第435回:フォード、日本撤退! しかし欧州では大人気……そのワケは?

2016.02.05 エッセイ

かつてフォードはエラかった

すでに伝えられているとおり、フォードの日本市場撤退が決まった。

日本とフォードの歴史をひもとくと、その関係はとても長い。関東大震災後の復興のため東京市が急きょ導入した「円太郎バス」は、「フォードTT型」をベースにしたものだった。
1925年になると、フォードは横浜にノックダウン工場を建設した。当時の日本では考えられないほど近代的な生産設備と米国流ビジネスの慣習が導入されたというのは、多くの関係者に語られる“伝説”である。1979年にはマツダと資本提携を結び、この関係は2015年まで続いた。

個人的なことを記せば、ボクが子供だった1970年代、フォードはかなりポピュラーな輸入車ブランドだった。同級生の中には、フォードの「マスタング」やマーキュリーのセダン「モナーク」を所有している家の子がいた。それらが学校行事の日、校門の外にわが家の「フォルクスワーゲン・ビートル」と並ぶと、まるで広告代理店DDBが米国で展開したフォルクスワーゲンのポスターのごとくであった。DDBの広告ではフォルクスワーゲンの品質の優位性が語られるのだが、子供のボクの目には、フォードの大きさゆえに、コンパクトなフォルクスワーゲンが悲しく映ったものだった。

野球選手や芸能人の乗る典型的高級車といえば、今のようにメルセデス・ベンツではなく、「フォード・サンダーバード」やリンカーンの「コンチネンタル」だった。ボクの隣町に住んでいたプロレスラー出身のタレント、ストロング金剛氏もフォード好きで、近鉄モータースから購入した歴代サンダーバードを愛用していた。

後年インタビューの機会があって、ボクが金剛氏に「なぜずっとサンダーバードを選んでいるのですか?」と聞くと、「この巨体でも楽々乗れたからですよ」とうれしそうに教えてくれたものだ。テレビのロケ中に腰を痛めた後は、「サンダーバードは、常に座面高が適切で、大変乗り降りしやすいんです」と付け加えてくれたのを覚えている。

わが家のアルバムから。筆者の亡母と1954年フォード。フォードは戦後日本でポピュラーな輸入車ブランドだった。
わが家のアルバムから。筆者の亡母と1954年フォード。フォードは戦後日本でポピュラーな輸入車ブランドだった。
横浜工場で組立生産された1929年「フォードA型」。トヨタ博物館蔵。
横浜工場で組立生産された1929年「フォードA型」。トヨタ博物館蔵。
フォードは近年、新しいプレミアムラインとして「ヴィニャーレ」というサブブランドを展開している。写真のモデルは、「フォード・モンデオ ヴィニャーレ」。
フォードは近年、新しいプレミアムラインとして「ヴィニャーレ」というサブブランドを展開している。写真のモデルは、「フォード・モンデオ ヴィニャーレ」。

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大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト。国立音楽大学ヴァイオリン専攻卒にして、二玄社『SUPER CG』元編集記者、そしてイタリア在住20年という脈絡なき人生を歩んできたものの、それだけにあちこちに顔が広い。今日、日本を代表するイタリア文化コメンテーター。10年以上にわたるNHK『ラジオ深夜便』リポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストをはじめラジオでも活躍中。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『カンティーナを巡る冒険旅行』『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(ともに光人社)、電子書籍『イタリア式クルマ生活術』(NRMパブリッシング)など数々の著書・訳書あり。