「ジャパン・クラシック・オートモービル2015」の会場から
2015.04.09 画像・写真2015年4月5日、東京・日本橋周辺で「ジャパン・クラシック・オートモービル2015」が開かれた。2010年に始まり、今回で5回目(13年は荒天により中止)を迎えたこのイベントは、日本国道路原標が置かれている道路交通の原点であり、重要文化財である日本橋に往年の名車を展示し、交通の文化と歴史に思いをはせるというもの。数ある自動車関連イベントのなかでも、東京都心のまさにど真ん中で開催される唯一のイベントでもある。例年どおり1956年に設立された、由緒正しい旧車クラブである日本クラシックカークラブ(CCCJ)の監修のもとに集められた展示車両は、希少性、コンディション、そしてヒストリーのすべてにおいて申し分のない35台。これまた重要文化財に指定されている日本銀行本店本館の前庭と、それに面した江戸桜通りに早朝から並べられた。正午近くには車検付きの車両が日本橋に移動し、日本橋上から銀座方向に向かって歩行者天国となった中央通りに展示された。当日は一日中小雨がしょぼつくあいにくの天候だったが、しっとりとぬれた名車のボディーに桜の花びらが舞う光景は、それはそれで情緒のあるものだった。(文と写真=沼田 亨)

日銀本店本館前の江戸桜通りには戦後のモデル13台が並んだ。
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日銀本店本館前の江戸桜通りには戦後のモデル13台が並んだ。
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去る2月に天寿を全うした(享年105)片山 豊氏をしのんで、彼にゆかりのモデルが展示された。これは片山氏が日産に入社した2年後に世に出た1937年「ダットサン16型クーペ」。エンジンは直4サイドバルブの722cc。日産の座間記念庫に保管されている個体。
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1939年「日産81型バン」。展示会場のすぐ近くに日本橋本店がある三越で配送用に使われていたというセミキャブオーバー型バン。3.7リッター直6サイドバルブエンジンを搭載。2002年に日産社内でレストアされ、座間記念庫に保管されている。
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1955年「F/F(フライング・フェザー)」。片山氏が提唱した「最大の仕事を最小の消費で」をコンセプトに、名設計家の富谷龍一氏が具体化した軽自動車。軽量設計のいわば元祖エコカーだが、生産台数は200台弱で残存車両は極めて少ない。この個体は石川県小松市にある日本自動車博物館の所蔵車両。
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「F/F(フライング・フェザー)」は、ラダーフレームのリアに空冷Vツイン350ccエンジンを搭載。ホイールは19インチのワイヤホイールで、ブレーキはリアのみ。製造は日産の下請けボディーメーカーだった住江製作所で行われた。
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右から吉田 茂元首相が愛用していた1937年「ロールス・ロイス25/30HP スポーツサルーン・バイ・フーパー」。かつて小林彰太郎氏が所有していた38年「アルヴィス・クレステッドイーグル・メイフェア・リムジン」、そして日本自動車博物館所蔵の37年「パッカード・スーパー8」。荘厳な雰囲気の背景(日銀本店本館)にふさわしい、30年代の英米高級サルーンがそろい踏み。
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今回が本邦デビューとなった、ワンオフのスペシャルである1949年「フィアット1100Eギア・ジョイエッロ・アバルト」。フィアット1100のシャシーにカロッツェリア・ギアがボディーを架装し、エンジンはアバルトチューン。新車当時にヴィラ・デステ(イタリアのコモ湖畔で1929年から開催されているコンクールデレガンス)で受賞歴があるという。最初期タイプと思われるアバルトのエンブレムも大いに注目を集めていた。
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正午近くに車検付き車両が日本橋へと自走で移動。先頭は慶応大学自動車部の1931年「フォードA型フェートン」、それに続くのは法政大学自動車部の48年「ジャガー3-1/2リッター・サルーン」。
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「5」で始まる、陸運支局がなかった時代の東京ナンバーを付けた1937年「ダットサン16型ロードスター」。先に紹介した日産が所蔵するクーペのオープン版で、これらのほかにセダンとフェートン(4人乗りオープン)もラインナップされていた。
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1935年「オースチン・セブン・ニッピー」と、この時期だけ運行しているベロタクシー(日本橋 桜タクシー)が並走。かたや車齢80年だが原動機付き、かたや最新式だが人力という新旧の対比がおもしろい。
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1935年「フィアット・バリッラ508Sコッパドーロ」から47年「フィアット500Bザガート・パノラミカ」、52年「オスカMT4 1100」と続く、イタリアン軽スポーツの隊列。
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ひよこのような、なんともかわいらしい後ろ姿は1947年「フィアット500Bザガート・パノラミカ」。通称トッポリーノこと戦前生まれの初代「フィアット500」がベースである。
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停車中の「トヨタ・プリウス」の脇をいく、車齢90年以上の1924年「ブガッティT13ブレシア」。ドライバーのヘルメットに描かれたマル「ぶ」印がイカしている。
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1952年「オスカMT4 1100」。マセラティの創立者であるマセラティ兄弟が、戦後に故郷ボローニャで設立したメイクがオスカ。MT4は自社開発の直4 DOHCエンジンを積んだレーシングスポーツである。
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1961年「ファセル・ヴェガ・ファセリアF2」。戦後のフランスで唯一高級車メーカーとして名乗りを上げたファセルの、1.6リッター直4 DOHCエンジンを積んだ小さな高級クーペ。
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1974年「シトロエンDS23」。今年生誕60周年を迎えたDSの最終発展型。シトロエンの持つ前衛性を見事に商品性に転化し、20年間に140万台以上作られた異色の名車である。
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1963年「メルセデス・ベンツ190c」。今日の「Eクラス」の先祖にあたる、60年代前半のメルセデスの最廉価モデル。とはいえ日本では「クラウン」や「セドリック」の上級グレード2台分以上に相当する高級車だった。
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日本橋上にはナンバー付き車両18台が展示された。この1931年「フォードA型」は、20年代から30年代にかけて横浜に存在した日本フォードでノックダウン生産された個体である。
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日本橋上に巨体を横たえる、正規輸入車という1961年「リンカーン・コンチネンタル・コンバーチブル」。戦後型としては非常に珍しい、観音開きの4ドアコンバーチブル。ソフトトップは油圧で開閉し、畳むとトランクスペースに収まる。
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今年は歩行者天国となっている中央通りで同時開催されるイベントが少なく、スペースに余裕があるとの理由から、ご覧のような展示状況となった。先頭は1935年「シンガー・ナイン・ルマン」。