「日産フィガロ」もイタリア漂着!? ヒストリックカー見本市「アウトモト・デポカ」
2013.10.30 画像・写真2013年10月24日から27日の間、イタリアを代表するヒストリックカー&モーターサイクルショー「アウトモト・デポカ(Auto Moto d'Epoca)」が、北部パドヴァで開催された。
アウトモト・デポカは今年で第30回。東京ドームの面積の約2倍にあたる会場には、およそ3600台の実車が展示されたほか、約500のパーツ&アクセサリー・ショップも軒を連ねた。
燃料高騰や高級車に対する税務調査強化を背景に、大排気量車を中心にイタリアのヒストリックカー市場は楽観できない。だが、それだけに放出される車は増え、結果として会場は活況を呈した。往年のカロッツェリアによるさまざまな一品製作から、メルセデス“ハネベン”ベースのピックアップのような奇品珍品まで、そのバラエティーぶりを写真で紹介しよう。
路上ではなかなか見ることができない日本車の出品もみられた。「日産フィガロ」はイタリアでは珍車中の珍車のため、多くの来場者に注目されていた。ある来場者が「面白そうだが、ATをはじめパーツが心配」というので、席を外していたオーナーの代わりに筆者が「『日産マイクラ(日本名:マーチ)』と共通パーツが多いよ」と教えると、「ああ、そうなんだ」と感心していた。
いっぽう屋外には、走行8万kmの1993年「日産(フェアレディ)300ZX」があった。オーナーのエジディオ・ソリーゴさんはコレクションを一部整理するため、同車を持ってきた。会期中のオークションで、最低落札価格を1万8000ユーロ(約242万円)に設定したものの、ハンマープライスとはならなかった。
オークション終了後、ソリーゴさんがエンジンをかけると、滑らかに回るV6ユニットの音に、どこからともなく周囲の人々が集まって“鑑賞会”が始まってしまった。
その様子を眺めながら、彼は「なんか売りたくなくなってしまったよ。手元に残って、良かったのかもしれない」と、笑みを浮かべながらつぶやいた。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)

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クラブ展示もさまざま。これは会員数500人という「フィアット・バルケッタ」のクラブ。「2年後には製造20年の車両もイタリア古典車協会のヒストリックカー登録が可能になり、各種優遇措置が得られるようになります」とスタッフは語る。
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7号館は、まるごとパーツやアウトモビリア(自動車趣味グッズ)のパビリオン。
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個人売買専門のパビリオンは、最も熱気に満ちた会場だった。かつてフィアットのワークスカーだった1996年「フィアット500 1100アバルト」は、1万5000ユーロ(約202万円)。
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1992年「スズキ・サムライ」を展示していたのは、ベネチアから来たクリスティアーノさん29歳(写真右)。「機構がシンプルで故障知らずだったよ」と今までを振り返る。
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1991年「日産フィガロ」。日本と同じ右ハンドルの英国では、一時かなりの人気があったが、イタリアでは知る人さえまれな珍車中の珍車である。1万2900ユーロ(約173万円)で交渉可とのこと。
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ダイハツ製エンジンが搭載された「イノチェンティMINI」は、その信頼性がイタリアでは今も語り草である。しかし、この「デ・トマソ ターボ」は今日かなりレアだ。1989年製で7000ユーロ(約94万円)。
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普通の人々とともに生きた普通のクルマたちが、偶然にも集まっていた一角。「フィアット131」(写真手前)は、2000ユーロ(約27万円)。
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屋外の業者展示から。フォード車は現役時代におけるノーマル車両の多さから、たとえ珍しいバージョンであっても疎んじられがちなのが惜しい。これもそのひとつ。1984年「フォード・シエラXR4i」は8500ユーロ(約114万円)。
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イタリアを代表するヒストリックカー誌『ルオーテ・クラシケ』は「貧しく、美しく」と題した、評価額1万2000ユーロ以下限定のコンクールを行った。初日のクーペ部門には、写真の1983年2代目「フォルクスワーゲン・シロッコGT」も参加した。
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1985年「メルセデス・ベンツ240Dリムジン」は、エンジンを換装。イタリア古典車協会登録済みで、9000ユーロ(約121万円)。
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こちらも業者展示で、1962年「メルセデス・ベンツ300SE」を改造したピックアップ。9500ユーロ(約128万円)のプライスタグが下げられていた。ちなみに荷台のスクーター、1964 年「ランブレッタ150スペシャル」は2700ユーロ(約36万円)。
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イタリア国家警察払い下げの「アルファ75」。ディスプレイしていたのは、アルファスッドのクラブ。彼らは、後継モデル各種まで広く扱っている。
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古いナンバー専門のレストア工房。さびて欠け落ちてしまった部分も復元する。もちろん公道走行が可能だ。
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スペシャルモデルも、あちこちで発見することができた。これは、アレマーノのスペシャルボディーをまとった1954年「フィアット1100」。スペック表には「ミッレミリアに最適」とうたわれていた。
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前述の「貧しく、美しく」コンクールにやってきた、ヴィニャーレによる1963年「フィアット600Dクーペ」。
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カロッツェリア・トゥリングによるアルミニウムボディーをもつ1964年「サンビーム・ベネチア」。160台が生産される計画だったが、実際に造られたのは100台以下にとどまり、現存台数は28台という。
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「フィアット500」のエンジンを用いたモノポスト、1969年「レペット500モンツァ」は1万1500ユーロ(約155万円)。
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「貧しく、美しく」コンクールにやってきた1974年「フィアット130クーペ」。455台が生産された。
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会期中に開催されたオークション出品車から。イタリアの工房「G.S.」が1972年に製作したワンオフ「18/4ベルリネッタ プロトタイプ」。ナンバー付きで、公道走行が可能である。
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1993年「日産300ZX」がエンジンを掛けると、その滑らかなエンジン音に人々が聴き入っていた。