「第12回コッパ ディ東京2019」の会場から
2019.11.27 画像・写真2019年11月23日、「第12回コッパ ディ東京2019(12a Coppa di Tokyo 2019)」が開かれた。勤労感謝の日の恒例となったこのクラシックカーイベントは、晩秋の都内を設定ルートに沿って巡り、途中3カ所でPC競技(例えば20mを5秒で、30mを6秒で走行といったふうに、決められた区間を指定時間にいかに近く走れるかを1/100秒単位で競う)を行って、走りの正確さを競うラリーである。第2回以来、第7回を除いてスタート/ゴール地点となっているのは、東京都港区東新橋 汐留シオサイト5区イタリア街の汐留西公園。ルートは毎回マイナーチェンジされるが、今回はイタリア街を出てから新橋~神田~上野~浅草・今戸神社~柳橋~枝川~有明を経て、イタリア街に戻る全長約31kmだった。
今回は2019年にザガートが創立100周年を迎えたことを記念して、クラブ・ザガート・ジャポネとコラボレーション。およそ30台のザガートボディーを持つモデルを含め、エントリーリストには過去最高となる120台以上が名を連ねた。ただし前日からの降雨により、リストとは異なる車両で出走したエントラントも数組いた。
このイベントは、どういうわけか天候に恵まれないことが多いような気がする。リポーターが取材を始めたのは2010年の第3回からだが、2010年、2012年、2017年、そして今年と雨に降られている。10回中4回だから4割だが、降られないまでも曇天で寒かった回などもあったため、そういう印象が強いのだろう。中でも今回は、開催中一瞬たりともやむことなく降り続けていた。参加者、スタッフ、そしてわれわれ取材者にとっても、できることなら雨は降らないほうがありがたい。とはいえ降れば降ったで、景色に独特の風情が生まれることも事実なのだ。そんな思いをお伝えできるかどうかはわからないが、イベントの様子を出走車両を中心に紹介しよう。
(文と写真=沼田 亨)
-
1/40汐留シオサイト5区 イタリア街の中央にある汐留西公園に早朝から集まった参加車両。手前の1959年「アルファ・ロメオSZ」をはじめ、前方(原則としてカーナンバーが若い車両)にはザガートボディーのモデルが多く並んでいる。
-
2/40ダブルバブルのルーフを持つ「フィアット・アバルト750GTザガート」など、1950年代のザガートボディーの丸みを帯びたスタイルがよくわかる。
-
3/40ザガートボディーのモデルは年式を問わず参加可能だった。やけに派手な色の最新型アストンマーティンがいると思ったら、限定99台の「ヴァンキッシュ ザガート シューティングブレーク」だったことにびっくり。
-
4/40一向にやむ気配のない雨の中、午前9時30分にスタート。カーナンバー1は1948年「フィアット500ザガート パノラミカ」。“トッポリーノ”の愛称で呼ばれる初代「フィアット500」がベースで、誕生当時はまだ曲面ガラスがなかったため、ウインドシールドは3枚の平面ガラスで構成されている。ゲートに控えるカーナンバー2は「フィアット1100TVザガート」。
-
5/401952年「フィアット750GTザガートMM」。これもベースは初代「フィアット500」で、ツートンカラーの塗り分けの境目が「Zagato」の「Z」になっている。
-
6/401959年「フィアット・アバルト750GTザガート」。ルーフがダブルバブルではないタイプで、なめらかな曲面が魅力的。ベースは「フィアット600」。
-
7/40スタートから間もない地点で、最初の“線踏み”(タイヤで計測センサーが仕込まれた線を踏むことから、俗にPC競技のことをそう呼ぶ)が行われる。ドライバーに線踏みのタイミングを指示すべく、コドライバーが身を乗り出している1958年「ポルシェ356Aカブリオレ」は、単に「5」から始まる時代の東京ナンバーを付けた、現存する唯一のポルシェ。順番を待っているのは1960年「ランチア・アッピアGTEザガート」。
-
8/40PC競技が行われる、JRの線路と並行した道を行く1956年「ACエース ブリストル」。「ACコブラ」のベースになったモデルで、戦前のBMWの血を引くブリストル製2リッター直6 OHVエンジンを積む。
-
9/401971年「アストンマーティンDB6 Mk2」。ボンドカーで有名な「DB5」の後継モデルで、DB5よりホイールベースを延長し、居住性を改善した2+2ボディーに4リッター直6 DOHCエンジンを積む。
-
10/401967年「モーリス・ミニクーパー1275S」。新車以来とおぼしき「品川5」のシングルナンバーを付けた、希少なMk1クーパーS。
-
11/401971年「マセラティ・インディ」。いわば2座クーペ「ギブリ」の4シーター版で、ミケロッティが手がけたボディーに4.7リッターV8 DOHCエンジンを搭載。
-
12/40点灯したライトによって、幻想的な雰囲気を醸し出した1975年「シトロエンSM」。
-
13/40往年のフランス車の特徴だったイエローバルブのヘッドライトをともした1964年「ルノー・ドーフィン」。
-
14/40「タルボ・マトラ ムレーナ」。世界初の市販ミドシップスポーツだった「ルネ・ボネ ジェット」の血統を持つ、1980年にデビューしたフランス製ミドシップスポーツ。シートレイアウトは先代にあたる「バゲーラ」と同じく、珍しい横3人掛け。
-
15/40ランデブー走行で、2つ目のPC競技が行われる浅草の今戸神社に向かう1975年「フェラーリ365GT4 BB」と、通称“デイトナ”こと1970年「同365GTB/4」の365コンビ。
-
16/40参加車中唯一のザガートボディーを持つ日本車だった1989年「オーテック・ザガート ステルビオ」。ベースは2代目「日産レパード」。
-
17/40今回、唯一の戦前車だった1939年「フィアット500Aトッポリーノ」。前出の「ザガート パノラミカ」や「アバルト750GTザガート」をはじめ数多くのイタリアン軽スポーツのベースにもなった、ダンテ・ジアコーザ設計の傑作小型車。1936年から第2次大戦を挟み、改良を加えられながら1955年までつくられた。
-
18/401963年「アウトビアンキ・ビアンキーナ カブリオレ」。“ヌオーバ・チンクエチェント”こと2代目「フィアット500」をベースにした高級ミニカー。
-
19/401967年「フィアット850スパイダー」。リアエンジンの「同850ベルリーナ」のシャシーに、ベルトーネ時代のジウジアーロの手になる2座ボディーを載せた軽快なモデル。ヘッドライトは「ランボルギーニ・ミウラ」に流用された。
-
20/40連なって今戸神社の境内に入ろうという「ランチア・デルタS4」と「アルピーヌA110」、そして「ランチア・ストラトス」。
-
21/40鳥居をくぐり、岩戸神社の境内を進む1954年「ジャガーXK120ロードスター」。白地にブルーのストライプを入れたボディーに合わせたヘルメットがオシャレ。
-
22/40一時停止して記念品を受け取った後、PC競技に進もうという参加車両。前は1970年「ランチア・フルビア スポルト1.3」、後ろは1971年「アルファ・ロメオ1300ジュニアZ」。ほぼ同時期にザガートが手がけた、同じクラスに属する2台のイタリアン。
-
23/40PC競技に挑む1961年「ランチア・フラミニア スポルト」。1957年に登場したランチアのフラッグシップサルーンであるフラミニアをベースとする2座クーペ。ボディーはもちろんザガート製。後ろに見えるのは1953年「フィアット750GTザガートMM」。
-
24/401965年「アルファ・ロメオ・グランスポルト クアトロルオーテ」。イタリアの自動車専門誌『クアトロルオーテ』が企画した、往年の名車「アルファ・ロメオ6C 1750グランスポルト」の復刻版。ラダーフレームにオリジナルの6C 1750グランスポルトを手がけたザガートが2座オープンボディーを架装し、パワートレインなどは初代「ジュリア」系から流用。
-
25/40柳橋の北詰(台東区柳橋)手前の神田川沿いの路地で、3つ目のPC競技を終えた1968年「ルノー8ゴルディーニ1300」。後ろに見えるのは1957年「アルファ・ロメオ・ジュリエッタ ベルリーナ」。
-
26/40柳橋に向かっていく1970年「フィアット・アバルト1000TCR」。“臓物”をのぞかせながら走り去る姿に、道行く人々も驚いたのでは?
-
27/40PC競技中の1963年「トロージャン200」。ドイツの三輪バブルカー「ハインケル」をイギリスでライセンス生産したモデル。「BMWイセッタ300」と「アルファ・ロメオ・スパイダー」が続く。
-
28/40PC競技を終え、女性スタッフからおみやげの和菓子を受け取る1961年「BMWイセッタ300」に乗るペア。ちなみに和菓子はスタッフの後方、路地に面している梅花亭謹製。
-
29/40続々とやってくるバブルカー。2台の「メッサーシュミットKR200」は、前が1963年で、後ろが1960年モデル。
-
30/40「トライアンフ・スピットファイアMk1」。ブリティッシュライトウェイトスポーツのなかでもスピットファイア、中でも1963年に登場したこのMk1は少数派だろう。
-
31/401967年「クライスラー・ニューポート コンバーチブル」。車幅2mに達する、往年のフルサイズの米車が路地を行く。後方には「ポルシェ356」や「BMW 3.0CS」が見える。
-
32/401952年「ダットサン・スポーツDC-3」。戦前型から続くトラックと共通シャシーの「ダットサン」をベースに、日本で初めてスポーツを名乗ったモデル。向こう岸に並ぶビル群がなければ、タイプスリップしてしまったような光景だ。
-
33/401968年「キャデラック・エルドラド」。全長5.6m、全幅2mのボディーに7.7リッターV8エンジンを積んだ史上最大級のFF車。ここを右折して柳橋を渡るのだが、切り返しをして曲がっていった。
-
34/401950年「ポンティアック・チーフテン クーペ」。当時はプレーンバックと呼ばれたファストバックスタイルのクーペ。チーフテンにはこのほかに2/4ドアセダン、2ドアハードトップクーペ、4ドアワゴンと2ドアコンバーチブルが存在した。
-
35/40柳橋を渡る1950年「モーガン4/4」。1936年にデビューし、現在もラインナップされている4/4の70年近く前のモデル。当時はスタンダード製1.2リッター直4エンジンを積んでいた。
-
36/401966年「ホンダS800」。ちなみにPC競技が行われた柳橋の北詰は台東区柳橋1丁目だが、橋を渡った南詰は中央区東日本橋2丁目になる。
-
37/40およそ31kmのコースを走破し、スタート/ゴール地点の汐留イタリア街に戻ってきた1957年「デヴィン・アルファ」。カリフォルニアのコンストラクターが12台製作したうちの1台という希少車。エンジンはアルファ・ロメオ製1.3リッター直4 DOHC。
-
38/40モンテカルロラリー仕様に仕立てた、左ハンドルの1972年「ダットサン240Z」。2018年のラリー・モンテカルロ・ヒストリックに参戦し、完走した経歴を持つ。
-
39/401973年「アルファ・ロメオ2000GTV」。こちらは欧州ツーリングカー選手権(ETC)で活躍した「1750GT Am」風に仕立ててある。
-
40/40午後1時前、全車がゴールインした後のイタリア街 汐留西公園。