四輪・二輪の旧車レース「第4回 フェスティバル・オブ・サイドウェイ・トロフィー」
2014.05.20 画像・写真2014年5月18日、千葉県袖ケ浦市の袖ケ浦フォレスト・レースウェイで、「第4回 フェスティバル・オブ・サイドウェイ・トロフィー」が開かれた。これはヒストリックカーレースの本場であるイギリスのイベントを範とする、四輪および二輪の旧車レースである。レースとはいえ着順やラップタイムだけにとらわれることなく、エントラントをはじめスタッフやギャラリーまで含めた会場に集う人間がこだわりのスタイルを意識することで、雰囲気を作り上げていくことを目的としているという。ゆえに参加資格は原則として1969年までに製造されたモデル(継続生産車含む)で、オリジナルの雰囲気を壊すような改造は認めず、使用可能なタイヤはダンロップ製バイアスレーシングタイヤのみとレギュレーションに定められている。今回、開催されたレースは四輪、二輪それぞれ2レースで、メインイベントともいえる1960~69年の量産スポーツカーによるエバーグリーン・カップには初回以来の常連で、このイベントの顔となった感もある日本レース界のリビング・レジェンド、生沢 徹氏も参戦した。ジェントルで和やかな雰囲気のなかにも熱い戦いが繰り広げられた会場から、出走マシンを中心に紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

1950~69年の量産サルーンによるティントイ・カップで、ブッちぎりの速さでポール・トゥ・フィニッシュをキメた1963年「モーリス・ミニクーパーS Mk1」。しかしフライングスタートにより、30秒を加算されて順位は後退。
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1950~69年の量産サルーンによるティントイ・カップで、ブッちぎりの速さでポール・トゥ・フィニッシュをキメた1963年「モーリス・ミニクーパーS Mk1」。しかしフライングスタートにより、30秒を加算されて順位は後退。
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1969年「サンビーム・スティレット」。クライスラーに吸収された後に消滅した英国のルーツ・グループが、ミニの対抗馬として63年にリリースしたリアエンジンの小型セダン「ヒルマン・インプ」をベースとするスポーティークーペ。
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1972年「フォード・エスコート Mk1」。英国フォードのエントリーモデルだった「アングリア」の後を受けて68年に登場した初代エスコート。DOHCエンジンを積んだ「ツインカム」や「RS1600」はモータースポーツで大活躍した。
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1964年「ジャガー・マーク2 3.8」。現在のジャガー・サルーンしか知らない向きには意外だろうが、マーク2はスポーツサルーンとして名をはせたモデルで、60年代前半に英国サルーンカー・レースで頂点を極めた。
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1969年「フォード・カプリ」。いわば「マスタング」のヨーロッパ・フォード版として誕生したカプリ。これは3度のF1王者に輝いたジャッキー・スチュワートが駆った独フォード・ワークスの「カプリ2600RS」のカラーリングを模している。
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通称マルニこと1970年「BMW 2002」。サイドウェイ・トロフィーでは少数派のドイツ車だが、ティントイ・カップにおいて2位でゴールイン。トップでフィニッシュしたミニに課せられたペナルティーにより、正式結果では繰り上がって優勝となった。
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1965年「コルチナ・ロータスMk1 Sr2」。日本でいえば「コロナ」や「ブルーバード」のような、英国フォードの平凡なファミリーカーであるコルチナのボディーにロータス・ツインカムを積んだ、60年代を代表するスポーツサルーン。
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1960~69年の量産スポーツカーによるエバーグリーン・カップで、序盤にトップ争いを展開する予選1位の生沢 徹氏のドライブする1968年「ポルシェ911T」と予選2位の66年「ロータス・レーシングエラン(26R)」。昨春の第2回とまったく同じ展開だったが、3周目に911Tは突如スローダウンしてリタイア。原因は電気系のトラブルとのこと。
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内側前輪をリフトさせてヘアピンをいく生沢氏の「ポルシェ911T」。
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昨秋の開催に続いて、エバーグリーン・カップで2連勝を飾った「ロータス・レーシングエラン(26R)」。
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エバーグリーン・カップで激しい2位争いを演じた2台の1966年「ロータス・エランS3」。最終結果は、後方の赤い「フィクスドヘッド・クーペ」が2位、前をいく「ドロップヘッド・クーペ」が3位。
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1967年「ミニ・マーコスGT」。オリジナル・ミニのパワートレインとサスペンションを流用したFFのミニ・スポーツ。エバーグリーン・カップの1.3リッター以下でクラス優勝した。
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このイベントを企画・主催している英国車専門店 エコスカーズ代表の金子 温(たずぬ)氏の駆る、通称ビッグ・ヒーレーこと1960年「オースチン・ヒーレー3000」。
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同じヒーレーでも、グッとかわいらしいこちらは通称カニ目こと1960年「オースチン・ヒーレー・スプライト Mk1」。
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1979年「トライアンフ・スピットファイア」。カニ目の後継モデルであるMk2以降の「オースチン・ヒーレー・スプライト」や、その姉妹車である「MGミジェット」のライバルだったライトウェイトスポーツ。
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1963年「ジネッタG4」。90年代に再生産されたモデルで広く知られるようになったが、こちらはオリジナル。1.5リッターエンジンをはじめ、主に英国フォード製のメカニカルコンポーネンツを流用。
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1969年「TVRヴィクセン S2」。ヴィクセンとは雌ギツネという意味で、鋼管バックボーンフレームにFRP製ボディーをかぶせ、英国フォード製1.6リッターエンジンを搭載。
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1967年「アルファ・ロメオ1600スパイダー・デュエット」。66年から93年まで、27年もの長きにわたって作られたアルファ・スパイダーの、優雅なボートテールを持つ初期モデル。
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RACメモリアルランと名付けられたパレードランに出走した1961年「ジャガーEタイプ・ロードスター」。カーナンバー15は、63年のルマンで9位完走したライトウェイトEタイプに倣ったもの。
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同じくRACメモリアルランを走った1935年「ラゴンダ・レイピア」。この日の出走車両中、四輪では唯一の戦前車で、1.1リッター直4 DOHCエンジンを搭載。
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全16台が出走したティントイ・カップ決勝のスターティンググリッド。バグパイプ奏者にグリッドガールが並ぶ。
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整列してコースインを待つエバーグリーン・カップの20台の出走車両。
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各レース終了後にはコース上で暫定表彰が行われた。これは「ロータス・エラン」が表彰台を独占したエバーグリーン・カップのシャンパンファイト風景。
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暫定表彰では、グリッドガールからハグのプレゼントも。
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古希を過ぎた今なお速く、スターのオーラを放つ生沢 徹氏。サインを求めるファンのなかには、彼が『オートスポーツ』誌に寄稿した、ヨーロッパ遠征記をまとめた単行本『チェッカー旗はまだか』(1968年発行)を差し出す人も。本人いわく「これはヤフオクにもめったに出てこないよ」。ちなみに筆者は持ってます(ちょっと自慢)。
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1960~69年に製造された、250cc以下の国産および欧州製マシンによるビンテージ・ツーリスト・トロフィーに出走した、1961年「トーハツ・ランペットCA2」。現在は船外機や消防ポンプなどのメーカーであるトーハツは、50~60年代にはオートバイも生産していた。ランペットはイタリア風の小粋なスタイルの50ccで、ロードレースやモトクロスでも活躍した。
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1964年「ブリヂストン90 EA1」。ブリヂストンもかつてはオートバイを作っていたが、中でも90は傑作といわれ、モータースポーツでも大活躍。今回のビンテージ・ツーリスト・トロフィーでも上位を独占した。
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英国製単気筒のグランプリマシンおよびクラブマンレーサーによるマンクス・トロフィーに出走した1936年「ノートン40M」。マシンに合わせてライダーもクラシックなスタイルでキメている。
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マンクス・トロフィーで2位に入った1964年「マチレスG50」。単気筒500ccの市販レーサーである。
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15台が出走したマンクス・トロフィーで、圧倒的な速さを発揮して優勝した1967年「ベロセット・ベノム・スラクストン」。