「第8回 コッパ ディ 東京2015」の会場から
2015.11.26 画像・写真2015年11月23日、「第8回 コッパ ディ 東京2015」(8a Coppa di Tokyo 2015)が開かれた。勤労感謝の日の恒例となったこのイベントは、晩秋の都内をクラシックカーで巡り、いかに設定タイムに近く走れるか、その正確さを競うラリーである。スタート/ゴール地点は、イベントにぴったりの雰囲気を持つ場所としておなじみとなった汐留シオサイト5区のイタリア街。今回のルートは、イタリア街を出てから桜田門~二重橋前~九段坂上~日本橋~銀座~晴海~芝~新橋~東京駅~上野公園~浅草~柳橋を経由して、再びイタリア街に戻る全長約52kmだった。エントラントは、例年の60~70台に対して今回は約90台が参加。ギャラリーもいつもより多く、やや肌寒い空模様にもかかわらずイタリア街は大盛況だった。加えて今回は、特別展示車両がスゴかった。「フェラーリ250GTO」の設計者として名高いビオット・ビッザリーニ氏(1926年生まれだが、今も現役エンジニア)が、フェラーリを辞した後のイソ在籍時代に手がけた、生産台数わずか6台というプロトタイプスポーツの「ビッザリーニ・イソ・グリフォA3C」である。今回展示された個体は1965年のセブリング12時間のために2台作られたうちの1台で、同年のルマン24時間にも出走したマシンという。オーナーの話では、スイスで人知れず30年間眠っていた個体を近年になって入手してレストア、この場でお披露目したとのこと。2年前には、東京モーターショーのために来日中だった往年の名レーシングカーデザイナーのピート・ブロック氏がフラリと会場に現れて参加者を大いに喜ばせたが、こうしたサプライズがあるのも、このイベントの魅力なのである。(文と写真=沼田 亨)

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例年の60~70台に対して今回は約90台が参加。スタート直前のイタリア街の中央広場は、ご覧のようにパンパンの状態。
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午前10時、カーナンバー1の1924年「ブガッティT13ブレシア」を先頭にラリーがスタート。
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参加車両は20秒間隔で続々とスタート。1966年「ホンダS800」のシャシーに独自のFRP製ボディーを載せたレーシングカーである「RQコニリオ」のステアリングを握るのは、自動車ジャーナリストの飯田裕子さん。
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スタート直後、ギャラリーに見送られる、シックなダークブルーに塗られた1960年「ポルシェ356Bロードスター」。
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1975年「ランボルギーニ・カウンタックWF-1」。「カウンタックLP400」をベースに3台だけ作られたという、超希少なウォルター・ウルフ・バージョンである。
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汐留イタリア街は新橋~浜松町間のJRの線路沿いにある。京浜東北線と並走する1963年「シムカ・アバルト1150」。シムカはフィアットのライセンス生産から始まり、フィアット色が濃いモデルを作っていたフランスのメーカーで、これはリアエンジンセダン「シムカ1000」をアバルトがスープアップしたモデル。
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線路沿いの道を行く2台の「モーガン・スーパースポーツ」。ノーズに空冷Vツインエンジンを積んだ、1930年代生まれの三輪スポーツカー。
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銀座の目抜き通り(銀座通り)を編隊走行するバブルカー軍団。前2台、後ろ1台の「メッサーシュミットKR200」に、「トロージャン200」(ドイツの「ハインケル」をイギリスでライセンス生産したモデル)がサンドイッチされている。
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1954年「ジャガーXK120」に68年「フィアット850スポルトスパイダー」などが続く。
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信号待ちする1965年「アストンマーティンDB5」、59年「フェラーリ250GTピニンファリーナ・クーペ」、69年「モーガン4/4」など。対向車線にも隣の車線にもクルマが見えず、意外と珍しい光景かも。
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今回のラリーで総合1位に輝いた1957年「アルファ・ロメオ・ジュリエッタSVZ」。
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美しく仕上げられた1951年「フェラーリ340アメリカ・ヴィニャーレ」。フェラーリの黎明(れいめい)期に北米市場向けに作られたモデル。
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1961年「ファセル・ベガ・ファセリアF2B」。戦後のフランスで唯一の高級車メーカーだったファセルが作った小さな高級クーペ。自社製1.6リッター直4 DOHCエンジンを積む。
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1966年「シトロエンDS」。デビューは55年で今年還暦を迎えたが、その姿はいうなれば“永遠の未来カー”。
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銀座4丁目交差点を左折する1954年「フィアット1100TVピニンファリーナ」。主力車種だった4ドアセダン「フィアット1100」のシャシーにピニンファリーナ製クーペボディーを架装したモデル。
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「品川5」のシングルナンバーを付けた1963年「モーリス1100」を先頭に「ディーノ246GT」などが港区芝大門にある増上寺の大門をくぐり抜けていく。めったに見られないミスマッチな光景に、外国人観光客もしばし足を止めて見物。
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東京タワーからほど近い増上寺の前を右折していく1972年「ディーノ246GT」。今回はディーノの参加が多く、206GTが1台、246GTがこれを含め6台の計7台が走った。
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親子ペアの乗る1956年「ロータス11」。コドライバーを務める坊やは、過去にもこの種のイベントでパパのサポート役を務めており、余裕でカメラに向かってピースサインを出している。
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1970年「トヨタ2000GT」。日本車の参加はこれを含めて4台だった。
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ゆりかもめの汐留駅付近をいく、タレントの堺 正章氏がドライブする1953年「オスカMT4」。後ろは74年「ランチア・ストラトス」。
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ゴールまであとわずかの地点にて、前は「ルノー4CV」をベースにした、アルピーヌ初の市販車である1957年「A106ミッレミリア」、後ろは自製の直4 DOHCエンジンを積む51年「バンディーニ750スポルト」。
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1970年「アルピーヌA110」。白いアルピーヌは珍しいが、これはこれで似合っている。
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突然、爆音を轟(とどろ)かせて出現した特別展示車両の1965年「ビッザリーニ・イソ・グリフォA3C」。エンジンは327立方インチ(5.3リッター)のシボレーV8をフロントに積む。
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イベント終了後、積載車に積むべく移動する「ビッザリーニ・イソ・グリフォA3C」。後ろ姿はテールをスパっと切り落としたコーダトロンカである。
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ゴールインした順番に参加車両が収まった中央広場。