第26回「パリダカ」、2004年元旦スタート!
2003.07.02 自動車ニュース第26回「パリダカ」、2004年元旦スタート!
「パリダカ」の名で知られるアフリカン・ラリーレイド、「第26回テレフォニカ・ダカール2004」の発表会が、2003年7月1日、都内ホテルで開かれ、主催団体ASOのユベール・オリオール代表が大会概要を説明した。
■原点に戻る
「チームENEOS三菱ラリーアート」の増岡浩が総合2連覇を達成した25回目の記念大会は、アフリカ東部に新境地を開くべく、2003年元旦に南仏マルセイユをスタート、1月19日にエジプトは紅海のシャルム・エル・シェイクにゴールした。
26回目のパリダカは、「新しい扉を開く」(オリオール代表)ため、あえてゴールを“原点”ともいうべきダカールに戻す。
出発の地に選ばれたのは、パリの南東、オーベルニュ地方のクレルモンフェラン。2003年12月30日の車検で幕を開け、2004年1月1日にスタート。スペインを通過し1月3日にモロッコ行きのフェリーに乗船、アフリカに上陸する。
モロッコで足慣らしを済ませた一行は、モーリタニア、マリ、ブルキナファソを経て、1月18日、セネガルはダカールの「ラック・ローズ」でフィニッシュ。パリダカお馴染みの国々では、手強い砂丘群や細く分岐したピスト、サバンナが競技者たちを待ち受ける。
正式なコースは調査走行を終えた10月に決まる予定だが、前回(総距離8576km)より距離が長くなるという。またアシスタンスなしの「マラソンステージ」(2回)も継続される。
■中心はあくまでアマチュア
レギュレーションはほぼ昨年と同じだが、アマチュアとワークスの差を縮めることを狙った、いくつか変更が加わった。
二輪では、排気量450cc以上のマシンにリストリクターを設置させる。小排気量マシンにも活躍の場を、という配慮である。
四輪においては、4WD車に装着されるタイヤ自動減圧装置を禁止した。アマチュアの手には届かない高価なシロモノであるこの装置は、砂丘越えなどで、コックピットから操作し空気圧を抜くというもので、三菱のみが実戦投入している。
三菱のエースで3連覇に期待のかかる増岡は、自身も使った自動減圧装置について「(あるのとないのとでは)20〜30分は違う」という。しかし「実際自分が使ったのは2回だけだし、そのうち1回は優勝まであと一歩のところまできたから」と、禁止の影響は少ないとみているようだ。「(降りて手動で調整するのは面倒だから)スタート前にどれくらいの気圧で出るか、その見極めが重要になるだろうね」。
なお同装置は、2WDおよびカミオン(トラック)では許可される。
競技者のうち、アマチュア選手が占める割合が80%、ワークスドライバー/ライダーは20%という。オリオール代表は、「ワークスチームが参戦することで注目が集まる。それはパリダカを支えるアマチュア選手にとってもいいことなのだ」と、ワークスを歓迎しつつ、アマチュアをサポートする姿勢をしめす。エントリーフィーの抑制や保証金の融通など、コース内外でアマチュアをケアする仕組みを設けているのは、かつて自らも砂漠と格闘したオリオールが、パリダカの真髄であるヒューマンアドベンチャーと、それに果敢に挑戦するアマチュアリズムを深く理解しているからだろう。
そのほか、衛星電話の携帯義務化、競技車10〜15台にカメラを設置しプレスルームやインターネットでライブ中継する「トラッキング」の実施などが発表された。
■競技者は年々増加
四半世紀を生き抜いてきたパリダカは、21世紀に入り、年々競技者を増やしている(2001年297人、2002年325人、2003年343人)。また国際的なテレビ中継も、2003年は前年より54時間多い340時間を記録するにいたった。
加えて三菱、日産、フォルクスワーゲン、BMW、日野といった自動車メーカーがこぞってワークス参戦を開始。一時期停滞していた雰囲気はすっかり払拭された観がある。アマチュアとワークスをうまくバランスさせるオリオール采配は、確実に実を結びつつあるといえるだろう。
2004年元旦、創始者ティエリー・サビーヌによって開かれた「冒険の扉」を、また多くのチャレンジャーたちが叩くことになる。
(webCG 有吉)
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