「第2回石和温泉郷クラシックカーフェスティバル2012」
2012.07.06 画像・写真2012年6月30日、7月1日の2日間、山梨県笛吹市の石和(いさわ)温泉郷で「第2回石和温泉郷クラシックカーフェスティバル2012」が開かれた。昨年、石和に温泉が湧出して50周年を迎えたことを記念して初開催されたこのイベント。いわゆる町おこし系のイベントだが、旧車好きの実行委員が開催に先立って日本各地の旧車イベントを訪ねて運営方法を学び、またそこに集う愛好家やクラブに声を掛けて回ったという。そうした下準備のかいあって、昨年は初開催にもかかわらず参加車両は2日間でのべ150台以上を数え、多くのギャラリーを集めた。その実績が評判を呼び、今回は1日目が120台、2日目が170台の2日間合わせて300台近い旧車が参加するという、2回目にして一大イベントとなった。参加資格は昭和に生産された車両というゆるやかなもので、スーパーカブから戦前のロールス・ロイスまでという参加車両のバラエティーの豊かさは、筆者がこれまで取材したローカルイベントのなかでもトップクラスだった。小雨が降ったりやんだりのあいにくの空模様ながら、車両展示、パレード、スワップミートと大いに盛り上がった2日目の会場周辺から、リポーターの印象に残ったモデルを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

およそ170台の旧車が集まった会場風景。
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およそ170台の旧車が集まった会場風景。
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1960年「ダットサン・フェアレディ(SPL212)」。「フェアレディ」の名を最初に冠したモデルで、58年の豪州ラリーでクラス優勝した小型セダン「ダットサン1000(210)」をベースにした輸出専用車。当時の日産の川又社長が、渡米中に見たミュージカル“My Fairlady”にいたく感動したことから名付けられたといわれるが、当初の日本語表記は「フェアレデー」だった。初代「ブルーバード310」と同じOHV1.2リッターエンジンを積む。
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1979年「ダットサン210ワゴン」。日本では「サニー・カリフォルニア」と呼ばれた、型式名B310こと4代目「サニー」のワゴンの北米輸出仕様車。アメリカでは先代が「ダットサンB210」の型式名で親しまれていたため、それを正式名称に冠したのだという。当時の北米仕様特有のごつい5マイルバンパーを備えたボディーに、国内仕様と基本的に同じOHV1.4リッターのA14型エンジンを搭載。
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1975年「トヨタ・セリカ1600GTV」。初代「セリカ」登場時のトップグレードだった DOHCエンジン搭載の「1600GT」からパワーウィンドウなどのアクセサリーを外し、足まわりを固めた走りのモデル。「GTV」の先駆者であるアルファ・ロメオでは、「V」はイタリア語で「速い」を意味する「Veloce」の略だったが、セリカの場合は「Victory」の頭文字という。この個体は新車当時からと思(おぼ)しき「松本55」ナンバー付きで、見たところフルオリジナルで程度もすばらしい。
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1973年「アルファ・ロメオ・アルフェッタ」。実用的な4ドアセダンながら、ギアボックスがデファレンシャルの直前に位置するトランスアクスル方式を採用したモデル。そのコンセプトおよび性能は評価されたが、当時のアルファは品質管理が最悪で、特に防錆(ぼうせい)対策が甘いボディーの腐食が問題とされていた。しかし、インポーターだった伊藤忠オートによる正規輸入車で、しかも初期型であるこの個体は良好な状態を保っており、極めて貴重なサバイバーといえる。
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「ダットサン・フェアレディ1600(SP311)」のシャシーにセミ・ハンドメイドされたボディーを架装した、日産初の高級パーソナルカーである初代「日産シルビア(CSP311)」。1965年から68年までに554台が作られたといわれる希少車だが、珍しく5台も並んでいた。唯一の純正色だったメタリックグリーンの色目が1台ずつ微妙に異なるが、オーナー諸氏いわく「みんな、自分のクルマこそが本来の色だと思っています(笑)」とのこと。
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このイベントでは商用車も見逃せないが、中でも白眉だったのがこの1960年「ダットサン・キャブライト」。「トラックの国民車」と呼ばれたヒット作であるトヨタの初代「トヨエース」への対抗馬としてリリースされた日産初の小型キャブオーバートラックだ。しかも「山梨4」のシングルナンバーが付いたこの個体は、新車からずっと甲府市内の荒物店で使われてきた看板車両である。左右のワイパーが異なる角度で止まっているのに注目。なんと助手席側は、インパネから生えたレバーで操作する「手動」なのである。エンジンは基本設計を戦前にさかのぼる直4サイドバルブの860cc。
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1968年「日産プリンス・マイラー」。「マイラー」はプリンスが57年に発表した小型ボンネットトラックで、65年に2代目に進化した。この個体は66年にプリンスが日産に吸収合併されて以降のモデルで、エンジンがプリンス製1.9リッターから日産製2リッター(いずれも直4OHV)に換装されている。オリジナルの味を残しつつローダウンし、ホワイトウォールタイヤを履かせた控えめなカスタムがいい感じ。
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1969年「三菱ミニキャブ」。現在もラインナップされている軽トラ「ミニキャブ」の初代モデルで、66年にデビュー。この三方開き式は初代「三菱ミニカ」と共通のホイールキャップまで備わったフルオリジナルで、程度も極上という希少な個体である。空冷2ストローク2気筒360ccエンジンを積んでいる。
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周辺の温泉街を走るパレードも実施された。このカットで先頭を行くのは、1910年「ロールス・ロイス・シルバーゴースト」。ステアリングを握るのは「日本ロールス・ロイス&ベントレー・オーナーズクラブ」会長の和田篤泰さんで、「イベントはすべからく自走で参加」というモットーに従って、この日も車齢102歳のシルバーゴーストで神奈川県内のご自宅から自走で来場。その心意気と運転テクニックには脱帽だが、それに応えるロールスもさすがである。エンジンは7.6リッター直6で、「高速70km/h巡航が可能」とか。
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1928年「ベントレー・スピードシックス」。直6SOHC6.5リッターエンジンを搭載、1929年、30年とルマンを連覇したヴィンテージ・ベントレーの傑作だが、これも都内から自走での参加。当日会場に向かう道中、中央道を爆走するところにたまたま出くわしたのだが、伴走車もなしに悠然と走らせるオーナーの姿に感動した。29年ルマンにおける平均速度は73.62mph(118.48km/h)だったそうだが、今でも100km/hで高速を巡航できるという。
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1938年「ダットサン17型フェートン」。陸運支局名のない、単に「5」から始まる東京ナンバーを付けた、日産旧車クラブ「全日本ダットサン会」会長の佐々木徳治郎さんの愛車。各地のイベントでおなじみの個体で、直4サイドバルブ722ccエンジンを搭載。通称「アポロ」と呼ばれる腕木式のウインカーが装着されており、右側が作動中。
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1973年「フォード・マスタング・マッハ1」。通称「ビッグ・マスタング」と呼ばれる、マスタング史上もっともボディーサイズが大きかった時代のモデル。この個体は当時のインポーターだった近鉄モータースが入れた正規輸入車で、しかも新車からのワンオーナー車。エンジンは351立方インチ(5.7リッター)のV8。
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1974年「トライアンフ・スタッグ」。70年に登場したトライアンフのフラッグシップとなる2+2のパーソナルカー。ボディーはロールバーを備えたオープンで、写真のソフトトップのほか、ハードトップを装着すればタルガ風のクローズドクーペにもなる。3リッターのV8SOHCエンジンを積む。
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1966年「日野コンテッサ1300クーペ」。「ルノー4CV」のライセンス生産から乗用車市場に進出した日野の、最後の作品となったリアエンジン車で、イタリアの「ミケロッティ」がスタイリングを手がけていた。この個体は車高を下げてアルミホイールを履かせ、バンパーをペイント仕上げにしてエンブレムを外すなどレーシングライクに装っているが、なかなかキマっている。
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新車以来と思(おぼ)しき「山梨5」のシングルナンバーを付けた1970年「トヨタ・パブリカ1000デラックス」。愛好家の間では「KP30」の型式名で呼ばれる、2代目にして最後となった「パブリカ」の初期型。ドライバーは石和温泉旅館協同組合 理事長の山下安廣さんで、助手席で日の丸の小旗を振っているのはイベントの実行委員長を務める渡辺喜一さん。
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1970年「メルセデス・ベンツ・ウニモグ」。「ウニモグ(UNIMOG)」とは「Universal Motor Gerat=多目的動力装置」の略で、1950年代からダイムラー・ベンツ社が製造している全輪駆動の多用途車。それに「三菱ミニキャブ」や「ダイハツ・ハイゼット」といった軽トラが続く光景は、まるでカルガモの親子の行進のよう。
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1968年「日産プリンス・スカイライン・バン」。63年にデビューした2代目スカイライン(S50)の4ナンバーの商用バンで、今日ではもっとも標準的な1枚はね上げ式のテールゲートを採用したのは、商用バンではこれが日本初だった。この個体は車高をやや下げて、プリンスのサービスカーを模したカラーリングを施し、フロントマスクを初期型のものに替えている。
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1968年「日産プリンス・クリッパー」。現在、「三菱ミニキャブ」のOEM供給を受けた軽トラック「日産クリッパー」がラインナップされているが、もともと「クリッパー」は「プリンス」が58年に発売した2トン積みのキャブオーバートラックだった。これは66年に登場した2代目で、楕円(だえん)をモチーフとしたマスクは今見てもグッドデザインである。この個体は荷台サイドに描かれているように以前は落花生問屋で使われていたクルマで、掃除したら各部から落花生の殻がたくさん出てきたという。
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1984年「ダットサン・バネットラルゴ・グランドサルーン・パノラマルーフ」という長〜い車名(グレード名)を持つ、ワンボックス高級ワゴンのはしりにして、今日の「セレナ」の先祖。当時の国産高級車のお約束である、場末のスナックのような雰囲気のワインレッドのモケット張りの回転対座シートや、チルト&スライドのパノラマルーフなどを備えたこの個体は内外装ともにフルオリジナルで、コンディションもすばらしい。エアコンやパワステを標準で備える最高級グレードながら、ウィンドウは手巻きでトランスミッションがマニュアル(5MT)というところが時代を感じさせる。