名門・ジャガー 98年の歴史を紐解く
美と先鋭を求めて 2020.10.09 JAGUAR ~英国が誇る名門の“いま”~<AD> その起源は1922年までさかのぼり、自動車事業に進出してからは、一貫してスポーティーで美しいクルマづくりを身上としてきたジャガー。その歴史を、創業者ウィリアム・ライオンズのエピソードや、各時代を飾る名車の数々とともに紹介する。2人のウィリアム
イングランド北西部の小都市ブラックプールで、二輪車用サイドカーの工場兼販売店を営んでいたウィリアム・ウォームズレイ。同じ町で自動車ディーラーに勤務していたウィリアム・ライオンズ。ジャガーの起源は、「ウィリアム」の名を持つ2人の青年が、1922年に興した「スワロー・サイドカー・カンパニー」までさかのぼることができる。
2人のビジネスは、屋号のとおりサイドカーの製造・販売で成功を収めたのちに、コーチビルダーとして四輪車にも進出。1927年に、大衆車「オースチン・セブン」をベースとする「オースチン・セブン スワロー」を発表する。
後にジャガーの創業者およびデザイナーとして知られることになるライオンズは、当時20歳代半ばの若者ながら、デザインとビジネスの両面で卓越したセンスを発揮。1928年に社名を「スワロー・コーチビルディング・カンパニー」に変更するとともに、本拠をコヴェントリーへ移転。同地に拠点を置くスタンダード社など、複数のメーカーからコンポーネンツの供給を受け、新たなボディーを架装することになった。
その後、共同経営者のウォームズレイが離脱し、独力で会社を切り盛りすることになったライオンズは、1933年に社名を「SSカーズ」へと変更。専用設計のシャシーに豪奢(ごうしゃ)なボディーを組み合わせた新型車「SS1」と「SS2」を発売した。
さらに1935年には、車両のすべてを専用設計とした新型車を開発。それまでのSSと区別する意味から「ジャガー」というブランド名を掲げ、「SSジャガー2 1/2リッター」として発売した。ジャガーは華麗な内外装に加えて、OHVヘッドで強化されたエンジンと量産効果により、同時代の高級車に比肩する高性能をはるかに安い価格で実現していた。さらに1936年には、後に“第2次大戦前の最高傑作”と賞されることになるクルマを世に送り出す。それが、リアルスポーツ「SS100」である。
真の高級車メーカーへ
1939年に第2次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)すると、民生用乗用車の生産は事実上の禁止となってしまう。そして1945年に終戦を迎えたのち、ライオンズは会社を「ジャガー・カーズ」へと正式に改称、改組した。
まずは戦前モデルの継続生産から復興を目指したジャガーは、真の高級車メーカーへの脱皮を目指す。その成果が初めて現れたのが、1948年に発表された戦後初の新型車「XK120」である。当時としては先鋭的なDOHCヘッドを持つ直列6気筒エンジンを搭載しており、素晴らしい高性能と流麗なスタイル、あるいは同時代の高性能スポーツカーとしては安価であったことから、大ヒットを博した。特に戦後世界最大のスポーツカー市場となった北米での人気はすさまじいものだった。1950年代には発展モデルに相当する「XK140/150」も登場。戦前からの系譜を受け継ぐ大型サルーンとともに、ジャガーの高級車ブランドとしての地位を確立させた。
一方で、真の高級ブランドとしてさらなる認知を得るためには、レースでの実績が必要であることに気づいていたジャガーは、1950年代初頭からレーシングカーの開発に着手。その成果として誕生した「C-TYPE」と「D-TYPE」は、当時のルマン24時間レースにおける最強マシンとなり、ジャガーの名声は世界中にとどろいたのだ。
この時期のジャガーは生産車部門でも絶頂期を迎え、1959年にコンパクトなスポーツサルーン「Mk2」、61年にはスポーツカーの歴史的傑作「E-TYPE」などの大ヒットを続々と送り出してゆく。加えて1960年には、長らく英国王室御用達の地位を得ていた高級車メーカー、デイムラーの買収にも成功。企業としての体力も、より強化されることになった。
ジャガー・カーズ社は順調な発展を続け、1968年には今日にその名が受け継がれるサルーン「XJ」を誕生させる。その出来栄えは素晴らしく、大きな期待が寄せられた。一方で、1960年代後半になるとイギリスの経済情勢は急速に悪化。さしものジャガーも、それと無関係ではいられなかった。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
受難と復活
救世主となったのは、1980年に社外から招聘(しょうへい)されたジョン・イーガンである。新たなCEOとなった彼は、生産体制や経営の改革に乗り出し、ドラスティックな体質改善に成功。スポーツクーペ「XJ-S」や、「XJ6/12」にも大規模なブラッシュアップを施し、アメリカや日本でも人気車種の座に押し上げた。
さらに1986年には、基幹モデルとなるXJシリーズを18年ぶりにフルモデルチェンジ。「XJ40」と呼ばれる新型は、当時最新のテクノロジーとジャガー伝統の美しさを兼ね備えており、商業的にも成功を収める。
ジャガーの復活は商業面だけにとどまることなく、1985年からは世界耐久選手権(WEC)に参戦を決定。翌年には「XJR-8」とともに年間タイトルを獲得したのち、88年には「XJR-9LM」とともに、ルマンで31年ぶりの総合優勝も達成。サーキットでも往年の名声を取り戻すことに成功した。
勢いを得たジャガーは、1990~2000年代にかけて、これまでにない勢いでモデルレンジを拡大していった。それまで屋台骨を支えてきたXJとXJSはそれぞれ3代目XJと「XK8」に進化。さらにミドルクラスの「S-TYPE」や、戦前の「SS2」以来の小型車となる「X-TYPE」を投入した。2007年には全く新しいミドルクラスサルーン「XF」を発表。革新的なデザインとも相まって、新時代の到来を世に印象付けた。
今日においても、ジャガーは新しい挑戦に貪欲であり、“名作”E-TYPEの再来ともいうべきリアルスポーツ「F-TYPE」や、アルミ軽合金のモノコックを持つ意欲的なサルーン「XE」など、話題性のあるモデルを輩出し続けている。また、ジャガー初のSUVとなる「F-PACE」および「E-PACE」でも大きな成功を収め、100%電気自動車(EV)の「I-PACE」で一大センセーションを巻き起こした。
間もなく1世紀を迎えるジャガーの成功は、ウィリアム・ライオンズ以来の企業哲学と、美しく先鋭的、そして高性能なクルマづくりに懸ける努力のたまものともいえるだろう。自動車が新時代を迎えつつある現代にあっても、持ち前の矜持(きょうじ)と哲学を守り続ける限り、今後もジャガーには明るい未来が約束されているのである。
(文=武田公実/写真=ジャガー・ランドローバー)
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |