旧車イベント「熱海HISTORICA G.P.」の会場から
2012.10.03 画像・写真2012年9月29日、30日の2日間、静岡県熱海市の長浜海浜公園をメイン会場として、熱海では初開催となる旧車イベント「熱海HISTORICA G.P.」が開かれた。イベントの企画・運営にあたって中心的役割を果たしたのは、東京・国立に本拠を置く旧車クラブ「オートモビルクラブジャパン(ACJ)」。なぜ国立のクラブが熱海でイベントを? きっかけは本年1月にACJが新春ツーリングで熱海を訪れた際に、メンバーの友人であるホテルニューアカオ社長の赤尾氏から、「ぜひ熱海で旧車イベントを!」との申し出があったことだという。当日は初開催ながら、ACJと交友のある旧車クラブの協力もあって、静岡および神奈川在住のオーナーを中心に戦前のロールス・ロイス/ベントレーから80年代のスーパーカーまで、およそ200台の「昭和を彩った名車」が集結。29日は車両展示、ツーリングと親睦パーティー、30日は一部の参加車両によりホテルニューアカオ内でヒルクライムも行われた。会場からリポーターの印象に残ったモデルを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

メイン会場は熱海市の長浜海水浴場に隣接した長浜海浜公園の芝生広場と駐車場の一部。そこに約200台の旧車が展示された。
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メイン会場は熱海市の長浜海水浴場に隣接した長浜海浜公園の芝生広場と駐車場の一部。そこに約200台の旧車が展示された。
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新車当時からとおぼしき「静岡5」ナンバーの付いた1970年「マツダ・ルーチェ・ロータリークーペ」。マツダのロータリーエンジンは、67年に登場した「コスモスポーツ」以来、ローターの厚みと数(二つまたは三つ)で排気量を増減していたが、唯一の例外となるのが、このルーチェ・ロータリークーペに積まれた13A型エンジン。ほかのエンジンより大きな径のローターを持ち、マツダ・ロータリーとしてはこれまた唯一の前輪駆動だった。
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1964年「日産セドリック・バン」。型式名VP31と呼ばれる、初代「セドリック」の後期型の商用バン。ルーフに積まれたロングボードがいい感じだが、オーナーいわく「天気がいいので、会場に来る前に波乗りしてきました」。ルックスはアメリカンだが、中身はライセンス生産していた「オースチンA50」に学んだ英国流で、エンジンは1.9リッター直4OHV。
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新車から親子2代で乗り継いでいるという1967年「三菱コルト1100デラックス」。63年にデビューした「コルト1000」から発展した4ドアセダンで、弁当箱のような四角いボディーから受ける印象のとおり、よく言えば質実剛健、悪く言えば武骨で野暮という初期の三菱車の特徴を凝縮したようなモデル。相当に希少な残存車両である。
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1980年「ランチア・モンテカルロ」。もともと「フィアットX1/9」の上級車種として開発されたが、販売政策上ランチア・ブランドから発売されたミドシップスポーツ。75年のデビュー当初は「ランチア・ベータ・モンテカルロ」を名乗っていたが、マイナーチェンジが施された80年以降は「ランチア・モンテカルロ」に改名した。総生産台数8000台以下だが、このイベントにはこのほかにも3、4台参加していた。
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1985年「フォードRS200」(右)と1983年「ランチア・ラリー037」という、希少なミドシップのグループBホモロゲーションモデルが2台並んでいた。RS200は1.8リッターターボエンジンによる4WD、前出の「ランチア・モンテカルロ」をベースにした037は2.1リッターのスーパーチャージド・エンジンを積んでいる。
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1977年「いすゞ・ジェミニ1600LT」。74年にデビューした初代「ジェミニ」の、逆にスラントしたノーズの形状から、マニアの間では通称「逆スラント」と呼ばれる初期型。厳密に言えば、初期の中期モデルである。フロントのエアダムスカートやクロモドラAタイプのアルミホイールは、当時の定番ドレスアップ用品だ。
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1970年「ホンダ1300クーペ7」。いかにも当時のホンダらしい独創の塊、裏を返せば強烈なひとりよがりの産物だった、「DDAC」(二重空冷)という特異な空冷エンジンを積んだ「ホンダ1300」のクーペモデル。この「クーペ7」はシングルキャブエンジンを積むが、高性能版の「クーペ9」は4キャブだった。商業的には失敗作で、これに懲りてホンダは水冷に転換、72年に初代「シビック」を送り出すことになる。
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1962年「トルネード・タリスマン」。イギリスに多数存在したキットカーメーカーのひとつであるトルネードの作で、61年から64年にかけて200台弱が販売されたという希少車。鋼管ラダーフレームにFRPボディーを載せ、コスワースがチューンしたフォード製1.2リッター直4OHVを積む。ボディー内外のフィニッシュは、かなりレベルが高い。
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1960〜70年代にアメリカ西海岸で流行した、「フォルクスワーゲン・ビートル」のシャシーを流用したバギー。これは代表的なブランドである「メイヤーズ・マンクス」のモデルで、メタルフレーク塗装も当時のお約束。これはビートル用のホワイトリボンタイヤを履いているが、個人的にはバギーといえば砂地用の低圧バルーンタイヤの印象が強い。
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午後2時、まず年式の古い(おおむね1960年以前)Bグループの車両から「熱海G.P. RUN」と名付けられたツーリングに出発。途中、約30台のBグループ車両は熱海銀座商店街に展示された。これは長浜海浜公園内の“花道”を行く、背の低いキャビンがエレガントかつスポーティーな印象の1937年「ロールス・ロイス・ファントムIII」。戦前のロールス/ベントレーは計5台エントリーしていた。
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ピニンファリーナによる優雅でスタイリッシュなボディーを持つ「フェラーリ250GTE」。フェラーリ初の量産車、そして250シリーズ唯一の2+2として1960年秋にデビュー、63年までの生産台数は1000台に達した。有名な「250GTO」などと基本的に同じ3リッターV12エンジンは230psとシリーズ中もっともチューンが低いが、それでも当時世界最速の2+2GTだった。
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特別展示された1966年「フォードGT40」。こうした往年のレーシングカー、それもビッグマシンと懐かしのファミリーカーがいっしょくたに並び、走るイベントというのも、めったにあるものではない。
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1971年「MGミジェット・アシュレークーペ」。手頃なライトウェイトのオープンスポーツとして60〜70年代に人気を博した「MGミジェット」に、英国のスペシャリスト製のボディーキットを装着して、レーシングライクなクローズドクーペに仕立てたモデル。
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これも特別展示の1991年「ポルシェ928 S4」。ポルシェ初の水冷エンジン搭載、初のFRモデルとして登場した「924」の兄貴分として、77年に初の水冷V8エンジン搭載車としてデビューした「928」。いずれはこれら2車と「911」を交代させるつもりだったが、911の人気が一向に衰えず、逆にこちらがフェードアウトしてしまった。
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1969年「サンビーム・スティレット」。今は亡き英国のルーツ・グループが、「ミニ」の対抗馬として63年にリリースしたリアエンジンの小型セダンである「ヒルマン・インプ」をベースとする小粋なスポーティークーペ。もともとインプはリアエンジンのコンパクトカーである「シボレー・コルベア」に端を発する“コルベア・ルック”をまとっていただけに、スティレットは「コルベア・クーペ」の縮小版という雰囲気だ。
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1967年「日野コンテッサ1300クーペ」。スタイリングを手がけたのはイタリアのミケロッティだが、これまた「コルベア」の影響が伺えるリアエンジンのクーペ。「コルベア」「コンテッサ」「インプ(スティレット)」の“リアエンジン3兄弟”(?)を並べ、じっくりと眺めてみたい気がする。
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1972年「日産チェリー・クーペ」。日産初のFF車だった初代「チェリー」の初期型クーペ。大きなテールゲート付きで、リアシートのバックレストを倒すと、コンパクトなボディーサイズとスポーティークーペというキャラクターに似合わず広いラゲッジスペースが出現する。
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1969年「ダットサン・ブルーバード1600SSSクーペ」。型式名510こと3代目「ブルーバード」の高性能版クーペ。新車当時のはやりだったレザートップ、ホワイトリボンタイヤに純正ホイールキャップ、そして「静岡5」のシングルナンバーと、まるで昭和40年代からタイムスリップしてきたようないでたちだ。
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1975年「シトロエンSM」。シトロエンならではの前衛性と、かつてのブガッティやドライエといったフランス製高級車に通じるデカダンな雰囲気が同居した一種のスーパーカーで、1970年にデビュー。当時シトロエンが傘下に収めていたマセラティが開発した2.7リッター(73年以降は3リッター)V6DOHCエンジンを搭載し、前輪駆動車で初めて最高速度200km/hを超えた。
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1910年「ロールス・ロイス・シルバーゴースト」。“花道”を通過したエントリー車両は、交通量の多い海沿いの国道135号に出て東進。突如出現した昭和どころか明治生まれ、車齢102歳のロールスの姿に、周囲の一般車両はさぞかし驚いたことだろう。
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「シルバーゴースト」に続いては、こんなちびっ子たちが。前を走る1957年「BMWイセッタ」は、超希少な「神5」ナンバー付き。「神」は「神戸」ではなく「神奈川」の略で、横浜や相模といった陸運支局の管轄ができる以前のものだ。旧車ファンにとっては、まさに「神(様)」のナンバーと言っても過言ではない?
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かと思えばこんなスーパーカーも。1986年「ランボルギーニ・カウンタック5000クアトロバルボーレ」。次々とすれ違う一筋縄ではいかないクルマたちに、対向車のオーナーは驚きを通り越して混乱したかも。カウンタックはこのほかに2台、計3台が参加していた。
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1950年「シトロエン11CVレジェール」。戦前の34年にデビュー、55年に後継モデルの「DS」が登場した後も57年まで作られたモデルで、往年のフランス映画によく登場する。モノコックボディーと前輪駆動を採用した乗用車の先駆けで、30年代生まれのクルマとしては非常に姿勢が低く、安定している。
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1970年「メルセデス・ベンツ600」。風格という点では現代の「マイバッハ」も及ばない、戦後最大級のメルセデスのリムジーネ(セダン)。全幅は1950mmだが、今どきのクルマと違ってボディー断面がタンブルフォームではなく、ほぼ切り立っているので室内幅が広い。そのため、ドライバーとコ・ドライバーがえらく離れて座っている。