貴重な旧車がズラリ! 「ノスタルジック2デイズ」の会場から
2013.02.27 画像・写真2013年2月23日、24日の2日間、神奈川県横浜市のパシフィコ横浜で、旧車専門誌『ノスタルジックヒーロー』と『ハチマルヒーロー』がプロデュースする「ノスタルジック2デイズ」が開かれた。「日本最大級の旧車トレードショー」とうたったこのイベントは、実車をはじめパーツやモデルカー、オートモビリア(クルマ趣味の小物)などのショップによる展示即売会。そのほか誌面を飾った車両やメーカー所蔵車両の特別展示、往年のワークスドライバーのトークショーなどが行われたが、リポーターが注目したのは、特別展示された「トヨタ・パブリカ・スポーツ」。1962年の第9回全日本自動車ショウ(東京モーターショー)に出展されたコンセプトカーを、トヨタが復元したものである。トヨタ博物館の所蔵車両で、現在は東京・台場のMEGA WEBで展示中だが、2日間だけ横浜に出張してきたというわけだ。それを筆頭とする、リポーターの印象に残ったモデルを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

50年ぶりによみがえった「トヨタ・パブリカ・スポーツ」。1962年の第9回全日本自動車ショウ(東京モーターショー)に出展された、通称“ヨタハチ”こと「トヨタ・スポーツ800」のプロトタイプを当時の設計図と写真から復元したものだ。オリジナルの製作はトヨタ系メーカーの関東自動車工業(現トヨタ自動車東日本)で、デザインは当時関東自工に在籍していた佐藤章蔵氏。50年代には日産で「ダットサン210」「ブルーバード310」などを手がけたデザイナーである。
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50年ぶりによみがえった「トヨタ・パブリカ・スポーツ」。1962年の第9回全日本自動車ショウ(東京モーターショー)に出展された、通称“ヨタハチ”こと「トヨタ・スポーツ800」のプロトタイプを当時の設計図と写真から復元したものだ。オリジナルの製作はトヨタ系メーカーの関東自動車工業(現トヨタ自動車東日本)で、デザインは当時関東自工に在籍していた佐藤章蔵氏。50年代には日産で「ダットサン210」「ブルーバード310」などを手がけたデザイナーである。
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「パブリカ・スポーツ」の最大の特徴は、小型飛行機のように後方へスライドするキャノピー式のルーフ。ドアはなく、高いサイドシルをまたいで乗り降りする。復元プロジェクトは2007年から始まり、昨2012年にようやく完成したという。
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こちらが市販型の「トヨタ・スポーツ800」。最初のコンセプトモデルのデビューから2年後、1964年の第11回東京モーターショーにやはり「パブリカ・スポーツ」として出展された後、翌65年4月に「トヨタ・スポーツ800」の名で発売された。ヨタハチを得意とする四ツ葉オートが展示していたこの個体は、珍しい左ハンドル仕様。
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最初のプログラムは、「選ばれし10台」の入場。読者公募で選ばれた10台が会場内を走行して登場、メインステージ前でオーナーがインタビューを受ける。これは1950年「ダットサン・スタンダードセダンDA型」。戦後の耐乏期に、ほぼ戦前型の姿のまま少数が作られたモデルの、希少な残存車両。
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1983年「日産サファリ」。トヨタの「ランクル」の対抗馬だった、日産のヘビーデューティー4WDであるサファリ(旧名/輸出名はパトロール)。本来、トラックは輸出用のみで国内販売はされなかったが、この個体は某官庁で電源車として使われていた個体の払い下げという、これまたメチャ希少車である。日産/プリンス系商用車に強いショップ、バラクーダのブースにて。
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国産旧車界の人気車ナンバー1といえる、通称“ハコスカ”こと3代目C10系「スカイライン」。この個体は、ハコスカというとシルバーが多いなか、純正色として用意されていた暗めの赤に塗られた1970年「スカイライン2000GT-R(PGC10)」。非常に美しく仕上げられたセダンGT-Rだが、それだけにお値段は860万円と立派。ちなみに新車価格は150万円だった。ビンテージカーヨシノにて。
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『ノスタルジックヒーロー』誌に連載中の「最強ハコスカGT-Rプロジェクト」で、完成した「スカイライン・ハードトップ2000GT-R(KPGC10)」。車体剛性を高めるため、室内にはレーシングカーのようなロールケージが組まれていた。
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「最強ハコスカGT-Rプロジェクト」のS20型エンジン。ハコスカGT-R専門のチューナー、Rファクトリーによる2.5リッター仕様で、カム駆動をギアトレインに変更するなどして10000rpmまでスムーズに回るという。インコネル(ニッケル基の超合金)製のワンオフというタコ足のフォルム、輝きは芸術的ですらある。
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東京オートサロンにも展示されていた、サニトラこと「ダットサン・サニー・トラック」をハコスカ風に変身させた09レーシングの、その名も「ハコトラ」。ボンネット、フロントフェンダー、フロントグリルなど顔まわりから、インパネやセンターコンソールまで見事にスケールダウンされたFRP製パーツを使用。顔まわりのキット価格は33万8100円。
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こちらはさらに小さい「スズキ・マイティボーイ ハコスカR仕様」とホンモノのハコスカ親子? マイティボーイは5段ミッション、クーラー付きで145万円ナリ。美光ワークスのブースにて。
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1972年に登場した、型式名C130こと2代目「日産ローレル」。アメリカン・マッスルカーを縮小したようなスタイリングの2ドアハードトップは、シャコタンにするとキマることから中古市場で高い人気を得た。この個体はオリジナルを重視してフェンダーミラーを残し、控えめなチンスポとハヤシストリート(アルミホイール)に引っ張りタイヤ、エンジンはもちろんL型メカチューンという正統派の走り屋仕様。シブイ。
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1975年に登場した型式名330と、79年デビューの430の「日産セドリック/グロリア」を並べた、Profitのブース。いかに大きく、立派に見せるかを競っていた、5ナンバーサイズに収まっているとは思えないデザインが根強い人気の理由のひとつか。
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型式名F31こと2代目「日産レパード」の専門店であるカーショップフレンドのブース。どれもピカピカに輝いている。同社のホームページによると、豊富な在庫車両の価格帯の広さに驚く。下は50万円台から、上はフルレストア済みの600万円近くまで、ほぼ10倍の幅があるのだ。国産旧車も奥が深い。
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1993年「日産プレーリー」。ローダウンしてアルミホイールを履かせただけだが、とてもカッコよく見える。ところが新車当時はこのスッキリしたスタイリングが日本ではウケなかった。大掛かりなマイナーチェンジを施し、車名も「プレーリー・ジョイ」に改めた後期型は、オリジナルのよさが台無しと思ったのだが、セールスは上向いたのだった……。
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ロータリーエンジン車専門店トータルセブンは、型式名FC3Sこと2代目「サバンナRX-7」を3台並べていた。主催者に聞いたところ、こうした車種別の専門店は増える傾向にあるとのこと。
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オートサークルのブースにて、完全仕上げ済みの1962年「日野コンテッサ900デラックス」。「ルノー4CV」のライセンス生産を通じて乗用車づくりを学んだ日野初のオリジナル乗用車の前期型で、販売価格は247万円。ちなみに新車価格は61万8000円だった。4倍以上のプレミアムは、希少性およびレストア技術と施した時間への対価である。
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同じくオートサークルのブースに並んでいた「スズキのマー坊」こと「マイティボーイ」。1983年にデビューした軽ピックアップだが、いまだに根強い人気があるという。隅々まで新車並みに仕上げられたこの個体は、新車価格のおよそ2倍の100万円。
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「アルト47万円」という、車名と衝撃的な低価格をつなげた、超シンプルだが画期的なキャッチコピーを掲げて1979年にデビューした初代「スズキ・アルト」。もともと鮮やかではなかった赤が、さらに退色してレンガ色になったボディーカラーも懐かしいこの個体は、81年式のAT仕様で、価格はズバリ47万円!
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1985年「トヨタ・セリカ・コンバーチブル」。北米向けに作られた3代目セリカのコンバーチブルで、当然左ハンドル。ボディーにはオーバーフェンダーが装着され、2.4リッターエンジンを積んでいる。日本でもごく少数が販売されたというが、これは逆輸入車。価格は295万円。
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まるで新車を下ろして仕立てたばかりのように美しい、型式名KP61こと2代目「トヨタ・スターレット」のレーシング仕様。往年のマイナーツーリングレースで、B310「サニー」などとバトルを繰り広げたマシンである。Panasportのブースにて。
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ジャパニーズ・オリジナルのバッドボーイズ・カルチャーの象徴的存在ともいえる街道レーサー仕立ての「トヨタ・セリカLB」。なぜこれが展示されているかというと、イベントを主催する出版社が族車雑誌、もといチューニングカー雑誌の『ヤングオート』も発行しているから。
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リアビュー。この世界では有名なクルマだそうで、たしかにフィニッシュのレベルは高く、シルエットフォーミュラにも通じるエクストリームないでたちは、眺めている分には嫌いではない。しかし竹やりマフラーは、よくおじぎしないものだ。
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「トヨタデイ」と銘打った初日(23日)のトークショーのゲストは、かつてトヨタ車を駆って活躍した二人。トムス会長の舘 信秀氏と、トヨタチームトムス監督の関谷正徳氏。話題はクルマとのなれ初めからレースを始めた動機、二人の出会いなど広範囲にわたったが、非常に中身の濃い、しかも楽しいトークだった。モニターに映し出された、イケメンレーサーだった若き日の自らの姿に、舘会長は「恥ずかしいから早く消してよ!」。
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1968年の第5回日本グランプリで優勝した「日産R381」。自社製V12エンジンが間に合わず、シボレーの5.5リッターV8を搭載。「エアロスタビライザー」と呼ばれる、リアサスペンションに連動してコーナリング時に作動する左右分割式ウイングが特徴。「日産デイ」である2日目のトークショーのゲストのひとりが、優勝ドライバーの北野元氏であることから特別展示された。
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手前から「トヨタ1600GT(RT55)」、「日産スカイライン・ハードトップ2000GT-R(KPGC110)」、「トヨタ・カローラ・レビン(TE27)」といった、かつて『ノスタルジックヒーロー』誌の表紙を飾ったクルマたち。