「モータースポーツジャパン2011 フェスティバル イン お台場」(後編)
2011.11.04 画像・写真2011年10月29-30日、東京・江東区青海で「モータースポーツジャパン2011 フェスティバル イン お台場」が開かれた。日本におけるモータースポーツの認知および地位の向上を目的として、2006年から始まったこのイベント。日常生活では接する機会の少ないモータースポーツを身近に体験してもらうべく、会場を都内の観光スポットに設け、入場無料で家族連れや子供でも楽しめるプログラムも設けるといったコンセプトのもと、自動車メーカーやタイヤメーカーが中心となって企画された。
今回で6回目を迎え、すっかりおなじみとなった感があるが、会場のレイアウトやプログラムは年々マイナーチェンジを重ねてきている。とはいえ、プログラムの中心が特設コースにおけるレーシングマシンのデモランであることに変わりはない。特設コースのあるA会場には、各メーカーやチューナー、ショップなどがブースを構え、歴代のマシンを展示するとともに、それぞれ趣向を凝らしたアトラクションを実施。今回は隣接するC会場にメインステージが設置され、そちらではドライバーのトークショーやグランツーリスモ対決などが行われた。またC会場には、往年のコンペティションマシンを模したレプリカカーやヒストリックカーも展示された。さらにA会場およびC会場と道を挟んだB会場では、昨年と同様に自動車メーカーおよびインポーターの協力による新型車の試乗会などが行なわれた。
主催者発表による2日間の入場者数は10万3285人で、10万人を割って過去最低を記録してしまった昨年より1万人以上多く、一昨年のレベルに戻った。世間では若者層を中心としたクルマ離れが喧伝されるなか、モータースポーツ、ひいてはクルマ文化を盛り上げようと、このイベントの開催に尽力している関係者の努力に敬意を表したい。ということで、会場で印象に残ったマシンやシーンを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)
(前編はこちら)

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「パイクスピークスペシャルラン」より、「EVスポーツコンセプトHER-02」。塙 郁夫選手のドライブにより昨年と今年のパイクスピークに出場したマシンで、豪快にスライドしてタイヤスモークを上げる絵柄は迫力満点だが、シュルシュルというタイヤの摩擦音とコースの砂利をはね上げる音しか聞こえないデモランは、一風変わったものだった。
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これもEV。プロドライバーが抽選に当たった幸運な来場者を乗せてコースを走る「同乗体験走行」で、松田次生がドライブした「リーフ ニスモRC」。後方の大きなスクリーンには、車載カメラが捉えた同乗者の表情がリアルタイムで映し出されている。ところでこのマシン、どこかで見たような気がすると思っていたら、先日、富士スピードウェイで開かれた「ルノースポール・ジャンボリー」で走っていた「メガーヌ トロフィー」だった。似てると思わない?
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これも「同乗体験走行」で、立川祐路が駆った「レクサスIS F CCS-R」。当選者に同乗体験するマシン/ドライバーを選ぶことはできないが、同乗できるだけでもうれしいのに、こんなスペシャルマシンに当たったら喜びもひとしおだろう。
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同じく「同乗体験走行」で、「砂子塾長」こと砂子智彦が駆った「マツダ・ロードスター NR-A」。マシンは目新しくはないが、カウンターステア当てまくりのドライビングが見事だった。塾長は走行プログラムの前に、毎回オフィシャルカーでコースの状態をチェックする役割も務めていた。お疲れさまでした。
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変わったところでは、こうしたスペシャルなタンデムのレーシングカートによる「同乗体験走行」も。同乗者の表情を見ればおわかりのとおり、「高低差のない絶叫マシン」のような体験は「めっちゃ楽しかった」とのこと。
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この日、走行エリアでもっとも盛り上がったのが、4大ワークス対抗(?)の「オールスター・スペシャルカートバトル」。各チーム3人のドライバーがリレー方式で競うというもので、出場ドライバーは左上から時計まわりにトヨタの立川祐路、伊藤大輔、脇阪寿一、日産(ここだけ2人)の本山 哲、ロニー・クインタレッリ、スバルの佐々木孝太、新井敏弘、吉田寿博、そしてホンダの佐藤琢磨、道上 龍、武藤英紀。実家がカート場を経営し、全日本カートチャンピオン経験者の本山をはじめカート上がりのドライバーが集うなか、スバルチームだけは3人そろってカート未経験。「ハンディがほしいね」というドライバーに対して、司会者から「年齢と体重のハンディも?」という突っ込みが入るなど、爆笑ムードのなかでレースは始まった。
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いざスタート! ファーストドライバーは、左から伊藤大輔(トヨタ)、ロニー・クインタレッリ(日産:彼はサードドライバーも務める)、武藤英紀(ホンダ)、佐々木孝太(スバル)。
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トップを行くのは武藤、次いでクインタレッリ、伊藤、やや遅れて佐々木。結果を言ってしまうと、ゴールまでホンダ、日産、トヨタ、スバルというこの順序だった。
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ドライバー交代は、カートから降りたドライバーが、10mほど離れた場所にいる次のドライバーのところまで駆け寄ってタッチするという方式。これはトップ争いをしていたホンダと日産のアンカーである佐藤琢磨(左)とロニー・クインタレッリが乗り込もうとする瞬間。僅差だったことがわかる。
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今回が「モータースポーツジャパン」初参加という佐藤琢磨がトップを保ったまま、勝利宣言も高らかにゴールイン!
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トヨタのブースで行われていたSUPER GTドライバーによるトークショー。出席者は左からアンドレ・ロッテラー、脇阪寿一、伊藤大輔、中嶋一貴、立川祐路、石浦宏明。めいっぱい場を盛り上げる仕切り役はもちろん、お笑いの世界に入っても成功したであろう、長男格の脇阪である。
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1971年のサファリラリーの優勝車である「ダットサン240Z」と「リーフ」を前面に展示していた日産のブース。
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ホンダのブースでは、塚越広大と、父である中嶋悟率いるNAKAJIMAレーシングから今季フォーミュラ・ニッポンに参戦した中嶋大祐がトークを繰り広げていた。
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メルセデス・ベンツのブースでは、1886年に作られた世界初のガソリン自動車といわれる「ベンツ・パテント・モートルヴァーゲン」(レプリカ)に乗って、当時風の衣装をまとったモデル嬢と記念撮影を行うサービスが実施された。
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「モンスタースポーツジャパン」や「スズキスポーツ」を率いる社長でもある田嶋伸博。自社ブースを訪れるファンに請われるまま、笑顔でサインや記念撮影に応じていた。
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日本レース写真家協会(JRPA)のブースでは、プロのレースカメラマンによるレーシングマシンとの記念撮影が行われていた。
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抽選会などを実施し、終始にぎわっていた「オートバックス」のブース。
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走行エリアのあるA会場に隣接したC会場には、30台の「ヒストリックカー」が展示されていた。
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C会場には、往年のコンペティションマシンを模した40台の「レプリカカー」の展示もあった。ズラリと並んだWRCマシンのレプリカ群。
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こちらはグループA時代の「R32スカイラインGT-R」のレプリカ。これらC会場に並んだ「レプリカカー」や「ヒストリックカー」を対象に、来場者の人気投票によるコンテストも実施された。(前編はこちら)