往年の名車がズラリ! 「横浜ヒストリックカーデイ」の会場から
2012.11.12 画像・写真2012年11月10日、神奈川県横浜市の横浜赤レンガ倉庫イベント広場で「横浜ヒストリックカーデイ 1st」が開かれた。この場所では過去数多くのクルマ関連イベントが開催されているが、今回が初となる「横浜ヒストリックカーデイ」は、これまでのものとは少々趣が異なる。主催者はメーカーでもインポーターでもオーナーズクラブでもなく、横浜在住のクラシック・ミニ愛好家とその仲間。「地元横浜の、すばらしいロケーションを誇る赤レンガ倉庫で、旧車の魅力を多くの人に伝える、しかも参加しやすいイベントを」という思いから企画し、準備を始めたのがちょうど1年前。イベント開催に関してはまったくの素人ながら、それから旧車仲間やショップの協力、そして英国大使館の後援などを得て、どうにか開催にこぎ着けたのだという。「できるだけ門戸を広く」という趣旨から、参加資格は1974年までに生産された三・四輪車と継続生産された同型車ということで、生産国やメイクなどの制限はなし。発起人がミニ・オーナーということもあってか、英国車、次いで日本車が多かったが、なかなかバラエティーに富んだ約150台のヒストリックカーが集まった。やや風が強かったものの、快晴で最高気温が20度近くまで上がるというイベント日和にも恵まれ、初開催ながら多くのギャラリーが訪れ大盛況に終わった会場から、印象に残ったモデルとシーンを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

青く澄み渡った秋空の下、赤レンガ倉庫広場に集まった約150台のヒストリックカー。初開催とはいうものの、会場内のレイアウトや参加車両の並べ方は的確だった。
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青く澄み渡った秋空の下、赤レンガ倉庫広場に集まった約150台のヒストリックカー。初開催とはいうものの、会場内のレイアウトや参加車両の並べ方は的確だった。
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道路に面した最前列には「オースチン・ヒーレー」をはじめとする1950〜60年代の英国製スポーツカーが並んだ。58年から61年まで造られた通称「カニ目」こと「オースチン・ヒーレー・スプライトMk1」は、愛らしく、ユーモラスなルックスで道行く人々の足を止めさせる“看板娘”の役割を果たしていた。
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こちらは1953年から最終的には68年まで15年間にわたって造られた、兄貴分の通称「ビッグ・ヒーレー」。左端は3リッター直6を積んだ「オースチン・ヒーレー3000」で、あとの3台は2.7リッター直4を積んだ「ハンドレッド」こと「オースチン・ヒーレー100」。
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1961年「ACグレイハウンド」。有名な「ACコブラ」のベースとなった「ACエース」のホイールベースを10インチ(約25cm)延長したシャシーにアルミボディーを架装した4座クーペで、生産台数83台という希少車。エンジンはブリストル製の2リッター直6。
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1955年「MGマグネットZA」。スポーツカーの名門であるMGが53年に送り出したスポーツサルーンの秀作。1.5リッター直4エンジンをはじめとするメカニカルコンポーネンツは同時代の2座スポーツである「MGA」とほぼ共通で、いわばそのサルーン版である。
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きれいに鼻先をそろえて並べられたオリジナルの「ミニ」。手前の「マーク1」をはじめ、すべて850ccエンジンを積んだ(クーパーではない)ベーシックモデルというところがポイント。
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濃いブルーに2本の白いストライプという、アメリカンなカラーリングを施されたオープン2座スポーツは、1991年「マーコス・マンチュラ・スパイダー」。イギリスに数多い“スペシャリスト”と呼ばれる少量生産メーカーのなかで、成功したメイクである「マーコス」が64年にリリースした「マーコス1800」がそのルーツ。84年に登場した「マンチュラ」はローバー製の3.5リッターV8を搭載したマッチョなモデルなので、こうした塗り分けも違和感がない。
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イギリスに本部のある「HRCR」(Historic Rally Car Register)のメンバーによる、FIA規定に基づいた、速さではなく走りの正確さを競うロードラリーを体験する「ロードラリー同乗体験」も行われた。ルートは会場周辺のみなとみらい地区で、車両は数台が用意された。これはワークスラリー仕様に仕立てられた「ミニ・クラブマン1275GT」。
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これも「ロードラリー同乗体験」に供された1970年「オースチン1800S」。「ADO15」(ミニ)、日本では「ヴァンデン・プラ・プリンセス」で知られる「ADO16」に続くコードネーム「ADO17」を持つ、横置きFFを採用したアレック・イシゴニス設計の中級サルーン。4.2mちょっとの全長に対して2.7m近いホイールベースを持ち、ルームスペース、特に後席まわりの広さは群を抜く。
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これも「ロードラリー同乗体験」から。独特の寄り目スタイルを持つ「ランドローバー・シリーズ2」。「ランドローバー・ディフェンダー」の先祖である。
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各地のイベントに自走で参加し、すっかりおなじみになった「日本ロールス・ロイス&ベントレー・オーナーズクラブ」会長の和田篤泰さんの1910年「ロールス・ロイス・シルバーゴースト」は、ここでも注目を集めていた。隣は豪州ラリーのクラス優勝で知られる1958年「ダットサン210」。
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漏れたオイルで会場を汚さないよう、主催者はオイルパン周辺の下に敷くシートをエントリー全車両の台数分用意していた。さらに風対策としてシートをテープで固定。初開催ながら、この気配りは立派。クルマはライセンス生産された1959年「日産オースチンA50ケンブリッジ」。
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初開催を祝うにふさわしい紅白の「ポルシェ356A」。赤いクーペ、白いカブリオレともに1959年式で、どちらもコンディションはすばらしい。
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1957年「フィアット・アバルト750ベルリーナ」。55年にデビューした「セイチェント」(イタリア語で「600」)こと「フィアット600」をベースにアバルトがチューンした、アバルト初の量産モデル。
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渋いグレーに塗られた「ランチア・フルビア・クーペ」。この個体は数年前に取材したことがあるのだが、クルマはあくまで趣味であるオーナー氏が、ボディーワーク、内装からエンジンをはじめとするメカニズムまで、すべて独力でフルレストアした力作である。
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左から1950年「11CV」、73年「DS23」、75年「SM」と、車齢そして背の順に並んだ3台のシトロエン。「DS23」のリアバンパーにつながれていたブルドッグがおとなしくてかわいかった。それにしても空の青く、きれいなこと!
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通称「アマゾン」こと1969年「ボルボ122S」。ご覧のように大きな補助灯を4つ装着、室内にもラリーメーターやマップランプを備えるなどしてラリー仕様に仕立ててあり、エンジンもライトチューン済みとのこと。
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1947年「キャデラック62クーペ」。エントリー中唯一のアメリカ車、しかし1台とはいえ存在感は抜群だった。遠近法のせいもあって、隣の「ミニ」がなんとも小さく見える。
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ここからは日本車。先ごろデビューした「ホンダN-ONE」のモチーフとなった1969年「ホンダN360」。年式からいくと通称「N2」と呼ばれる中期型だが、エクステリアは「N1」こと前期型の「Sタイプ」風だ。
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2台並んだ初代「ホンダ・シビック」。左はデビューイヤーとなる1972年の最初期型「GL」、しかも「横浜55」ナンバー付きのワンオーナー車。右は1年弱しか作られなかったツインキャブのスポーツタイプである75年「RS」。
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1970年「日産ローレル・ハードトップ2000GX」。68年にデビューした初代ローレルに、70年に日産初のハードトップとして加えられたモデルのトップグレード。ホイールキャップが装着されていないことを除いては、外装はオリジナルのままである。
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1971年「スバルff-1 1300G GL」。66年にデビューした、水平対向エンジンを積んだスバル車のルーツである「スバル1000」の最終発展型。ツインキャブ・エンジンのスポーツグレードではない、こうしたおとなしいグレードの残存車両は希少。しかも程度もすこぶるいい。
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1963年「トヨペット・クラウン・デラックス」。間もなくフルモデルチェンジを迎えると言われているクラウンだが、これは今からちょうど半世紀前の62年に登場した2代目の初期型。この個体は中でも珍しい、まだ全自動ではなく半自動だった2段ATの「トヨグライド」仕様である。
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通称「ヨタハチ」こと1966年「トヨタ・スポーツ800」。長年の風雪でほとんど緑の文字色が消えてしまっているが、「岩5」のシングルナンバー付きである。68年以降の後期型のフロントグリルが装着されている。
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空冷フラットツインエンジンをはじめ、ヨタハチのベースとなった初代「パブリカ」のメカニカルコンポーネンツを流用したワンボックス商用車である1974年「トヨタ・ミニエース・バンデラックス」。このバンのほかにトラック、そしてバンとボディーを共用する7人乗り乗用ワゴンの「コーチ」もあった。