ルマン24時間2011 今年のおすすめ20景
2011.06.18 画像・写真アウディの2年連続総合優勝で幕を閉じた、2011年のルマン24時間耐久レース。『webCG』のニュースで伝えきれなかった現地の表情を、写真とともに紹介します。
(文と写真=島村元子/text&photo=Motoko Shimamura)
ルマン24時間耐久レース決勝の3日前、6月8日のひとこま。マーシャル一同がコースサイドに整列して、レースコントロールカーを見送る。これは「間もなく走行セッションが始まる」というサインでもある。ルマンでは、それぞれのマーシャルが毎年決まった場所で仕事をし、それを親から子へと引き継ぐと聞く。近くのパーキングには彼らのキャンピングカーがあり、期間中はここが彼らの「家」になることが多い。
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ルマン24時間耐久レース決勝の3日前、6月8日のひとこま。マーシャル一同がコースサイドに整列して、レースコントロールカーを見送る。これは「間もなく走行セッションが始まる」というサインでもある。ルマンでは、それぞれのマーシャルが毎年決まった場所で仕事をし、それを親から子へと引き継ぐと聞く。近くのパーキングには彼らのキャンピングカーがあり、期間中はここが彼らの「家」になることが多い。
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同じく8日。トリオ結成2シーズン目で今年のルマン覇者となった、No.2 アウディR18 TDI(フェスラー/ロッテラー/トレルイエ組)がミュルサンヌ・コーナーからインディアナポリス・コーナーへと向かう。ここは最高速が出る場所でもある。アウディの新型マシン「R18 TDI」のサウンドは、同じディーゼルの「プジョー908」と比べて低音の響きがほとんどない。通過する瞬間は、ただ風を切るような音が聞こえる。
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アメリカ人俳優のパトリック・デンプシー(写真)は、20年前にルマンを制した「マツダ787B」をデモランするという大役を果たすにあたり、“ミスター・ルマン”こと寺田陽次郎氏から「彼女(マツダ787B)はハタチのお年寄りだから、大切に乗ってね」と言われたのだとか。自身もまたアメリカでは「マツダRX-8」を駆り、自分のチームを率いて耐久レースに参戦している。
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パドック内にショップのたぐいは数あれど、年の差関係ナシに盛り上がるのがミニカーショップだ。老舗のブランド品から格安のものまで、種類も品数も実に豊富。年に一度のお祭りに出かけてお気に入りのミニカーを探すことも、24時間レース観戦のひとつの楽しみなのかもしれない。
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今年は「ILMC(インターコンチネンタル・ルマン・カップ)」の第3戦としても開催されたルマン24時間レース。サーキットには、同シリーズの第5戦となるイギリス・シルバーストン戦のプロモーション用ダブルデッカー(2階建てバス)が登場。洗濯挟みで吊るされたレーシングスーツが風になびいているカラーリングが、面白い。
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ルマン24時間耐久レースは周辺の一般道にまでコースを拡大して行われるが、通常のクローズドコースのメインエントランスがここ。向かって左側にはミュージアムもあり、中に入れば「耐久レースの聖地」が待っている。最近はアクセスのセキュリティが厳しくなり、クレデンシャルパスのチェックは行きも帰りも行うようになった。江戸時代の「入り鉄砲に出女(でおんな)」さながら!?
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フランスの国鉄にあたるSNCFルマン駅から徒歩圏内にある、ホテル・コンコルディア。設立1906年という老舗中の老舗にして、市内のファーストクラスホテルである。さらにレースウィーク中は、部屋の価格がスペシャルレートに跳ね上がるため、こちらのホテルは潤沢なレース資金があるチームオーナーやドライバー、ほか関係者が泊まることになるのだとか。
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日本のあるメディアスタッフがプジョーやアウディのワークスチームドライバーをはじめ、出場ドライバーに声をかけて集めた日の丸へのサインとメッセージ。これは先の東日本大震災で被災されたモータースポーツファンを励ますためのもの。「Bon Courage, Japon」(ガンバレ日本!)と書かれた日の丸は、7月末のSUPER GT菅生戦でお披露目される。写真左から、日本で活躍中のアンドレ・ロッテラー、ブノワ・トレルイエ、そして、かつて日本でレースをしていたトム・クリステンセン(一番右)も、一緒に写真に納まった。
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予選アタックでポールポジションを獲得したブノワ・トレルイエに記念の盾が贈られた。決勝前日となる10日(金曜日)の夕方、ルマン市内で開催されたパレードで観客にお披露目。ちなみにこの盾は2枚あり、1枚はACO(フランス西部自動車クラブ)から、そしてもう1枚はルマン市から贈呈されたものだ。パレードの途中も、数カ所でインタビュアーが待ちうけており、トレルイエはその都度インタビューに答えていた。
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市内パレードが終わり宿泊先に戻る途中で、こんなお店を発見! 「PAUSE MANGA」と名付けられたショップの店内には、たくさんのマンガが……。あいにくクローズドだったので直撃取材(?)はできずじまい。DVDやフィギュアもちらほら。ここに「ルマンのオタク」諸氏が集うのだろうか? つい想像。
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決勝日のお昼前、ルマンのコースでは次世代自動車として電気自動車のデモランが行われた。個人的にルックスが気に入ったのは、ベンチュリが手がける4輪駆動の電気自動車「Volage」。ヘッドランプ下のエアダクトがピンクにカラーリングされているせいか……真正面からじーっと眺めているとキュートな笑い顔に見えるのは、私だけ!?
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こちらは日産が用意したレース専用モデル「リーフ ニスモ RC」。ゼロエミッション車(走行時に排ガスを出さない環境に配慮したクルマ)として誕生した、EVのレーシングカーだ。当日は、日産のカルロス・タバレス副社長がドライブした。
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マツダが1991年にルマン24時間レースで総合優勝を果たしてからちょうど20年。記念すべき年にデモランの機会が訪れた。これにはACOの「大震災に苦しむ日本を応援したい」との思いも含まれている。エンジンの暖気が始まると、どこからともなく人が集まり、すぐに人山ができあがった。鼓膜にピリピリ当たるような甲高いエンジンサウンドがサーキットに響き渡り、まわりから自然と拍手が起こったのは、見ていてとても感動的だった。
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今年は、新たに日産のエンジンを搭載するマシンが出場。LMP2クラスで1-2フィニッシュを達成する好成績を残している。クラス2位だった26号車のドライバーのひとり、ルーカス・オルドネス選手は、何とプレイステーションの“ゲーマー”出身。カーレースのTVゲームに勝ち名乗りをあげたことで実戦ドライバーへと「出世」、ついにルマン24時間の表彰台に立つこととなった。
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LM GT Proクラス優勝を果たした73号車の「シボレー・コルベット」。毎年、フェラーリやポルシェとの三つどもえの戦いに注目が集まるなか、今年はそこに「BMW M3 GT」が割って入った。だが、いざ幕が開けるとコルベット強し! 惜しむらくは、もう1台の74号車がリタイヤに終わったことか。
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決勝レース直前、グリッド上でドライバーの集合写真撮影が行われた。その前にディスプレイされたのが、日本をサポートするメッセージが添えられたボードだった。中央の「ミス・ルマン」が持っているのは、ACOの協力によって集まった参戦ドライバーのサイン入りフランス国旗。この国旗はJAFに託され、オークションを通じて義援金の形で日本赤十字社に寄付される。
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レース開始から約1時間後。上位を走る3号車の「アウディR18 TDI」がダンロップコーナー先で大クラッシュを起こした。直前にいるチームメイトの1号車を猛追していたところに、周回遅れの車両とコース上で接触。このあと、1時間近くセーフティカーがレースを先導することになった。カーボンモノコックがバラバラに大破する激しいクラッシュだったが、ひっくり返ったアウディの天地が元に戻されると、ドライバーのマクニッシュは自力で脱出、歩くこともできたのだった。
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今年のレースは、あまり雨の影響を受けず周回を重ねていったが、度重なるセーフティカー導入で、最終的な周回数は大幅に減った。近年まれに見るさわやかなレースウィークエンド。朝晩の冷え込みこそツラかったが、早朝の朝焼けはとても清々しく、眠たかった目も一気に覚めてしまった。
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355周の戦いを終えて表彰台下へと運ばれたNo.2 アウディR18 TDI。ゼッケン2の右隣にある赤いランプが1つ点灯しているのは、「1位の証拠」である。このマシンは、レギュレーション変更による排気量の縮小を補うため、空力性能面で有利となるクローズドボディを選択。ルマンのデビューイヤーに総合優勝を果たすことになった。
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レース後、記者会見を前にドライバーには別の仕事が待ち受けていた。それはウィナーとしての手形を取ること。完成したブロンズ板は、来年のルマン24時間レース前に、ルマン市内のショッピングエリアに近いセント・ニコラスに埋め込まれることになる。記者会見場を探してウロウロしていたところに、たまたまこの場面に遭遇した私にとっても、貴重な経験といえるかも!?