クルマの街のプライドがここに「トリノ国際コンクール・デレガンス」開催
2010.05.29 画像・写真イタリア最古のコンクール・デレガンスの雰囲気を今日に呼び起こす「トリノ国際コンクール・デレガンス」。
1日めのメイン会場は、トリノを代表するサンカルロ広場である。だから、コンクールと知らず、ジェラート片手の散歩がてら偶然迷い込んでしまったトリネーゼも多数だった。この人とクルマのほほ笑ましい距離は、世界6大コンクールとは明らかに一味違ったものである。
(文と写真=大矢アキオ、Akio Lorezno OYA)
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1959年「ランチア・フラミニア クーペ ロレイモ」。1960年パリサロン用に製作された。デザインは、たばこ「ピース」のデザインで知られる、あのレイモンド・ロウイ。ルーフ後方のスポイラーは、15年後のストラトスでも再現されている。
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1959年「ランチア・フラミニア クーペ ロレイモ」。1960年パリサロン用に製作された。デザインは、たばこ「ピース」のデザインで知られる、あのレイモンド・ロウイ。ルーフ後方のスポイラーは、15年後のストラトスでも再現されている。
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マルチェロ・ガンディーニ時代のベルトーネによる代表作のひとつ「ランチア・ストラトスHF」。この車両は1973年モデル。
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チャーチル英国元首相のいとこによって発注された1929年「ロールス・ロイス ファンタム1」。現在はイタリア人オーナーのもとにある。「la vettura da sogno(夢の車)」賞を獲得。
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筆者の知人であるトリノ県のホテル・オーナー、マルコ・ルチアーノ氏(左)は、36歳の若さにもかかわらず、戦前車が大好き。今回は1934年「フィアット508CS コッパ・ドーロ」で参加。
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ムッソリーニの女婿で、のちに銃殺されるガレアッツォ・チアーノ外相によってオーダーされた1939年「ランチア・アストゥラ クーペ ピニンファリーナ」。
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チアーノの「ランチア・アストゥラ クーペ ピニンファリーナ」に寄り添うモデルのカップル。
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今回最高の珍車は、このトリノのカロッツェリア「モット」による1939年「ランチア・アストゥラ バルケッタ」であろう。
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ピニン・ファリーナによるプロトタイプ、1955年「ランチア・フロリダ」。日本では「トヨペット・クラウン」誕生の年に、ここまで美しいコーチワークを実現していたとは。「1950-54年のグラン・トゥリズモ」クラスのウィナーとなった。ちなみに今年のヴィラ・デステにも参加した。
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カロッツェリア・ギアによる1952年「フィアット1100Eクーペ スーペルジョイエッロ」。当時在籍したマリオ-フェリーチェ・ボアノの作品と思われる。
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ヴィニャーレによる1957年「フィアット1100TVプランタン」。「オリジナル賞」に選ばれた。
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1959年「フィアット1200トラスフォルマービレ」。アメリカン・スタイルがトリノにも波及していた頃の作品である。
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1961年「ランチア・アッピアGTEザガート」
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ミラノ(ザガート)と、トリノ(ランチア)の見事なハーモニー。
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トゥリング・スーペルレッジェーラ・ボディをもつ1961年「アストン・マーティンDB4」と、オーナーのリパモンティ氏。新車以来米コロラド、伊ミラノと居場所を変えたのち、丹念なレストアが施された。「1960年以降のモダンなエレガンス」クラスのウィナーとなった。
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1962年「フェラーリ250ピニンファリーナ」。今日のエモーションを前面に打ち出したフェラーリとは一線を画した気品を見よ。
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1962年「ランチア・フラミニア3Cザガート」
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1963年「アルファ・ロメオ ジュリア スパイダー」
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1966年「フェラーリ275GTB」。仏ニースで新車登録された後、後年ディーラーの手に渡り、「スクデリア・ポッツィ」のもと数々のイベントに参加した。
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1966年「ランチア・フラヴィア クーペ ピニンファリーナ」。1969年フィアット傘下に入る前夜、ランチアが真の高級車だったときの上品さが漂う。
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「ジャガーXK140 フィクストヘッドクーペ」の前に立つモデル嬢。