTのシフトレバーは、「シトロエン2CV」や「ルノー4」のようにダッシュから突き出ている。
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15/33当初はレッドとアイボリーの2色で始まった「N360」(NI)に、途中から加えられた“アドリアブルー”というカラーネームのシックなブルー。前日のトークショーに登壇したデザイナーの青戸氏は「誰もアドリア海なんて見たことないのに(笑)」と語っていたが、シートを含む内装色はアイボリーで、組み合わせがとてもシャレている。この個体はSタイプ用のフェンダーミラーを除き、オリジナルの姿を保っている。
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16/33非常に珍しい「N360M AT」。1967年3月にモノグレードで登場したN360に、同年12月に加わった最初のバリエーションが「Mタイプ」。フロアカーペット、ラジオ、フルリクライニングシート、分割可倒式リアシートなどを備えたデラックス仕様だった。加えて「AT」(ホンダマチック)は、1968年4月に加わった3段AT仕様である。
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17/33「N360M AT」のシフトセレクターは、MT仕様とは異なりステアリングコラムから生えている。ホンダマチックというと、初代「シビック」などに使われていたスターレンジ付きの2段式が有名だが、ホンダ初のATだったこれは3段式。しかも1、2、3速へのマニュアルセレクトも可能なフルオートマチックという高級な仕様だった。ちなみに当時、このほかに存在した国産の3段AT(3段が最多段だった)は、トヨタの「クラウン」の高級グレードと「センチュリー」用のトヨグライドのみだった。赤いシートやドア内張もオリジナルである。
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18/331969年1月に初の公式なマイナーチェンジを受けた通称NII(エヌツー)の「N360ツーリングS」。前年8月に追加された高性能なツインキャブエンジン搭載のT(ツーリング)シリーズには、こうしたブラックマスクが与えられるようになった。中でも専用ミラーやフォグランプなどを備えた、この「ツーリングS」の人気は高かった。バンパーのオーバーライダーはオプションである。
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19/33「N360デラックス サンルーフ」。これはNIIだが、NI時代の1968年8月から加わったキャンバス製のスライディングルーフ仕様。手動式で、任意の位置で固定可能。
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20/331970年1月に2度目のマイナーチェンジを受けて顔つきが大きく変わり、名称も「NIII360」となった。NIII(エヌスリー)は通称ではなく、正式名称なのである。中身もトランスミッションが、それまでのモーターサイクル式のコンスタントメッシュ(ドグミッション)からフルシンクロになるなど改良を受けている。
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21/33「NIIIタウン スーパーデラックス」。1970年9月に加わったNIIIタウンは、その名のとおり街中での扱いやすさを重視した仕様。エンジンは最高出力を31psから27psにデチューンして低中回転域のトルクを増し、サスペンションはスプリングを柔らかくして、ロール対策としてフロントにスタビライザーを付加(エプロン下に見える)。室内は左右どちらのドアからも乗り降りしやすいよう前席座面をベンチタイプとし、ダッシュのデザインも変更された。
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22/33商用バンである「LN360」シリーズは6台参加した。
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23/33「LN360」のテールゲートは、横開き式(左)と上下開き式(右)の2種類が用意されていた。最大積載量は2人乗車で300kg、4人乗車で200kg。
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24/331973年「N600」。600ccエンジンを積んだ輸出仕様で、これはドイツから逆輸入した個体。日本国内でも1968年7月から「N600E」の名で市販されたが、性能的には当然ながら勝るものの、居住性は軽のまま税金は小型車となるため人気薄で、販売台数は1500台に満たなかった。
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25/331970年10月に発売された、「N360」とメカニズムを共有する、軽初のスペシャルティーカーである「Z360」。これら2台は、ツインキャブエンジンに軽初となる5段MTに前輪ディスクブレーキを備えたトップグレードの「GS」である。
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26/33“水中メガネ”と呼ばれた開閉可能なリアウィンドウが特徴的な「Z360 GS」のリアビュー。手前の個体はつや消しの黒で塗られているが、この色は「ゼロブラック」と呼ばれるGS専用の純正色として用意されていた。近年、ハイパフォーマンスカーの世界で見られるマットカラーは、半世紀近く前にホンダが軽自動車で採用していたのである。
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27/33左端に見える軽トラックの「TN360」をベースに、1970年10月に登場した「バモスホンダ」は8台集まった。いかにも当時のホンダらしい、遊び心のあるモデルだが、登録はトラックである。
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28/33クリスマス仕様のデコレーションが施された「バモスホンダ」。唐草模様のヘッドレストやサンバイザーのカバーなどもおもしろいが、オーナーは女性だった。
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29/33右から2台の「N360」と「Z360」のレーシング仕様。右端のN360は、当時のヨシムラチューンのエンジンを搭載している。
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30/33「N360」のパワートレインを使った、1970年代初頭のFL(フォーミュラ・リブレ)も3台展示された。右端が鈴木板金製の「ベルコ96A」、後の2台はハヤシレーシング製の「ハヤシ706H」。
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31/33狭山工場でもトークショーが行われた。ゲストは前日に引き続いての登壇となるティム・ミングス氏、そしてホンダOBの山下克吉氏。山下氏は1962年にホンダに入社、二輪走行試験室を振り出しに四輪開発の基礎研究や開発企画に携わった人物。会場では「N360」の開発を含むホンダ史、ホンダイズムについて語った。
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32/33午後4時にイベントは散会、日が傾く中を帰路につく参加車両。「TN360」に「LN360」、そして2台の「バモスホンダ」が続く。
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33/33参加者を見送り、最後まで残ったホンダN360エンジョイクラブ会員の2台のNI。右側の「N360S」の、ポジションランプ(スモールライト)内蔵の欧州仕様用ヘッドライトが、いい感じにともっていた。