酷評もされたBEVのフェラーリが4000万ドル!? 「ルーチェ」の初物に誰が、なぜ大金を出したのか?
2026.08.28 デイリーコラムひとケタ間違えてないか?
フェラーリ初の電気自動車(BEV)「ルーチェ」が、米カリフォルニア州のモントレーカーウイーク中に開催されたRMサザビーズオークションにおいて、4000万ドルで落札された。第一報を受けた際、「そんなはずはない、誰かがケタを見間違えたに違いない」と思ったけれど、まさかの本当だった。
日本円にして60億円超。たまげた。「250GTO」の話ではないのだ。ルーチェはもうじき量産の始まる新型車であり、いかに生産0号車で、マラネッロにとって歴史的なBEVで、テーラーメード特別仕様の個体だ、とはいっても、クルマの価値そのものは110万ドル程度であると、マラネッロ自身がエスティメート(予想落札)価格として見積もっている。落札額はその40倍近い。RMオークション史上、“新車”としては最高の落札額となった。
もちろんこの落札額はルーチェ0号車そのものの価値ではない。どんなに歴史的で、どれほど特別な仕様であろうとも、生まれたばかりのクルマにその札をぶら下げるには、さすがのフェラーリでもまだ早い。ここで競られたのはクルマだけではなく、マラネッロが電動化の入口で用意した“最初の物語”に、チャリティーとして自分を登場させる権利だった。
“チャリティーオークション”であったことが、この途方もない落札額の本質だ。特別で歴史的なフェラーリという希少性に、庶民には想像もつかない大金持ちの“日常的な”寄付行為が重なった。フェラーリの神話づくりと、超富裕層の善行、そして少しばかりの自己欲求とが交差した結果というべきだろう。
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超富裕層だけの“使い方”
アメリカでのドネーション(寄付)には税制上の優遇がある、と知ったふうに言うことはできる。年収など条件次第で相当額の控除を受けられる(今回の場合、もし年収が数千万ドル以上あれば、向こう何年かにわたって最大1300万ドル程度(1ドル160円換算で約20億円!)の節税になるという)。それを差し引きしてもなお、実際に財布から出ていく金額は途方もない。節税のためにチャリティーオークションで大金を払った、などという理解では、この話の核心は見えてこない。
つまり買い手の像を、年収や納税額の感覚だけで想像してはいけないというわけだ。見るべきは「途方もない資産をどう使ってきた人物なのか」「どのように使うのがアメリカの常識であるか」である。アメリカでは1億ドル規模の巨額寄付を毎年のように行うビリオネアが少なからずいるという。例えば、かのビル・ゲイツ氏は昨2025年、実に37億ドル(当時の水準である1ドル150円換算で5550億円)もの寄付をした。ビリオネアの界隈では寄付もまた、人であり、社交であり、人生観であり、自己表現のひとつなのだ。
今回、落札したのは米フロリダ州の億万長者、ハーバート・ワートハイム氏、通称ハービー博士だったことが判明している。眼科医にして発明家、投資家、そして慈善活動家。紫外線が網膜に与える影響に着目し、メガネ用プラスチックレンズのUVカット染料を開発した。その後、光学関連企業Brain Power Inc.を創業。同社はメガネレンズ用の着色剤や眼科用化学品で急成長した。
本人や同社は多数の特許を持つとされるが、彼の資産形成を決定づけたのは、それだけじゃない。事業利益を株式市場へ長期にわたって投じ続けていたのだ。富の源泉は実は投資だったというわけで、アップルやマイクロソフトへの初期投資や航空宇宙部品メーカー・ヘイコ株の大口保有(筆頭株主であった)などで知られる。派手な起業家というより、スタートアップの目利きで株を長く持ち続ける投資家、であろう。
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チャリティーでフェラーリの物語に絡む
フォーブスの推計によれば、ハービー博士の純資産は約47億ドル(1ドル160円換算で7520億円)。イーロン・マスクやジェフ・ベゾス、ビル・ゲイツのようなケタ外れの怪物資産家ではない。とはいえ、米国の超富裕層トップ400に入る人物であり、4000万ドルという金額を、単なる消費ではなく使命として使える側の人間ではあった。
47億ドルの資産家にとって4000万ドルは、総資産の1%にも満たない。それでも、誰もがこのようなクルマの買い方をするわけではないだろう。彼は生前に資産の多くを社会へ還元したいと公言しており、しかもフェラーリが好きだった。だから彼は、マラネッロの物語における登場人物の一人として名を連ねるべく、自分なりのかたちで行動したのだ。
実を言うと彼の大盤振る舞いは今回が初めてではなかった。2025年のモントレーでもハービー博士は「フェラーリ・デイトナSP3」の特別仕様車「599+1」を2600万ドルで落札している。今年と同じくフェラーリ財団を支援するチャリティーオークションだった。
つまり今回のルーチェ落札劇は、衝動買いでも、会場を沸かせるためだけの派手なアクションでもなかった。フェラーリの歴史的節目に巨額を投じることで教育支援へ資金を流すという、彼なりの一貫した慈善行動の延長線上にあった。ちなみにデイトナSP3は別の個体が最近、1700万ドル以上で落札されているから、ハービー博士の昨年の落札額も、見方によっては市場の文脈に合うものになってきているといえる。
ルーチェにとっては最高のアピール
赤いフェドーラ帽をトレードマークにするハービー博士は、希少なフェラーリを買うことで、価格の記録だけでなく、物語という記録にも関わったわけだ。最後のデイトナSP3、そして最初のフェラーリBEV。内燃機関の祝祭と電動化の門出。その両方に、巨額の寄付金という確かな筆致でもって自らの名を記した。マラネッロの親しいコレクターという顔と、世界のパトロンという顔がひとつに重なったのだ。
その事実こそマラネッロにとって最も重要な結果であった。世界の超富裕層に向けて、ルーチェはただのBEVではない、と、これ以上なく高らかに告げることができたうえに、次世代ビリオネアへの強烈なアピールにもなった。
超富裕層向けのビジネスでは、良い商品をつくることと同じくらい、その村の住人たちが欲しがる物語を差し出せるかどうかが重要になる。マラネッロはまさに、その物語を真新しい小説にして刷ってみせたといっていい。
エンジン音によって神話を築いてきたブランドが、モーターの時代へ踏み出す。その最初のページに、移民家庭に生まれた眼科医であり投資家でもある老富豪が、4000万ドルの署名をした。エネルギー源が変わっても、形やデザインが変わっても、フェラーリが創り出すクルマの本質はそう簡単には変わらない。クルマそのものはもちろん、そこに乗る資格であり、語り継がれる物語が重要なのだ。これからも音色を時代によって変えながら、特別な調べを奏で続けていく。マラネッロのそんなマニフェストが生んだ鮮烈な出来事であった。
(文=西川 淳/写真=フェラーリ/編集=関 顕也)

西川 淳
永遠のスーパーカー少年を自負する、京都在住の自動車ライター。精密機械工学部出身で、産業から経済、歴史、文化、工学まで俯瞰(ふかん)して自動車を眺めることを理想とする。得意なジャンルは、高額車やスポーツカー、輸入車、クラシックカーといった趣味の領域。
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