「ジャパン・クラシック・オートモービル2017」参加車両
2017.04.11 画像・写真2017年4月9日、東京・日本橋で「ジャパン・クラシック・オートモービル2017」が開かれた。2010年に始まり、今回で7回目(2013年は荒天により中止)を迎えたこのイベントは、日本国道路原標が置かれている道路交通の原点であり、国の重要文化財に指定されている日本橋の橋上に往年の名車を展示し、交通の文化と歴史に思いをはせるというものだ。過去の開催では、これまた重要文化財である日本銀行本店本館の前庭と、それに面した江戸桜通りに朝から車両を展示した後、正午近くに車検付きの車両が自走で日本橋に移動するという形式だった。しかし今回は、日銀本店本館が免震化工事の最中で前庭が使えないため、展示車両は江戸桜通りに集合した後、全車が日本橋に移動して展示された。展示車両は例年通り、昨2016年に設立60周年を迎えた「日本クラシックカークラブ(CCCJ)」の監修のもとに集められた、希少性、コンディション、そしてヒストリーのすべてにおいて申し分のない20台。当日は花散らしの雨が降るあいにくの天候だったが、実は今年で3年連続の降雨。旧車イベントに雨は天敵だが、名車のぬれたボディーに桜の花びらが舞う光景には、独特の風情がある。リポーターはこのイベントに限っては、大嫌いな雨も、やや肯定的に受け止められるようになっているのだった。(文と写真=沼田 亨)
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1/21江戸桜通りに並んだ参加車両。背景の建物は、これも国の重要文化財である1929年竣工(しゅんこう)の三井本館。
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2/211933年「ロールス・ロイス ファンタムII」のベアシャシーに、日本におけるFRP成型の先駆者である工業デザイナーの浜 素紀(はま もとき)氏が、自らデザイン・製作したFRPボディーを載せたモデル。
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3/211959年「アストンマーティンDB4 Sr.2」。カロッツェリア・トゥーリング特許のスーパーレッジェーラ工法によるボディーに、3.7リッター直6 DOHCエンジンを積む。
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4/211965年「シボレー・コルベット スティングレイ」。C2こと2代目コルベットのロードスター。エンジンは5.4リッターのV8 OHV。
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5/211956年「フォード・サンダーバード」。通称Tバードことサンダーバードの初代モデル。デビューは1955年で、この56年型からスペアタイヤを背負った。
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6/21新車からの「練馬5」ナンバーを付けた1967年「ボルボ122」。1959年に誕生した当初の名称は「アマゾン」で、後に「121」「122S」など数字とアルファベットに改称されたが、アマゾンは愛称として残った。
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7/21通称トッポリーノ(ハツカネズミ)こと1953年「フィアット500C」(写真右)と、ヌオーバ・チンクエチェント(新500)こと1957年「フィアット500」(同左)。ダンテ・ジアコーザ設計のフィアット500の、初代の最終型と2代目の最初期型の、貴重なツーショット(お尻だけど)。
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8/21中央通りを日本橋に向かう、法政大学自動車部所有の1948年「ジャガー3-1/2リッター サルーン」。近郊のイベントではおなじみのモデルだ。
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9/21雨にも負けず快走する、車齢90年以上の1924年「ブガッティT13ブレシア」。
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10/211929年「オースチン・セブン」。1922年に登場した傑作小型車であるセブンのオープン仕様。
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11/211948年「ランチア・アルデア カミオンチーノ」。珍しいランチアのピックアップは、ランチアとは縁の深いディーラーであるガレーヂ伊太利屋のデモカー。
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12/21「5」で始まる陸運支局名がなかった時代の東京ナンバーを付けた、1961年「ロータス・エリート Sr.2」。当時のロータスの代理店だった芙蓉貿易が入れた正規輸入車だ。
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13/211961年「アルファ・ロメオ・ジュリエッタSZ」。小林彰太郎『CAR GRAPHIC』名誉編集長が愛用していた個体で、ご子息が受け継いでいる。
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14/211971年「シトロエンSM」。前モロッコ国王のハサン2世の愛車だったというヒストリーを持つ個体。ヘッドライトの間、透明カバーに覆われた本来のナンバープレートの位置には、アラビア語交じりのプレートがおさまっている。
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15/21日本橋の橋上に、参加した20台が並べられた。
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16/21日本橋の上を通る首都高速環状線には、建設当初から景観を損ねているという声があり、イベント当日も移転(地下化)推進の署名運動が行われていた。だが、このときばかりは雨よけになった。
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17/21「ブガッティT13ブレシア」がボンネットをご開帳。たちまち人だかりができた。
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18/21この日ぐらいしか眺める機会がないであろう、日本橋の橋上に埋め込まれている日本国道路原標。
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19/21悪天候により、午後3時の終了予定を30分ほど切り上げて散会。これは慶応大学自動車部所有の1931年「フォードA型フェートン」。横浜にあった日本フォードでノックダウン生産された右ハンドル車である。
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20/21写真に雨粒が写る中を行く、先に後ろ姿を紹介した1953年「フィアット500C」。「5」で始まる陸運支局名がなかった時代の東京ナンバーを付けている。
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21/211953年「シトロエン・トラクシオン アバン11CV」。戦前の1934年に誕生した、モノコックボディーと前輪駆動を採用した、当時としては進歩的なモデル。