零戦エンジン始動見学会
2013.04.08 画像・写真航空機ファン、ミリタリーファンにうれしいお知らせ。埼玉県所沢市にある所沢航空発祥記念館で開催されている「日本の航空技術100年展」の、2013年8月31日までの会期延長が決まった。
この特別展の目玉は、米国プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(POF)から運ばれてきたゼロ戦こと零式艦上戦闘機の展示。オリジナルの栄エンジンで飛行できる世界唯一の機体である。
当初、100年展の終了とともに、北米へ輸送するため解体されるはずだった。このたびの会期延長にともない、解体見学会に代わり、4月1日、「零戦エンジン始動見学会・零戦見学会」が行われた。
なお、零戦の展示は、4月2日、3日の整備点検を経て、4月4日13時から再開されている。
(文=青木禎之/写真=DA)

所沢航空発祥記念館にて。米国プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(POF)所有の機体。ゼロ戦の後期型にあたる「五二型」。各型のなかで、最も多く生産された型だ。
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所沢航空発祥記念館にて。米国プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(POF)所有の機体。ゼロ戦の後期型にあたる「五二型」。各型のなかで、最も多く生産された型だ。
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「零戦エンジン始動見学会・零戦見学会」の開催にあたって、館長からのあいさつ。この後、日米両国の国歌がスピーカーから流された。
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ゼロ戦に乗り込むPOFのジョン・マロニー氏。当機は、1944年6月に、米軍がサイパン島を占領した際に捕獲されたもの。護衛空母コパイに載せられ、北米本土へ移送。かの地で調査に供された。テスト後、“余剰品”として解体を待っていたところを、POFによって購入された。
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オリジナルエンジンで飛行できる唯一の機体。搭載されるのは、栄ニ一型。27.9リッター星形14気筒エンジンで、1段2速式のスーパーチャージャーを備え、離陸馬力1130hp/2750rpmを発生する。POFの機体には、レストア時にセルモーターが追加装備された。
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始動の瞬間。直後の白煙はすごいが、思いのほか、軽やかに回る。POFスタッフのメンテナンスが行き届いているのだろう。
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エンジンの回転が落ち着くのを待つ。栄エンジンは、逆流防止付きの弁を備えたキャブレターを採用し、機動による燃料供給の停滞を避けることができた。
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タクシングを開始。垂直尾翼に描かれた機番「61-120」は、オリジナルのもの。61は、第261航空隊を表す。
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貴重な栄エンジンの音を拾おうと、本格的なマイクが伸びる。
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ごく限られたスペースを移動するため、垂直尾翼に連動して、尾輪がステアするようになっている。
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タクシングが終わると、たちまちファンに囲まれる。言うまでもないが、ゼロ戦は、三菱重工業の堀越二郎氏の手になる傑作戦闘機。初飛行は1939年。戦場では、その運動性の高さで連合軍パイロットを驚かせた。増槽(落下式の増加タンク)を備え、2200kmという驚異的な航続距離を誇った。
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続いて行われた、ゼロ戦の解説。POF機は、1943年5月に、中島飛行機小泉製作所で生産された機体。ゼロ戦は「三菱の飛行機」ではあるが、実際の生産機数の6割強は、中島飛行機で作られた。なお、「五二型」は、「甲」「乙」「丙」のサブタイプに分けられる。甲乙……といっても性能の優劣ではなく、登場時期による。POF機は、生産時期から、相当初期の「五二型甲」だろう。
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格納庫から運ばれてきたデバイス。これは、エンジンをスタートさせるためのイナーシャ(慣性起動機)。重量のあるはずみ車を回して運動エネルギーを蓄積し、クラッチを介してエンジンと接続、起動する。
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POFの機体にはセルモーターが装備されるが、本来は、クランクシャフトの先にイナーシャが搭載される。
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イナーシャは本来、2人で回すように設計されているため、ひとりでの作業は大変な重労働だったようだ。独特の音を発する。イナーシャでのエンジン起動は、フレンチブルーでおなじみの(!?)“クランクがけ”と原理的には同じ。
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ゼロ戦の強さの秘密が、翼内に積んだ20mm機関砲だったという。当てるのは難しいが、当たれば威力が大きく、1発で敵戦闘機を撃墜することも可能だった。写真は、前期型の九九式一号。「五二型」には、より長砲身にして初速(威力)を上げた九九式二号が使われた。給弾方式がドラム式からベルト式になり、携行弾数も125発と、初期型の2倍に増えている。
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向かって右の人が手にするのが、ゼロ戦の自動消火装置に使われた管。翼内タンクに備えられ、炭酸ガスを噴射して鎮火した。
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操縦席をのぞむ。初戦では無敵を誇ったゼロ戦だが、熟練パイロットが減り、連合国側の装備が充実すると、一転、悲劇の戦闘機となる。後継機種が育たなかったため、結局、大戦を通じて主力として働かざるを得なかった。
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機動性、航続距離を重視する一方、防弾装備は貧弱だった。「五二型乙」には、フロントスクリーンに防弾ガラスが装着され、丙では、パイロット席背後に防弾鋼板が付けられた。しかし現地の部隊では、重量増加を嫌って、外してしまうことも多かったという。
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張り詰めた無駄のない姿が美しい。1000馬力級の機体として、究極のカタチのひとつだったが、反面、発展の余地が少なかった。ゼロ戦より少し前にデビューした、「メッサーシュミットBf109」「スーパーマリン・スピットファイア」などが、2000馬力級のエンジンに換装して、大戦末期まで強引に性能アップを図ったのとは対照的。とはいえ、アジアの島国が、当時第一級の航空機を開発し得たことは、大いに誇っていいことだろう。
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故国の桜を見て、何を思う? ゼロ戦を、素晴らしい状態で保存しているPOFに感謝すると同時に、英霊のご冥福をお祈りします。