必見! イタリアの自動車博物館(その1):アルファ ・ロメオ歴史博物館
2019.10.08 画像・写真ムゼオ・ストリコ・アルファ・ロメオ(アルファ ・ロメオ歴史博物館)は1976年、同社ゆかりの地、イタリア・ミラノ郊外のアレーゼにオープンした。建物の老朽化とテーマの見直しによりいったん休館となり、2015年6月24日、同社の設立記念日にリニューアルオープン。アルファ・ロメオのブランドセンターを目指して建物も一新された。
ミュージアムのサブネームは「ラ・マッキナ・デル・テンポ」。タイムマシンの意ながら、これは同社のキャッチコピー「ラ・メッカニカ・デレ・エモツィオーニ」(感情の力学)と言葉並びをそろえたもの。ロゴにはマッキナ(自動車)、モトーレ(エンジン)、ムゼオ(博物館)、3つの言葉の始まりである「M」をデザインした文字が添えられる。
展示車両台数は70以上。専属メカニックの手によって入念に整備され、すべて動態保存される。定期的にミュージアムの隣にあるピスタ(小さなサーキット)での走行が義務付けられているそうだ。100年前に設計された自動車が、専属テストドライバーの手に委ねられてエンジン音を轟(とどろ)かせるのである。スバラシイ。
常設展示はスピード、ビューティー、タイムラインの3つに区分けされており、アルファ・ロメオに脈々と流れる血がよくわかる。合間に「映画の中のアルファ・ロメオ」と銘打った試写室やシネマ4Dとうたった劇場もある。もちろんカフェやお土産ショップも。最初にオープンした時は無料だったが、現在、大人の入館料は12ユーロ。「有料でも2度、足を運びたくなる場所」を目指したというが、毎月面白いイベントが行われていることもあって、2度どころか何度でも足を運びたくなる場所だ。そんなミュージアムに所蔵される、珠玉のマシンを紹介する。
(文=松本 葉/写真=FCA、松本 葉)
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1/33入り口を入ってすぐ迎えてくれるのはアルファ・ロメオ製作の航空機エンジン。右は「128RC 18」(1939年)。「サヴォイア マルケッティS.M.79」や「S.M.84」といった戦闘機に搭載された。前者はもともとレース用に開発されたもので高性能だったことから空軍に納品された。左は「121RC14」(1952年)。こちらは「S.A.I アンブロジーニ・スーパー7」および「サヴォイア・マルケッティS.M.102」に積まれたもの。
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2/332413cc 直4エンジン搭載の「A.L.F.A.15HPコルサ」は社名がアルファ・ロメオになる以前、A.L.F.A(Societa Anonima Lombarda Fabbrica Automobili)時代に製作された2台目の車両。「24HP」に遅れること数カ月、1911年にデビューした。設計はG.メロージ。同社の設計の基礎を築いたエンジニアである。自動車黎明(れいめい)期にあって設計コンセプトは「ツーリングにもスポーツにも使える高性能車」というもので、車名のコルサとはレースの意味。まさにアルファ・ロメオの目指す道を明確に示したネーミング。
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3/33国内で無敵となったアルファ・ロメオがルマンなど国外レースの制覇を目指して生み出したのが「8C 2300」シリーズ。ツーリングカーを排除して2シータースーパースポーツカーのみという点からも気合の伝わるモデル。2336cc直8 DOHCスーパーチャージャー付きアルミ製エンジンは当時の新設計。潤滑はドライサンプ。もくろみ通り、ルマンを含めレースシーンで暴れまわった。写真は32年の「8C 2300 コルトミッレミリア」 。
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4/33「風がデザインしたクルマ」と言われた「ジュリア」は1962年にデビュー。小型軽量ボディーにDOHC 1570ccエンジン搭載、変速機は5段が標準。ブレーキはディスク。Cd値は0.38という当時としては画期的なものだった。写真のベルリーナに続き、クーペやスパイダーも登場。特に若きG.ジウジアーロの手になるクーペの「スプリントGT」シリーズは1960年代の代表的なスポーツカーとなった。
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5/33タイムラインに並ぶ4台。(写真左から順に)創立75周年にあたる1985年に発表された「75」はボクシーなスタイリングが個性的なモデル。1987年にランチアやサーブなどと4社共同プロジェクトで誕生した「164」。優れたハンドリングとアルファらしいスタイリングでサクセスモデルとなった「156」、2006年、久々の後輪駆動車として500台製作された「8Cコンペティツィオーネ」。いずれもアルファ・ロメオの新時代の担い手となったモデルたちだ。
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6/331922年から生産されたRLシリーズの高性能スポーツモデルが「RLスーパースポーツ」。現在SSと記されるモデルの元祖。2994cc直6エンジン搭載。V字型に折れたラジエーターがノーマルバージョンとの外観上の違いである。設計はG.メロージ。1927年まで393台製作され、タルガ・フローリオでも活躍した。初めてお守りとしてクアドリフォリオが貼られたモデルといわれる。
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7/33「A.L.F.A.24HP」こそ、記念すべき第1号車。1910年にデビュー。鋳鉄の一体式ブロックのエンジンは4084cc。4段トランスミッションを介しての最高速度は100km/hだった。注目すべきはこの1号車でデビュー翌年、タルガ・フローリオに参戦したこと。ドライバーが泥水をかぶりリタイアに追い込まれたものの、アルファ・ロメオ魂を見せるには十分だった。6座のトルベードのほか、2シーターバージョンも製作された。
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8/33トランスアクスルとド・ディオンのサスペンションを与えられた初の量産車「アルフェッタ」(手前)。北イタリアの象徴であったアルファ・ロメオが経済支援の目的で初めて南イタリアで生産した「アルファスッド」(中)。モントリオール博覧会にプロトタイプとして初出品された「ジュリア スプリントGT」ベースの「モントリオール」(左奥)は、ベルトーネ(M.ガンディーニ)の手になるもので、1970年から「ティーポ33」用の2.6リッターV8をデチューンしたエンジンを搭載、生産モデルとなった。
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9/331952年製作の「1900 C52ディスコヴォランテ」はUFOを思わせるスタイリングから空飛ぶ円盤(Disco Volante)とネーミングされた。ルマン参戦を目指して1900の4気筒をハイチューン、また新設計のマルチチューブラーフレームはその後のレーシングカーの礎となった。スパイダー、クーペなど5台が製作されたものの参戦は果たせなかったが、購入希望者が殺到、月面を歩いた宇宙飛行士もその一人だったといわれる。
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10/33アルファ・ロメオは多くのカロッツェリアが競ってボディーを架装、多くの“珍しい”アルファが誕生した。その起源ともいえるのが、「A.L.F.A. 40/60 HP アエロダイナミカ」だ。1913年にミラノのカロッツェリア・カスターニャが製作した。最高速度は139km/hといい、車名に恥じぬ、エアロダイナミクスのよさを証明した。しかしカタチは実に奇抜だ。魚雷とあだ名されたらしい。
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11/33「33ストラダーレ」をベースにベルトーネが製作した「カラボ」(1968年)。車高990mm、ウエッジの効いたボディーのドアはシーザーズ型。スタイリングはベルトーネ時代のM.ガンディーニの手になるもので、その後、彼が生み出した「ベルトーネ・ストラトス ゼロ」や「ランボルギーニ・カウンタック」に影響を与えた。トレードマークとなったグリーンメタリックがCarabus auratusという甲虫を思わせることからカラボと命名された。
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12/33アルファ・ロメオのレーシング部門、アウトデルタがグループ6のライバル、ポルシェの打倒を目指して生み出した「33」、その進化版である「33/2」は1968年のデイトナ24時間レースでワンツーフィニッシュ(2リッタークラス)を飾ったモデル。一方でこんな美しい「33/2クーペ スペチアーレ」も存在する。ピニンファリーナの作。多用されたガラス面とフェンダーのバランスが絶妙で、老舗の得意とするクラシックな美と未来性が調和する。
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13/33伝説のレーシングドライバー、T.ヌヴォラーリにちなみ「ヌヴォラ」と名付けられたコンセプトカーは、スペースフレームシャシーに着せ替え可能なボディーを架装するという製造方法の新提案で注目された。柔らかなラインと躍動感のあるマスの共存がスタイリングの特徴。ヌヴォラとは雲の意味もあることから美しいブルーにペイントされた。
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14/331925年にスタートした「6C」シリーズはアルファ・ロメオに世界タイトルを運び込んだ「P2」同様、天才設計者ヴィットリオ・ヤーノが生み出した傑作。6気筒SOHCエンジンを搭載したぜいたくな高性能小型車だ。ボディーを架装したのはトゥーリング。写真は「6C 2300Bミッレミリア」というモデルで、同レースでワンツーフィニッシュを飾ったことを記念してネーミングされた。
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15/33「6C」シリーズの誕生から5年後、8気筒モデルの「8C」シリーズ誕生。ティーポBに搭載された直8 DOHCスーパーチャージャー付きエンジンとトランスアクスルの駆動系を組み合わせて全輪独立懸架のシャシーに搭載した「8C 2900B」は、間違いなく戦前に生み出されたスポーツカーのトップに君臨するモデル。戦前の同社の代表作といえる。写真はブルーが鮮やかな「8C 2900Bルンゴ」(1938年)。
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16/33冒頭にも記した通り、ミュージアムの常設展示はスピード、ビューティー、タイムラインという3つに分けられている。この3つこそアルファ・ロメオのDNAだ。中でもスピードのコーナーはロッソ、赤色が充満してとても華やか。初モデルから参戦した同社の歴史のなかで、最も輝きを見せるのはヴィットリオ・ヤーノが設計者として加わった1920年代以降。数えきれない勝利を手にした。
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17/33レース参戦を求めるクライアントの声に応えてプロジェクトされた6リッターの大型高性能車「40/60HP」は「24HP」のシャシーにG.メロージが設計したエンジンを搭載、1913年に早くもヒルクライムでワンツーフィニッシュを記録した。1922年にはエースドライバー、G.カンパーリによって141.605km/hという当時の最速記録を打ち立てた。写真は「40/60HPコルサ」。1914年モデル。
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18/331920年代半ばにエンツォ・フェラーリが仲介役となりフィアットからアルファ・ロメオに移った天才設計者、ヴィットリオ・ヤーノは、同社で初めて手がけたGPカー「P2」によって、アルファ・ロメオに世界タイトルを運びこんだが、1932年にデビューしたこの「ティーポ3」も彼の手になるもの。2基のスーパーチャージャー付き直8 DOHCエンジン搭載。数えきれないほどの勝利を手にしたマシンだ。
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19/33アルファ・ロメオとは縁の深かったエンツォ・フェラーリの発案で1935年に生まれた「ビモトーレ」は、アウトユニオン、メルセデスの打倒を目指して製作されたGPカー。ビモトーレ(ツインエンジン)の車名どおり、フロントとリアにティーポBの3165cc DOHC直8エンジン(270PS)を1基ずつ搭載したモンスター。扱いの難しさからレースでは活躍できなかったものの、T.ヌヴォラーリによるテスト走行では320km/h以上を記録した。
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20/33「ティーポ512」は、「ティーポ158」の代替えとして、才能あふれる若い設計者の手によって1.5リッタークラスのボワチュレット参戦用に生み出された意欲作。水平対向12気筒1490ccエンジン搭載の最高出力は335PS/8600rpm。しかし若いが故に経験に乏しかったことでシャシー剛性を高めることができず、またスクーデリア・フェラーリの“ベテラン陣”から設計者がボイコットを受けたことなどにより、サーキットにその姿を現すことはなかった。
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21/331950年にF1での勝利をものにした「158」の改良型が「159」。158は1950年の初F1で全勝したモンスター。この後継車の陣頭指揮を執ったのも158の生みの親、ジョアッキーノ・コロンボだ。リアサスペンションをド・ディオンに置換、425PSのパワーと最高速度300km/hを誇ったものの、1951年シーズンはふるわなかった。J.M.ファンジオがドライバーズチャンピオンを獲得したが、この年を最後にF1参戦休止となった。
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22/331967年11月から翌年3月まで18台製作された「33ストラダーレ」はレーシングカーのイコン「ティーポ33」の公道用モデル。希少品。アルファ・ロメオのレース部門を請け負ったアウト・デルタの傑作である。プロジェクトはC.キティ、デザインはF.スカリオーネとまさに天才人のアイデアの終結。写真は1号車であり、その後製作されたものとはエアインテークなどディテールに違いが見られる。
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23/33スピードコーナーで存在を際立たせる一台、「ティーポ33SC12ターボ」。水平対向12気筒3リッターエンジンが最高出力500PSを発生。シャシーが箱型(scatolato)であることからSCと命名された。1977年のA.メルザリオ、V.ブランビッラ、J.P.ジャリエ の活躍により世界スポーツカー選手権を制覇した。最終戦でデビューしたのが写真のターボバージョン。640PSにパワーアップ。最高速度は352km/hに達した。
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24/33「GTA1300ジュニア」(右)は「GTA1600」に搭載されたエンジンのストロークをショート化、ツインプラグとツインチョーク・ウェバー2基により95PSを発生。1971年のツーリングカー選手権1300ccクラスで見事に全戦を制覇した。レギュレーションの変更に伴い、1970年に投入された「1750 GTAm」はT.ヘイマンズを表彰台に導いたモデル。アメリカ仕様の「1750GTV」をベースにしたことからAmと付けられた。
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25/33「155 V6 TI」はドイツツーリングカー選手権でメルセデスと激しく戦い、イタリア中を沸かせたモデル。2.5リッター/自然吸気というレギュレーションに合わせて新設計されたエンジンは2498ccのV6。420PSのパワーを発生する。N.ラリーニやA.ナンニーニの活躍により、1993年シーズン、アルファ・ロメオはドライバーズ/コンストラクターズ双方のタイトルを獲得した。写真は1996年に参戦したモデル。
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26/33“デュエット”の愛称で親しまれるスパイダーの元祖が「ジュリエッタ スパイダー プロトタイプ」だ。1955年製作。イギリスのライトウェイトオープンカー人気に対抗して企画され、ピニンファリーナがスタイリングを手がけた。デュエットとともに展示されるのは「映画に出てくるアルファ・ロメオ」をテーマにした試写室のなか。映画のワンシーンをモチーフにした壁のデコレーションも美しい。
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27/33映画『卒業』で世界的に知られるようになった「1600スパイダー」は「ジュリア スプリントGTV」のエンジンを搭載。ピニンファリーナの手によって欧州の味わい深いスタイリングが与えられた。デュエットとはデビューに際して行われた公募から選ばれたものだが、車名としては弱いとの判断から当初は愛称として用いられたものの、現在ではこちらがひとり歩きしている。プロトタイプとともに映画試写室に展示されている。
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28/33スプリントザガートを示す「SZ」はアルファ・ロメオのスポーツモデルのスタイリングを戦前から製作したカロッツェリア、ザガートの魅力がさく裂したモデル。「ジュリエッタ スパイダー」のシャシーに100PSにまでパワーアップした1.3リッターエンジンを搭載。航空機製作で培った軽量ノウハウをつぎこみ車重は785kgを実現した。デザインはE.スパーダ。彼の十八番である切り落としたようなテールエンド、「コーダトロンカ」が車名に添えられた。
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29/33アウトデルタとザガートという黄金コンビが生み出したTZは、鋼管チューブラーフレームにアルミ製ボディーの採用により超軽量を実現したモデル。車重はなんと660kg。メカニズムは先代のSZの熟成バージョンといえる。デザインは再びE.スパーダの手に委ねられた。彼の得意とするコーダトロンカにさらに気合が入ったスタイリングだ。
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30/33階段下のスペースを使って並べられたアルファ・ロメオのミニカー。世界中で市販されているものを集めているという。ここに展示されているのはスペースの関係から916台。他に2500台余りがアーカイブで待機中。「ただいま展示場所を探しているところ」とは館長の弁。
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31/33戦後、イタリア軍からジープのようなオフロード製作の要請を受けたフィアットとアルファ・ロメオはそれぞれプロポーザルを提出。最終的に軍に納められたのは戦前からリサーチを行ったフィアットのものであったが、アルファ・ロメオではこの時のプロポーザルをもとに民間用オフロードを製作する。それが1952年にデビューした「1900Mマッタ」だ。荒れた道でも山岳地帯でもどこでも走れることからMatta(クレイジー)とネーミングされた。
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32/33ミュージアムに隣接するコースはピスタ(小サーキット)と呼ばれ、展示車両の走行に使用される。見るだけではなく走ることこそ自動車ミュージアムの醍醐味(だいごみ)という視点から走行イベントを大事にしているのである。F1イタリアGPの前にはK.ライコネンとA.ジョビナッツィが現代・過去のマシンを駆って喝采を浴びた。ピスタの向こうに見えるのは高速道路。出口から近くアクセスがいい。ミラノ中心部から地下鉄(M1)とバスを乗り継げばミュージアムまで50分ほど。
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33/33入り口には、アクセサリーやブルゾン、雑貨から本までアルファ・ロメオグッズをそろえたお土産屋さんが置かれている。館内にはカフェももちろん。軽食向きのバールスタイルとビュッフェと2タイプあって、後者は飲み物つきで15ユーロ、デザート付きは20ユーロ。さすがイタリア、とてもおいしい。これもミュージアムの楽しみだ。