必見! イタリアの自動車博物館(その2):FCAヘリテージ ハブ
2019.11.07 画像・写真2019年に創業120年を迎えたFCAがヘリテージ部門を設立したのは3年前のこと。設立を望んだのは元CEO、故S.マルキオンネだった。「スーパー経営者」「非情なビジネスマン」などと言われた彼は、実は文化を育てることに熱心だったのである。けん引役となったのは、「ムルティプラ」や「500(チンクエチェント)」を手がけた同社のエースデザイナー、R.ジョリート。彼が自動車の歴史や技術に詳しいスタッフを招集して立ち上げられた。活動内容はヘリテージカーを持ち込んでのイベント、ショー、レースへの参加、車両の販売、認定証の発行、レストアと幅広いが、要は「歴史を振り返ることで未来につなげる」ことをコンセプトとする。
ヘリテージ部門の悲願だったのは、歴代車両が一堂に会する場所作り。ディーラーと併設、もしくはショッピングセンターの中に置くなどさまざまなアイデアがあったようだが、最終的に同社最大の工場であるミラフィオーリの一画をリフォーム、ここに集められることとなった。ヘリテージ部門をすべて同じ場所に集めたのだ。120年の時空を超えるクルマたちはふさわしい場所を見つけたといえるだろう。
ここは“ミュージアム”とは呼ばれない。一般公開していない(準備中とのこと)からではない。自動車愛好家の集まるところ、ヘリテージカー集結地という意味を込めてFCA Heritage HUB(FCAヘリテージ ハブ。以下ハブ)と名付けられた。これもふさわしい名前を見つけたと感心する。展示車両台数は250台以上。テーマ展示として、①アーキスターズ/②コンセプト&フオーリセリエ/③エコ&サステナブル/④エピック・ジャーニー/⑤レコード&レース/⑥スモール&セーフに区分けされ、周りをその他の歴代車両が囲む。それではハブの様子を紹介しよう。
(文=松本 葉/写真=FCA、松本 葉)
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1/30ミラフィオーリ工場内の一角、1万5000平方メートルのスペースは自動車工場の雰囲気をそのまま生かすことをコンセプトにリニューアルされた。赤、グリーン、ブルーを効かせてイタリアらしさを出す。中央は6つのテーマ展示。写真はラリースペース。「ストラトス」のライバル、1972年のモンテカルロラリーを制覇した「ランチア・フルヴィアHF1600」「フィアット124アバルト ラリー」「フィアット131アバルト ラリー」などが並ぶ。
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2/30エピック・ジャーニーのコーナーに置かれた「フィアット・カンパニョーラA.R.51」。1952年にアフリカ大陸を横断した。所要日数は11日と4時間54分45秒。走行距離は1万5256km。カンパニョーラはイタリア陸軍の要請で生まれたオフロード車だが、民間用に販売されることになったため耐久性をアピールするためこの企画が生まれたようだ。ベテランドライバーのP.ブッティがステアリングを握った。
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3/30写真はデビューから2年後の1970年、ノールカップを中心に50日間の旅に出た「フィアット124S」。エピック・ジャーニーのコーナーに置かれた一台だ。優れた動力性能と高い実用性でフィアット初の欧州カーオブザイヤーに輝いた124はA.ランプレーディ設計による直4 OHV 1198ccの新エンジンを搭載するが、Sは1438ccにスープアップ。パワーもノーマルより10PSアップの最高出力70PSを発生した。
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4/301911年、初開催のインディ500で表彰台にあがった「フィアットS61コルサ」。1908年に製作されたモデル。排気量1万0087cc の直4エンジン搭載、最高出力は115PSほど。レースではD.B.ブラウンがステアリングを握り、平均速度117km/hをマークした。翌年のレースでは最高速144km/hを記録するなど輝かしい成績を残した、フィアット最古のレーシングモデル。
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5/30フェラーリとフィアットによるジョイントベンチャーとして製作された「フィアット・ディーノ スパイダー」。1966年デビュー。V.ヤーノ設計のフェラーリ製V6 DOHC 1987ccをデチューンして搭載、それでも最高速度は210km/hと抜群の速さを誇った。デザインはピニンファリーナの手になるもので、ライトに当たると抑揚に富んだ美しいボディーがことのほか際立つ。
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6/30優れた設計のクルマを展示したアーキスターズ(Archistars)のコーナーに置かれた「ランチア・ラムダ」。乗用車として初めてボディーに創設者ヴィンチェンツォが生み出したモノコック構造を採用。また独立懸架のフロントサスペンションが与えられた量産車としても知られる。1922年に誕生した。今でこそ休眠中のランチアだが、技術の分野では最先端を行くパイオニアだった。目覚めが待ち遠しいブランドである。
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7/301973年に勃発(ぼっぱつ)したオイルショックがもたらした経済不安によって、少数生産車を販売したトリノの多くのカロッツェリアが閉鎖に追い込まれたが、フィアットもまた将来像の見直しを迫られた。そんな時期に発表されたのがシティーカーシリーズのEVバージョン、「X1/23」である。最高速70km/h、航続距離50km。まだEVが現実味を帯びていなかったこともあり、プロトタイプにとどまった。
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8/30細かいところまで手をかけているのがハブの特徴。外部に委託せず、すべてヘリテージ部門のスタッフが行う。キャッチコピーも彼らの作。自動車デザイナーやアーカイブといった現場の専門職を集めることで実現した。販売部門のようにお金を生み出さないセクションにお金をかけることが自動車文化を育てる、という姿勢。
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9/301988年に製作された、「ランチアECV(Experimental Conposite Vehicle)」のセカンドバージョン。アバルトが手がけた。初代は、コンポジット素材が多用されるようになった1986年に世界ラリー選手権(WRC)のグループS参戦用に仕立てられたが、写真のECV2ではカーボンファイバーボディーによる車重は前モデルECVに比較して20%軽量化された。1.8リッター4気筒で、最高出力はなんと800PS (!)ながら、参戦は果たせずプロトタイプにとどまった。
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10/30ハブを有するFCAヘリテージ部門では販売も行っている。それがステッカー(写真中央)上に記された「Heritage Reloaded Creators」というプログラム。世界中に派遣した調査員が探し出した車両をトリノに持ち帰り、ハブに隣接したオフィチーナ(作業場)でレストアして認証付きで販売する。販売車両リストはネットに掲載されており、詳細はメールでやりとりする仕組み。
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11/30「Heritage Reloaded Creators」のプログラムで販売される「アルファ・ロメオ8Cスパイダー」。デビュー当時はアルファ・ロメオにとって久々の2シーターFRクーペで限定生産という点に注目が集まったが、この車両はFCAが所有していたもの。計829台が製作された8Cのうち、スパイダーはわずか329台。加えてこの車両は走行距離が1000kmに到達していない希少な一台。
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12/30ミュージアムと呼ばれずハブとされたのは、ここを自動車愛好家の集まる場所と定義づけたため。ミーティングポイントだ。クルマを眺めるもよし、しゃべるもよし、本を読むこともパソコンを開くことも自由。こんな思いから中央には長テーブルが用意された。
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13/30テーマ展示を囲むように並べられた展示車両。1万5000平方メートルという広大なスペースにもかかわらず、クルマとクルマの間にはヒトがひとり通れる程度の隙間しかない。フィアットは創業120年、ランチアは113年、アルファロメオは110年、アバルトは70年。実に多くの自動車を世に送り出したことを実感する。
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14/30ハブ自慢のアバルトたち。1950年代および1960年代後半、アバルト創設者カルロはFIA世界スピード記録への挑戦に情熱を注いだが、その一台が「フィアット・アバルト1000レコード」。ベースとなったのは「フィアット600」ながらピニンファリーナによって流線形のマシンに生まれ変わった。写真は、1958年10月7日に記録を打ち立てた車両。
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15/301972年、当時グループ4で戦われた国際ラリーにワークスチームを送りこむことを決めたフィアットは前年、傘下入りしたアバルトにミッションを託す。こうしてサソリ魂がさく裂した「124アバルト ラリー」は誕生した。直4 DOHC 1756ccエンジンは最終的に1893ccにまでスープアップ。1973年から参戦し、この年のメイクスシリーズランキングで2位を獲得した。後継車となったのは「131アバルト ラリー」だ。
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16/30おなじみの「フィアット500」だが、こちらはルーフからリアに注目してほしい。なだらかなラインを特徴とする。「フィアット500クーペ ザガート」は、デザインスタディーの目的でフィアットデザインセンターの依頼でミラノの老舗カロッツェリア、ザガートが製作したプロトタイプ。2011年のジュネーブモーターショーで公開された。エンジンは最高出力105PSのツインエアが搭載されている。
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17/30独特のフロントマスクに注目! 「ランチア・フラミニア ロレイモ」は1960年にレイモンド・ローウィが製作、パリサロンに運ばれた一台。ラッキーストライクのパッケージやスチュードベーカー車両で知られる、このフランス出身のアメリカ人インダストリアルデザイナーが、トリノのカロッツェリア、ロッコ・モットの協力でつくり上げた。車名のロレイモは彼の名字と名前を合わせたもの。
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18/301960年代のイタリアでボーイズレーサーたちに「600」とともに最も人気のあった「フィアット500アバルト」。オーストリア人のC.アバルトの名と腕、彼の星座であるサソリマークを欧州中に知らしめたモデルだ。デビュー年の1957年にはモンツァサーキットで500ccクラスの最速記録を樹立した。現在でもイタリアでアバルトは、(クルマを)知ってるヤツに限らず「小粒でパワフル」の代名詞だ。
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19/30ベルトーネ製作の「フィアット・アバルト750レコード」。C.アバルトは性能と信頼性をアピールするためにスピード記録に挑戦したが、製作に携わったカロッツェリアにとってはエアロダイナミクスの研究のための、絶好のチャンスとなった。ピニンファリーナやベルトーネがカタチ作りを請け負い、超軽量&最速を目指した。
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20/301950年代、小規模自動車メーカーからカロッツェリアに転向したトリノのモレッティはフィアット車をベースに多くの自社生産車を生み出した。1982年に発表された「モレッティ・パンダ ロック」は同社が初期に製作したバンの伝統をよみがえらせたもので、「パンダ」を作業カーに仕立て上げ、使用の自由度を高めたモデル。ピックアップとしてもワゴンとしても使えるところがミソ。少量ながら1990年まで継続生産された。
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21/302000年のパリサロンに飾られたプロトタイプ、「ランチア・ネア」。パーキングアシストシステムや自動開閉ドアを備えた4気筒ディーゼルエンジン搭載車。ランチアの次世代コンパクトカーの予告版として登場したものの、生産に移されることはなかった。2代目「イプシロン」との共通性が見られるスタイリングで、2008年にデビューした3世代目の「デルタ」に影響を与えたといわれる。
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22/30これも珍しいレーシングカー「ランチアD25」。1954年と1955年に製作された。先代「D24」の後継車としてプロジェクトが立ち上げられたが、ランチアが販売不振による経営難に陥っていたこともあり、十分な準備ができぬまま1954年にデビュー。好成績を残すことはできなかった。3749ccのV6エンジン搭載、3台製作されたようだ。写真のモデルはピニンファリーナの手になるものと思われる。
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23/30「フィアット・パンダカール(panDakar)」。同社のレース部門が開発したラリーカー。2007年から車名の由来でもあるダカールラリーに参戦しており、2017年はG.ヴェルゼレッティとA.カビーニをドライバーに起用した。ベース車両の「パンダクロス」をラリー仕様に仕立てたもの。砂漠を進むにふさわしいいでたちだ。それにしてもこのネーミング、うまい! 楽しい!
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24/302台製作された「アルファ・ロメオ4C QV」。Qはクアドリフォリオ、Vはヴェルデの意味。フロントバンパー上部脇に備えられたエアインテーク、下部のウイングレットなど、エクステリアは大きく異なっているものの、これはあくまでデザインスタディー。エンジンはノーマルのものが搭載されている。しかし、それと知らされなければ、驚きの2台であるに違いない。
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25/30ランチア、フィアット、アバルトが並ぶラリーエリアで目立つのは、やはりブルーと赤の“マルティーニカラー”にペイントされたランチアだろう。現在、休眠中の同ブランドだが、トリノの老舗メーカーにして常に技術面でトップを走ってきたランチアの歴代車両が一堂に会することは、ヘリテージ部門の悲願だったそうだ。
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26/30テーマ展示の両脇に並ぶ戦前のランチア車両。同社を設立したヴィンツェンツォ・ランチアはドライバーとしても多くのレースに参戦したが、同時に技術に精通したことで知られる。自動車黎明(れいめい)期には、トリノの自動車製作のけん引役であり相談役でもあったようだ。モノコックボディーの生みの親でもある。
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27/301989年に発表された「アルファ・ロメオSZ」。15年ぶりによみがえったアルファ・ロメオのザガートモデルで、今回はアルファ・ロメオとフィアット、ザガートが共同で仕上げたといわれる。実際、フロントマスクを中心に先代とは打って変わってアクの強いデザインで、モンスターというニックネームがつけられたほど。シャシーやパワートレインは「75」から流用された。
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28/30打倒ポルシェを目指して世界耐久選手権(WEC)用に製作された「ランチアLC2」。1983年シーズンから投入された。アバルトチューンのフェラーリ製2.6リッターV8ツインターボをダラーラ製のシャシー中央部に搭載。予選は好調で特に1985年シーズンは多くのポールポジションを獲得、大いに期待がかかったものの、優勝はベルギー戦のみだった。それでもM.アルボレート、R.パトレーゼ、A.ナンニーニなどの人気ドライバーが駆り、イタリアを沸かせた。
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29/30FCAヘリテージ ハブ、正面入り口。ヘリテージ部門はオフィチーナ(作業場)からオフィスまですべてハブ一帯に配置されている。こうすることで組織をシンプルにし、作業のスムーズ化を図った。イベント開催、クラシックレースへの参加など多くのプログラムに関わっていく予定という。ハブは現在は予約見学のみとなっているが、近い将来、一般公開される予定だ。
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30/30ハブの入り口に置かれていた「ランチア・テーマ リムジン」。ランチアの最上級車は昔から公用車として使用されるのが伝統で、外国の重要なゲストを迎える際にはリムジンに仕立てたテーマが用いられた。写真はジャンニ・アニエッリが所有した車両と思われる。エンジンはフェラーリV8。すなわち、このクルマは「テーマ8.32」をリムジン化したもの。ピニンファリーナの手によってモディファイされた。