クラシックカーのタイムラリー「第5回コッパ ディ 東京」参戦リポート
2012.11.29 画像・写真2012年11月23日、東京・汐留シオサイト5区のイタリア街で「第5回コッパ ディ 東京(5a COPPA DI TOKYO)」が開かれた。一昨年に開かれた第3回の様子を『webCG』でもリポートしているが、イタリア街をスタート/ゴール地点として、晩秋の休日の都内を巡るクラシックカーのタイムラリーである。当日はあいにくの雨模様のなか、1924年「ブガッティT13」から1975年「シトロエンSM」まで、全68台が参加。全行程約55kmのコースを、いかに設定タイムに合わせて正確に走れるかを競った。と、ここまではいつも通りのイベントリポートだが、今回はちょっとわけが違う。実はイベントを取材するだけではなく、筆者もコドライバーとして参加したのである。ドライバーは「クルマ生活Q&A」などでおなじみの松本英雄氏で、エントリー車両は彼の愛車である1965年「トライアンフ2000 Mk1」。10年ほどに前に縁あって譲り受けた、新車以来の「千5」(千は千葉の略)のシングルナンバー付きの、オリジナルに近い姿を保った貴重な車両である。もっとも参加したといっても、ラリー用の計器どころかストップウオッチさえ持たないわれわれは、ただドライブを楽しんだだけ。だが、「コッパ ディ 東京」はそうしたヌルい参加者をも受け止め遊ばせてくれる、おおらかなイベントだった。ということで、参戦記(ってほどでもないが)を含めたイベントリポートをお届けしよう。(文と写真=沼田 亨)

そぼ降る雨のなか、汐留シオサイト5区のイタリア街に集まった68台の参加車両。
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そぼ降る雨のなか、汐留シオサイト5区のイタリア街に集まった68台の参加車両。
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スタート前のドライバーズミーティング。あれこれ注意事項が伝達されていたが、こちとらほとんど上の空だった。
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真剣な表情でルートマップに見入る松本氏。トライアンフ関連の部品メーカーなどのロゴの入ったジャケットは、このイベントのためにシャレで作ったもの。
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午前9時30分、カーナンバー順に1分間隔でスタート。カーナンバー2を付けたこのマシンは、今回の白眉(はくび)である1934年「アルファ・ロメオ6C 2300」。直列6気筒DOHC2.3リッターエンジンを積んだ、当時のスーパースポーツである。
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戦前車のAクラスには7台が参加した。これは1935年「シンガー・ナイン・ルマン」。フルオープンのまま雨に打たれながら行く姿に、おとこ気を感じる。
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戦前車の次はバブルカー&スモールカーのBクラス。このカッチョいいマシンは、1959年「メッサーシュミット」をベースに仕立てたレコードブレーカー(速度記録車)のレプリカ。屋根もワイパーもないが、走ってさえいれば雨粒は吹き飛んでいきそう。
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1/1サイズの「チョロQ」にしか見えない1963年「フィアット500コルタ」。ただでさえ小さい2代目「フィアット500」を、さらに短くした冗談のようなカスタム。超ショートホイールベースでRR、しかも雨降りとなれば、いくら非力といえども運転には神経を使うはず。
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クラスCはイタリア車。雨にぬれて、いっそう日本離れした風情となった石畳の道をいく1952年「スタンゲリーニ750Sビアルベロ」。1920年代からアルファやマセラティ、フィアットのチューニングを手がけていたモデナの小メーカーが作った、オリジナルの小型スポーツである。
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これまたなんともかわいらしい、遊園地の豆自動車のような姿の1946年「シアタ750S」。シアタも1920年代からフィアット・ベースのカスタムを作っていた小メーカーで、一時はオリジナルの直4DOHCエンジンも作っていた。
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1952年「フィアット8Vザガート」。戦後フィアットが作った唯一のスーパースポーツが8Vで、総アルミ製の2リッターV8エンジンを搭載。これはザガート・ボディーだが、ピニンファリーナやベルトーネ、ギアなどでもボディーが架装された。
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1973年「アルファ・ロメオ・モントリオール」。「ジュリア」系のシャシーにガンディーニがスタイリングを手がけた2+2ボディーを架装し、レーシングスポーツの「ティーポ33」用をデチューンした2.6リッターV8DOHCエンジンを搭載した“スーパー・アルファ”。
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1969年「マセラティ・ギブリ・スパイダー」。ジウジアーロの傑作のひとつに数えられるギブリのルーフを取り去ったモデル。オリジナルのギブリ(クーペ)はもちろんカッコイイが、こちらはさらにしゃれっ気を増している。上品なシャンパンゴールドの色合いもいい。
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Dクラスはフランス、ドイツ、イギリスおよびアメリカ車。これは非常に珍しい1952年「パナール・ディナ・ユニオール」。世界最古の自動車メーカーのひとつであるフランスのパナールが、戦後に送り出した小型セダンのディナをベースにしたロードスターで、アルミボディーに850ccの空冷フラットツインを積み、前輪を駆動する。
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こちらも希少な1965年「マトラ・ジェットV」。62年に世界初の市販ミドシップスポーツである「ルネ・ボネ・ジェット」を送り出したフランスの小メーカー「ルネ・ボネ」を買収した「マトラ」が、自社の名を冠して再リリースしたモデル。1.1リッターエンジンおよびギアボックスは「ルノー8」から流用していた。
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1956年「ロータス11 Sr1 ルマン」の助手席に座る、パパとおそろいのヘルメットでキメた坊やに注目。彼は筆者などよりはるかに豊富なキャリアを持つ子ドライバー、もといコドライバーなのである。
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一向にやむ気配のない雨の中、午前10時27分にカーナンバー57のわれらが1965年「トライアンフ2000 Mk1」がスタート。おフランス風のイエローバルブのヘッドライトが、ちょっといい感じ。
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スタート直後に「東京タワーまで10分で走れ」という指示があった。しかし、われわれの計測機器はキッチンタイマー、それも100円ショップの500円コーナーで買った、メロンを模したカタチのものだけ。なんともナメた態度のエントラントである。ちなみに筆者が愛用している腕時計はクロノグラフなのだが、使い方がまったくわからない。
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最初のチェックポイントである東京タワーから麻布、青山、原宿、神宮、三宅坂(みやけざか)、日比谷を経て、皇居前の和田倉噴水公園をバックにした「トライアンフ2000 Mk1」。ミケロッティが手がけた6ライトのサルーンボディーは、なかなか優雅。前オーナーが装着していたメーカー不明のアルミホイールもよく似合っている、と自画自賛。
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雨がやや小降りになったなか、丸の内のショッピング街を行く。ダッシュボードの上に後付けされた電気式タコメーターが往年のスポーツサルーン風だが、前オーナーが取り付けたこのタコメーターはなんとソニー製。今では知る人も少ないだろうが、ソニーがタコメーターなんぞを作っていたことがあったのである。
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銀座、日本橋、蔵前を抜けてやってきたのは、観光客でにぎわう浅草。浅草寺前を行き交う人々が傘を差していないことでわかるように、この時点では雨はあがっていた。
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浅草寺から1km少々のところ(台東区今戸)にあるチェックポイントの今戸神社にて。ところで「トライアンフ2000」とは、1980年代初頭に消滅したブランドである英トライアンフが、63年にリリースしたサルーンである。ミケロッティ・デザインのモノコックボディーに4輪独立懸架を備え、エンジンは直6OHV2リッター。同年に登場した「ローバー2000」とともに、旧態化した英国の中型サルーン界に新風を吹き込んだモデルとして評価された。変更や改良を加えながら、77年まで作られている。
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境内でしばし撮影のため休止していると、これまた希少な「品5」のシングルナンバーを付けた1964年「ポルシェ356SC」がやってきた。
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われわれより後にスタートした、オールドイングリッシュホワイトがよく似合う1965年「ジャガーEタイプ・ロードスター」もチェックポイントを通過。もとより成績は考えていないが、遅すぎてチェックポイントが閉鎖されてしまったらシャレにならないので、あまりのんびりしてもいられない。
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向島あたりの、首都高6号線の下を走る隅田川沿いの道にて。きれいな紅葉をバックに写真を撮ろうと止めたら、東京スカイツリーも拝むことができた。
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三ツ目通りをずーっと南下して木場、塩浜、豊洲を経てチェックポイントのある晴海へ。ここでは240mの特設コースを28秒で走る。通称「ベビー・サンダー」こと1957年「フォード・サンダーバード」が計測中。