多彩な軽自動車が激走! 「K4-GP 富士1000km耐久」リポート(後編)
2013.08.22 画像・写真2013年8月14日、静岡県小山町の富士スピードウェイで、恒例の真夏の祭典「K4-GP 富士1000km耐久」が開かれた。「K4-GP」は、「あまりお金をかけずに、みんなで楽しめるモータースポーツ」をコンセプトに2001年から始まった軽自動車を中心とする耐久レースで、毎年8月に富士スピードウェイ、そして2月には富士とマレーシアのセパン・サーキットで1年ごとに開催されている。
『webCG』で夏の1000km耐久を紹介するのも3回目となるので、ご存じの読者も少なくないだろうが、今回はいつもとは意味合いの違うレースだった。レースの内容は例年と同じなのだが、K4-GPの創始者であり、これまでずっと引っ張ってきた、マッドハウス代表のマッド杉山こと杉山哲氏がこの3月に急逝(享年63)してから、初めてのレースだったのである。図らずも杉山氏の追悼レースとなってしまった今回の参加車両は、全134台。それらはGP-1(AT限定、使用燃料105リッター)、GP-2(排気量850cc未満、90リッター)、GP-3(850cc以上、100リッター)、GP-4(R車両、850cc未満、85リッター)、GP-4(R車両、850cc以上および特認エンジン、95リッター)の5クラスに分かれて戦った(なお過給係数は1.5で、660ccターボは990ccとなる)。
杉山氏にささげる黙とうから始まったレースは、いざスタートしてしまえば、熱く、楽しく、しかしその裏では、速く効率よく走らせるための高度な戦略が飛び交う、いつもどおりのK4-GPだった。これは杉山氏のスピリットに共鳴し支えてきたスタッフの尽力、そしてエントラントの協力の賜物(たまもの)であろう。K4-GPの顔として、カリスマ的存在となっていた杉山氏の不在を除いては、なにひとつ変わらないように思えた富士スピードウェイから、印象に残ったマシンとシーンを紹介しよう。
(文と写真=沼田 亨)
→2013年の「K4-GP 富士1000km耐久」リポート(前編)はこちら

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マッド杉山氏の顔写真と「杉山☆魂」の文字をボンネットと左右リアクオーターに貼った「本田設備トゥデイ」。
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「走るガチャピン」は、「JKレーシング・トゥデイ」。軽量で好燃費、シャシー性能もいい2代目トゥデイはK4-GPで人気の高い車両の1台で、これまでに数々の好成績を残している。
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60台以上がエントリーした最激戦区のGP-2でクラス優勝、総合でも5位に食い込んだ「長距離弾道トゥデイ」。今年もトゥデイは結果を残したというわけだ。
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「ミラターボL200S」という、車名+型式名の至ってシンプルな登録名を持つマシン。その名のとおり約20年落ちの3代目「ミラ・ターボ」で、見た目はごくシンプルだが、総合3位、GP-3クラス2位を獲得した。
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初代「トゥデイ」に似た姿からか、ややサイズは大きいものの、ほとんど違和感なく軽軍団に溶け込んでしまう初代「ルノー・トゥインゴ」。
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耐久レースではピットワークも勝敗を決める大事な要素だが、これだけエントラントが多いと、自分のピットを見つけるのにまず一苦労。その点、これなら間違いようがない。「弁天娘」という名称のとおり、4人の女性ドライバーで構成されたチーム。
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ドライバーの暑さ対策、水分補給も重要。GP-5クラスで3位に入った「ロータス23B」ならぬ「ロータス23K」の交代ドライバー(左端)のヘルメットから出たチューブは、左手に持っているペットボトルにつながっている。これがもっともポピュラーな水分補給法だった。
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ルマンカーである「アルピーヌM63」そっくりの「アルピーヌNM63」の交代ドライバー(右端)は、飲み物に加えて太いチューブを持っている。これが何かというと、レーシングスーツの下に着用しているクールスーツに冷水を循環させるためのものである。
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レースの半分以上を経過しても、こうした混戦が見られる……ということを伝えるつもりで撮ったカットだが、先頭をいくカーナンバー123の「ダイハツ・エッセ」が、実はとんでもないエントラントだったことが、レース終了後に判明したのだった。
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真ん中を走る「通勤快速ヴィヴィオ2013」は数少ないナンバー付きで、エントリー名のとおり普段はオーナーが通勤の足に使っているというだけあって、地味ないでたち。にもかかわらず、昨年から2年連続で総合2位、GP-3クラスでは優勝(昨年は2位)というすばらしい結果を残した。
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「フヂイエンヂニアリングM01 ver.2」。「ヤマハXJR1200」用の1.2リッター空冷並列4気筒エンジンを積んだ、フヂイエンヂニアリングのオリジナルマシン。
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見た目は「ホンダS600」 だが、ドライバーが真ん中に座っている。レーシングカーである「ザウルスJr.」のシャシーにS600風のFRPボディーをかぶせた「工房名岐S600MINT-R」。ミドシップされたエンジンはホンモノのS600用である。
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こちらも見た目は「ポルシェ356スピードスター」だが、シングルシーターである。登録名はズバリ「ポルシェ356レーシング」は、スピードスターのレプリカのボディーを流用しているのだろうか? ヘッドライトの餅網(ストーンガード)がカッコイイ。
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マッド杉山氏の親友で、K4-GPの常連であるレーシングカーデザイナーの由良拓也氏が率いる「ゆらたく屋のおじさん達 その1」の「子紫電あーる」。もちろん由良氏がデザインしたボディーを持つR車両で、今回は見事に総合優勝およびGP-5クラス優勝! 総合ファステストラップ(2分16秒314)も記録した。
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往年のルマンを走ったホンモノの「アルピーヌM63」から型取りしたボディーを、ウエストレーシング製のシャシーに載せたレプリカである「アルピーヌNM63」。登録ドライバー7人のうち3人が医師で、チームテントには「医療救護」の看板が掲げられていた。もちろんボランティアである。
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1971年のルマンにチーム・ペンスキーがエントリーした「スノコ・フェラーリ512M」を模した「lida Cars 512」。シャシーはスズキの軽用エンジンを積んだ単座レーシングカーの「フォーミュラ・スズキkei」という。GP-5クラス4位に入賞した。
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こちらも「フォーミュラ・スズキkei」のシャシーに、「アルファ・ロメオ ティーポ33TT12」風のボディーを着せた力作である「MATSUBA33TT12」。GP-5クラスで、「子紫電あーる」に次ぐ2位の座を獲得した。
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「ザウルスJr.」のシャシーに1976、77、81年とルマンで3回勝っている「ポルシェ936」風のボディーを載せた「IMAGE nsj 936」。今回はGP-5クラス5位だった。
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今回は走行距離が1000kmを超えても超えなくても、フィニッシュはスタートから10時間後の午後6時と決められていた。長い夏の陽もだいぶ傾いた午後6時1分12秒234、トップの「子紫電あーる」がチェッカーを受けた。ラップ数は230、走行距離にして約1049km。平均速度は104.709km/hだった。
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表彰式にて、マッド杉山氏の遺影とともに、由良拓也氏(左端)ら「ゆらたく屋のおじさん達 その1」のドライバーたち。レースではラスト1時間を切ったところで、トラブルでコース上に停止した車両を排除するために、数周にわたるセーフティーカーランがあったのだが、由良氏いわく「あれがなかったらガス欠でフィニッシュできなかった。杉山が勝たせてくれたんだと思います」。表彰式にて、マッド杉山氏の遺影とともに、由良拓也氏(左端)ら「ゆらたく屋のおじさん達 その1」のドライバーたち。レースではラスト1時間を切ったところで、トラブルでコース上に停止した車両を排除するために、数周にわたるセーフティーカーランがあったのだが、由良氏いわく「あれがなかったらガス欠でフィニッシュできなかった。杉山が勝たせてくれたんだと思います」。表彰式にて、マッド杉山氏の遺影とともに、由良拓也氏(左端)ら「ゆらたく屋のおじさん達 その1」のドライバーたち。レースではラスト1時間を切ったところで、トラブルでコース上に停止した車両を排除するために、数周にわたるセーフティーカーランがあったのだが、由良氏いわく「あれがなかったらガス欠でフィニッシュできなかった。杉山が勝たせてくれたんだと思います」。
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恒例となった「サーキットにふさわしくない、奇抜なカッコのスターターに与えられる」仮装賞の第2位は、世界遺産にも登録された地元静岡、そして日本の誇りである「富士山」。ちなみに最初に見たときは、からかさ小僧(傘化け)かと思った。ゴメン。
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仮装賞の第1位は「ふなっしー」。本家と同様にやたらと元気で、動きも軽快だった。なかに入っていたのは女性らしい。
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特別賞を授与されて満面の笑みを浮かべたこのオジサン、いったい何が評価されたのかといえば、なんとたったひとりでエントリーし、10時間を走り切ってしまったのである。マシンは写真9枚目の、カーナンバー123の「ダイハツ・エッセ」。結果はちょうど200周(約913km)して、GP-2クラス29位。杉山氏がいたら、「なんて(すばらしい)大馬鹿野郎なんだ!」と喜んだに違いないと言わせたオジサンの名は、「YRSヨシカワレーシング」の吉川忠伸氏。
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表彰式も無事終了、とっぷりと日が暮れたホームストレートで、参加者とスタッフがみんなそろって記念撮影。
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フィナーレは恒例となった、参加車両に乗れるだけ乗って、真っ暗なコースを1周パレード。富士山がカメラ目線をくれている(笑)。