「RICHARD MILLE SUZUKA Sound of ENGINE 2016」に登場予定のF1マシン
2016.11.14 画像・写真モータースポーツの歴史を彩った名車が一堂に会するヒストリックイベント「RICHARD MILLE SUZUKA Sound of ENGINE 2016」が2016年11月19日と20日、鈴鹿サーキットで開催される。世界のモータースポーツシーンに影響を与えた四輪、二輪のレーシングマシン目の当たりにできるこの2日間は、モータースポーツファンにとって記憶に残る週末になりそうだ。ここでは同イベントに登場予定のF1マシンを紹介する。(webCG)
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1/12「フェラーリ312T」(1975年)/Tの由来となった横置きギアボックスを搭載したのを始め、フロントタイヤ直後に配置されたラジエーターを通過した空気は、カウルによって上方に跳ね上げられるなど独創的な機構を満載したマシンで、独特の形状のフロントウイングも目を引いた。この年、ニキ・ラウダが5勝を記録し、初のドライバーズチャンピオンを獲得。チームメイトのクレイ・レガッツォーニも1勝し、コンストラクターズチャンピオンも獲得した。
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2/12「フェラーリF310」(1996年)/フェラーリが1996年に投入したマシンで、この年からエンジンを伝統のV12からV10に変更した。F310の3は3リッター、10は10気筒を意味する。前年、ベネトンでチャンピオンを獲得したミハエル・シューマッハーが移籍。シューマッハーがフェラーリで初めてF1を戦った時のマシンでもある。シューマッハーとエディ・アーバインがドライブし、シューマッハーが3勝を記録し、ランキング3位を獲得。日本グランプリでも2位表彰台を記録。低迷していた名門チームの完全復活を告げるマシンとなった。
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3/12「フェラーリF2003-GA」(2003年)/1999年のコンストラクターズチャンピオンを皮切りに、翌年から5年連続でコンストラクターとドライバーのダブルタイトルを獲得したフェラーリ。その2003年の第5戦から投入されたのがF2003-GAだ。この年、前年マシンの改良型を用いた第4戦までは苦戦したが、F2003-GAがデビューするとシューマッハが5勝、ルーベンス・バリチェロが2勝を挙げ、圧倒的な強さでチャンピオンを獲得した。
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4/12「ロータス72C」(1970年)/ロータスが1970年にデビューさせたF1マシン。当時フロントに配置されていたラジエーターをボディーサイドに移し、ブレーキをインボード化。全体をウエッジ・シェイプ(くさび形)にした革新的デザインが特徴。この年、マシンは「72B」「72C」と進化しながら活躍を続け、ヨッヘン・リントが4勝、エマーソン・フィッティパルディが1勝を記録。ロータス72は1977年までの長きにわたって活躍し、その間1970年、72年にドライバーズチャンピオン、70年、72年、73年にコンストラクターズチャンピオンを獲得し、ロータスを代表するマシンとなった。
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5/12「ロータス97T」(1985年)/1985年に登場したのがロータス97T。ドライバーはエリオ・デ・アンジェリスと、この年新たにチーム入りしたアイルトン・セナ。セナはチームのナンバー2ドライバーとしての参戦だったが、いきなり第2戦でその才能を見せつけた。雨のポルトガルGPでポールポジションからスタート。難しいコンディションの中を快走して初優勝。セナの名を一躍世界に轟(とどろ)かせたマシンでもある。セナは第13戦でも優勝を記録しドライバーズランキング4位、チームはランキング3位を獲得した。
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6/12「ティレル006」(1972年)/ティレルは1970年に初のオリジナルマシン「ティレル001」を開発すると、翌1971年にジャッキー・スチュワートが自身2度目のドライバーズチャンピオンを手にし、コンストラクターズチャンピオンも獲得してダブルタイトルに輝いた。001は進化を続け、1972年の終盤にフランソワ・セベールのドライブで登場したのがティレル006。006は翌1973年、ジャッキー・スチュワートが5勝を記録し、自身3度目のドライバーズチャンピオンを獲得。ティレルを名門チームに押し上げるマシンとなった。
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7/12「ティレル019」(1990年)/それまでフロントノーズ部分は可能な限り低くするのが常識だったF1の世界に革新をもたらしたのがティレル019。フロントノーズ位置を高くし、その下により多くの空気を取り入れてダウンフォースを向上させるもので、1990年のシリーズ第3戦にデビューすると、いきなりジャン・アレジが6位入賞。第4戦モナコではトップを走るアイルトン・セナの背後に迫る走りを見せ、2位表彰台を獲得した。
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8/12「ヴェンチュリLC92」(1992年)/1987年からF1参戦を開始したラルースチームは、1990年に鈴木亜久里が加入すると、鈴鹿F1日本GPで日本人ドライバー初の3位表彰台に立つ活躍を見せた。1992年チームは自動車メーカー、ヴェンチュリの支援を受け、ランボルギーニV12エンジンを搭載したヴェンチュリLC92を投入。前年の全日本F3000チャンピオン片山右京がF1にデビューし、そのステアリングを握った。その後もラルースからは1993年鈴木利男、1994年野田英樹がスポット参戦。日本人ドライバーと縁の深いチームだった。
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9/12「クーパー・マセラティT86」(1967年)/それまではプライベートチームにシャシーを供給していたクーパーが、1955年から本格的にF1に参戦を開始。1957年はエンジンをドライバーの後方に搭載するマシンを投入。このミドシップレイアウトはその後F1の主流となった。1959年と60年にドライバーズ、およびコンストラクターズのダブルタイトルを獲得。1966年からマセラティのV12エンジンを搭載。1967年はヨッヘン・リント、ジャッキー・イクスがステアリングを握り、活躍した。
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10/12「アルファ・ロメオ179C」(1982年)/1976年、チームにエンジン供給する形でF1に復帰したアルファ・ロメオは、1979年からワークスチームとして参戦。水平対向12気筒からV型12気筒エンジンへ替えた「179」を投入。1981年には1978年ロータスでチャンピオンとなったマリオ・アンドレッティがチームに加わった。1982年にかけてアルファ・ロメオは「179C」「179D」「179E」と3種類のマシンを参戦させ、1981年の最終戦ラスベガスGPでアンドレッティが3位入賞。アルファ・ロメオにF1復帰後初の表彰台をもたらした。
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11/12「ウルフWR1」(1977年)/1977年、F1に参戦したウルフは、その開幕戦アルゼンチンGPにウルフWR1を投入するとジョディ・シェクターのドライブでデビューウインを飾った。ボディー全体がくさび形のウェッジシェイプ形状でダウンフォースを稼ぎ出し、かつ軽量・コンパクトに仕上げられているのが特徴。この年、シェクターは3勝を記録し、ドライバーズランキング2位を獲得。最終戦の日本GP(富士スピードウェイ)ではスタート直後に2位に浮上し、決勝のファステストラップも記録するなど、速さを見せた。
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12/12「ミナルディM190」(1990年)/F2とF3000を経て、1985年にF1に参戦したミナルディ。中堅チームとして活躍し、1990年はフォードV8エンジンを搭載。ピエル・ルイジ・マルティニ、パオロ・バリラを擁して参戦した。この年はピレリとグッドイヤーがタイヤを供給していたが、ピレリ勢のミナルディは苦戦を強いられ、マルティニの7位が最高。日本GPではマルティニがピレリ勢2番手の8位に食い込む健闘を見せ、不振のバリラに代わりジャンニ・モルビデリがステアリングを握った。1997年には片山右京が、1998年は中野信治がミナルディからF1に参戦したこともあって、日本のファンも多かった。