貴重な旧車やスタントショーも! 「オートジャンボリー2013」の会場から
2013.07.24 画像・写真2013年7月20-21日、埼玉県伊奈町にある埼玉自動車大学校で「オートジャンボリー2013」が開かれた。そもそもは自動車整備の専門学校である同校が、教育方針や学生の活動内容の周知を目的として7年前に始めたものだが、回を重ねるにしたがって開催規模が拡大してきた。メインイベントともいえるグラウンドにおける車両展示は、20日はデザインカー(痛車)、21日はヒストリックカー(旧車)が対象だったが、そのうち旧車は当初の募集予定の200台を超える応募が殺到。なんとか260台まで枠を拡大したが、断らざるを得ない参加希望者もあったというほどの盛況ぶり。車両展示のほかにも二輪のエクストリームや四輪のスタントショー、近隣のディーラーの協力による新型車の試乗、さらには音楽演奏や子供向けのプログラムまで盛りだくさんで、老若男女が楽しめる内容だった。実際に会場には家族連れ、それも3世代がそろってミニバンに乗ってやってきたような来場者が少なくなく、さまざまな角度からクルマに触れ親しむイベントとして、すっかり地域に浸透しているようだった。そんな会場からヒストリックカー展示を中心に、印象的なシーンを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

グラウンドには、一般参加の260台に埼玉自動車大学校の所有車両20台を加えた旧車が大集合。
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グラウンドには、一般参加の260台に埼玉自動車大学校の所有車両20台を加えた旧車が大集合。
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「千5」のシングルナンバーが付いた1966年「いすゞ・ベレット1500デラックス」。現オーナー氏のおばあさんが愛用した後、長らく車庫に眠っていたクルマを、最近になってレストアしたのだという。エンジのボディーに黒いルーフという英国車っぽい塗り分けがシックである。
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レストアされ、まるで新車のように美しい1966年「プリンス・グロリア6ワゴン」は、日本で初めて直6 SOHCエンジンを積んだ高級コマーシャルカー。つまり名称はワゴンだが、4ナンバーの商用バンなのである。ちなみに2代目「グロリア」には5ナンバーの乗用ワゴンも存在し、そちらの名称は「グロリア6エステート」。ややこしいのである。
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「多摩5」のシングルナンバー付きで、しかもほぼフルオリジナルの1968年「トヨペット・クラウン・スーパーデラックス」。前年の67年にデビューした3代目クラウンの最上級グレードだが、この個体は3段マニュアル・コラムシフト仕様。イージードライブ化のさきがけとなったクラウンだが、当時のAT装着比率はまだ3割前後だったという。
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これも「栃5」のシングルナンバーが付いた1969年「ダットサン・ブルーバード1600ワゴン」。ブルーバードには初代310の時代から乗用ワゴンが存在していたが、この510ワゴンはカタログモデルの「エステートワゴン」ではなく、4ナンバーの「バン・デラックス」を新車時に5ナンバー登録したものという。なぜそんなことをしたかといえば、新車価格が70万円前後だったワゴンに対して、バン・デラックスは10万円近く安かったから。
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一部の補修塗装を除いてはオリジナルという1962年「マツダR360クーペ」。ノンレストアで、これだけのコンディションを保っている個体は希少であろう。リアに積まれたエンジンは4ストロークの空冷Vツインで、軽量化のためにアルミやマグネシウムまでが使われていた。50年代のオート三輪の時代から、フロントのウインドシールドには安全合わせガラスを採用するなど、当時のマツダは見えない部分にもコストをかけていたのだ。
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こちらもオリジナル度が高い1973年「スバル・レックス4ドアカスタムL」。72年に「R-2」の後継モデルとして登場したレックス。中身はR-2から受け継いでいるが、ウエッジシェイプのスタイリングで若者向けにシフト。デビュー当初のCMソングは、その年に『結婚しようよ』でブレイクした吉田拓郎(当時の表記は「よしだたくろう」)が歌っていた。
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1974年「スズキ・フロンテ・ハッチ」。フロンテがリアエンジンだった時代に、RRでは貨物の積載性に難があることから、駆動方式をFRに改めて登場した商用バンが「フロンテ・バン」。そのフロンテ・バンの後継モデルとなるのが、このフロンテ・ハッチ。新車当時もほとんど見た記憶がなく、残存車両は非常に希少。フロンテ用の3気筒ではなく、軽トラックの「キャリイ」用の水冷2ストローク2気筒エンジンを積む。
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新車からとおぼしき「足立55」ナンバーを付けた、1972年「マツダ・サバンナGT」。ハコスカ「GT-R」を破ってツーリングカーレースの覇者となった、「RX-3」ことサバンナGTの初期型。抜群のコストパフォーマンスから暴走族御用達として改造され、ツブされてしまったクルマが多いなか、オリジナルコンディションを保った貴重な残存車両だ。
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ラリー仕様に仕立てられた、2台の1970年「三菱コルト・ギャランAII GS」。70年式というと異形ヘッドライトの初期型じゃないの? と思ったあなたは、かなりの旧車通。ラリーで夜間走行をする際にオリジナルのシールドビームの異形2灯では照度が足りず危険なため、後期型用の丸形4灯用のグリルに替え、ハロゲンライトを装着しているのである。
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1978年「三菱ランサー・セレステ1600GSR」。初代ランサーをベースに、3ドアハッチバック・クーペボディーを着せたスペシャルティーカー。運動性能ではラリーでも活躍したコンパクトなランサーのほうが勝り、こちらはムード重視。当時三菱がクライスラーと提携していたため、北米では「プリマス・アロー」の名で販売された。
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1981年「ダットサン・ブルーバード1800ターボSSS-S」。3代目510をほうふつさせるクリーンなスタイリングとバランスの良さで、久々のヒット作となった6代目910ブルーバード。日本では日産が先鞭(せんべん)をつけたターボ仕様の追加で、さらに人気が加速した。この個体は純正アルミホイールをはじめ本来の姿を維持しており、コンディションも良好。ちなみにイメージキャラクターは全盛期の沢田研二だった。
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1982年「トヨタ・セリカXX 2800GT」。セリカ・リフトバックのノーズを延ばして直6エンジンを積んだモデルがセリカXX(ダブルエックス)。これは初代「ソアラ」と同じ、当時国産最強の2.8リッター直6 DOHCを積んだ、2代目XXのトップグレードである2800GT。フェンダーミラーを備えた初期型で、見たところオリジナル度は非常に高い。
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1982年「トヨタ・セリカ1800GT-TS」。セミリトラクタブル・ヘッドライトを採用していた3代目セリカの、グループBのホモロゲーション取得用に200台が限定生産されたラリー用ベース車両。国産初のツインカムターボだった1.8リッターエンジンは若干拡大され、リアサスペンションはセミトレーリングアームの独立式から整備性で勝る4リンクの固定式、フロントフェンダーは樹脂製となり、装備は簡素化されている。
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1986年「トヨタ・カローラFX1600GTリミテッド」。AE86こと「レビンGT」が存在した5代目カローラに、「2BOX上級生」というキャッチフレーズを掲げて追加された3/5ドアハッチバックがカローラFX。その最強グレードである1600GTは、日本で初めて2ボックスボディーにDOHCエンジンを積んだホットハッチである。当時はAE86に比べるとスマートな印象で、新時代を感じさせた。
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ペリメーター式のセパレートフレームを持つ1980年「トヨタ・クラウン」をベースとする、都内近郊ではまず目にすることがなくなった宮型霊きゅう車と、刑事ドラマに登場する劇用車のパトカー風に仕立てた1983年「日産セドリック・セダン」という、相当にアクの強いツーショット。
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6台並んだ360cc時代の軽トラ。左から2代目&初代「三菱ミニキャブ」、「マツダ・ポーターキャブ」×3台、そして2代目「スバル・サンバー」。
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全部で30台ほどだった輸入車のなかから、1962年「フィアット600シオネリ」と54年「フィアット1100TV」。600シオネリは、55年に登場した600の内外装をカロッツェリア・シオネリが仕立てた仕様。1100は戦前から伝統のあるファミリーセダンだが、TVは「ツーリズモ・ヴェローチェ」の略で、すなわち高性能版である。
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埼玉自動車大学校の所有車両である1962年「マツダB360ライトバン」。前出の「R360クーペ」と基本的に同じ空冷Vツインエンジンを積んだ軽ライトバンで、トラックも存在した。日本で生産終了した後にミャンマーに生産設備が譲渡され、現地生産されたという。
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これらも学校の所有車両。ラインナップは左から「ダットサン210」、「ホンダ145クーペ」、「いすゞ117クーペ」、初代「トヨタ・セリカ・リフトバック」、初代「トヨタ・カローラ」。
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構内に展示されていた、学生が製作したカスタムカー。東京オートサロンなどで見覚えのあるクルマが多かった。
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埼玉県警の協力により展示されていた「日産スカイラインGT-R」(BNR34)のパトカー。運転席への乗り込みも自由で、ほかに2代目「スバル・インプレッサ」のパトカーもあった。
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こちらの3台の白バイも跨(また)がり放題だった。
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自衛隊の協力による「高機動車」(左)と「1/2tトラック」も、乗り込み自由だった。「疾風(はやて)」の愛称を持つという高機動車の民生用が、かつてラインナップされていた「トヨタ・メガクルーザー」。いっぽう1/2tトラックは「三菱パジェロ」がベースである。
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近隣の小学生が描いた「未来のクルマの絵」を展示したコーナーで、子供たちに大人気だった「落書きグルマ」。
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このイベントではすっかりおなじみになっている、チーム「NO LIMIT JAPAN」によるエクストリーム・ショー。4人のライダーがウィリーやストッピー(ジャックナイフ)などの妙技を披露した。
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これも「NO LIMIT JAPAN」の出し物である、通称「地獄車」。バイクのジャックナイフのように前のめりで停止し、その勢いでひっくり返ってから、再び逆に戻ってくる(1回転はしない)。同乗を希望した来場者を助手席に乗せている。ところで「地獄車」と聞いて、スポ根ドラマ「柔道一直線」を思い出すのは、50代以上だろうな……。
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こちらもおなじみ、TVドラマや映画のカーアクションで活躍するスタントチーム「チームラッキー」によるスタント走行。まずは片輪走行から。
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続いては、勢いよくバックした後にスピンターンして前進する「バックスピンターン」。こちらも数名の来場者が同乗を許された。
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スタントショーのラストを飾ったのは、最後にしかできない演目である「車両横転」。ロールバーなど入っていない車両は、ご覧のとおりルーフがほとんどつぶれてしまっている。しかし、石原プロ作品を筆頭に数えきれないほどこうしたシーンを演じてきたという、ノーヘルにTシャツ姿のベテランのスタントドライバーは、当然ながらまったくの無傷。