「JCCAクラシックカーフェスティバル 富士ジャンボリー」(前編)
2012.04.18 画像・写真2012年4月15日、静岡県小山町の富士スピードウェイで「JCCAクラシックカーフェスティバル 富士ジャンボリー」が開かれた。これは主催するJCCA(日本クラシックカー協会)がTACS(東京自動車クラブ)と名乗っていた1970年代から続いている伝統のクラシックカーレースである。JCCA主催のクラシックカーレースは、このほか筑波サーキットで毎年夏に開かれる「筑波ミーティング」と、同じく筑波で秋に行われる「エンデュランスミーティング」があるが、やはり最大のイベントは春の恒例となっているこの「富士ジャンボリー」。昨年は東日本大震災の影響により中止されたが、1年ぶりに開催された今回はレースだけでも100台以上、走行会も含めると270台以上が出走する盛況となった。それらエントラントのなかから、印象に残ったマシンを紹介しよう。 (文と写真=沼田 亨)
(→後編はこちら)

1977年にデビューした4代目「ダットサン・サニー(B310)」と翌78年に登場した2代目「トヨタ・スターレット(KP61)」のチューンド車両による「TSカップ」。往年の「マイナーツーリングレース」をほうふつさせる。性能差が少ないため毎回激戦が展開されるが、今回は22台が出走。スタート直後、1コーナーに向かうトップグループのブレーキング競争で、タイヤスモークが上がる。
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1977年にデビューした4代目「ダットサン・サニー(B310)」と翌78年に登場した2代目「トヨタ・スターレット(KP61)」のチューンド車両による「TSカップ」。往年の「マイナーツーリングレース」をほうふつさせる。性能差が少ないため毎回激戦が展開されるが、今回は22台が出走。スタート直後、1コーナーに向かうトップグループのブレーキング競争で、タイヤスモークが上がる。
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「TSカップ」で、終始激しいトップ争いを展開した予選1位のカーナンバー2と同2位のナンバー28(後方)の「B310サニー・クーペ」。決勝は28が1位、2が2位と逆転、ファステストラップは28の1分59秒239だった。
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1965年までに生産された車両およびその同型車のチューニングカーによる「S65レース」。11台が出走し、デッドヒートを見せた予選3位の1967年「プリンス・スカイライン2000GT-B(S54B)」と同2位の1963年「コルチナ・ロータスMk1」。日英の「羊の皮をかぶった狼」同士の対決は、最終的に「コルチナ・ロータス」が優勝、「S54B」は2位だった。
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同じく「S65レース」で、こちらもテール・トゥ・ノーズで戦っていた1965年「ルノーR8ゴルディーニ1100」と1968年「MGミジェットMk3」。
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これも「S65レース」に古くから出走している1964年「ジャガー・マーク2 3.8」。堂々としたルックスに違和感を覚える方もいるかもしれないが、本来マーク2はスポーツサルーンとして名をはせたモデルで、50年代末から60年代前半にかけての英国サルーンカー・レースでは無敵の王者だったのだ。
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同じく「S65レース」を走る、アメリカンな雰囲気のカラーリングがキマっている1957年「トライアンフTR-3A」。「ジャガーXK120」にも似た雰囲気を持つ中級スポーツカーで、同時代のライバルである「MGA」よりひとまわり大きい直4OHV2.2リッターエンジンを搭載、動力性能では勝っていた。
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サスペンションの改造のみが許された1968年前後に生産された車両と、同じく1970〜75年に生産された車両が混走する「P68/75レース」。前を行く1968年「マツダ・コスモスポーツ」は出走12台中、予選3位の好位置からスタートしたが、途中でアクシデントに遭いご覧のような姿に。それでも健闘し4位に入った。
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同じく「P68/75レース」を走る1966年「アルピーヌA110 1300」と1971年「マツダ・ファミリアプレスト・ロータリークーペ」。後者は予選4位から決勝では3位に入賞した。
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1979年までの日本車による走行会「ジャパンラン」。ナンバー付きのノーマル車両からレース仕様まで、それこそバンやピックアップでもOKというもので、バラエティーに富んだ車両全122台が参加。さすがに一度には走れないため、午前と午後に61台ずつに分けられた。
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「ジャパンラン」より、1975年「日産ローレル・ハードトップ2000SGX」。通称「ブタケツ」こと2代目ローレルだが、筆者の古くからの知り合いであるオーナー氏は、このクルマに18歳のときからなんと30年間乗り続けている。エンジンはL28改3.1リッター(もちろん公認取得済み)で、日常使用が可能なフレキシビリティーを備えながら、Sタイヤを履けば2分5秒台で富士を走る。
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「ジャパンラン」より、1973年「日産バイオレット・ハードトップ」。「510ブルーバード」の後継モデルとして登場した、型式名710こと初代「バイオレット」のハードトップ。曲線を多用した70年代の日産デザインを代表する1台だが、この個体はシンプルにキメている。フェンダーミラーの位置に装着されたビタローニのセブリングミラーがイイ感じ。
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「ジャパンラン」には、こんなシブいクルマも走っていた。一見したところ「カローラ30(サンマル)」と称した3代目「トヨタ・カローラ」のオッサン臭い4ドアセダンだが、よく見ると顔つきがスポーティーなハードトップ用に替えられており、エンジンはソレックス仕様の4A-Gに換装と、かなりマニアックな仕様。これがホントの「羊の皮をかぶった狼」?
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これも「ジャパンラン」より、197?年(プログラムには70年とあったが、サバンナのデビューは72年なので)「マツダ・サバンナRX-3」のレーシング仕様。後にルマンにも参戦した「マツダオート東京」(マツダスピードの前身)のカラーリングを模している。
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日本車で唯一ルマンに勝った「マツダ787B」でおなじみのレナウンチャージカラーに塗られた1979年「マツダ・サバンナRX-7」(SA22C)のレーシング仕様。「ジャパンラン」より。
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1979年までの輸入車による走行会「オーバーシーラン」には20台が参加。1971年「BMW 3.0CSL」は、現在の「6シリーズ」に相当する上級クーペの最高級グレードである「3.0CSi」のドアやボンネット、トランクリッドなどをアルミ製に替え、装備を簡略化したツーリングカーレース用のホモロゲーションモデル。
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「オーバーシーラン」より、1968年「BMW 1800改アルピナA4S」。ベースは「ノイエ・クラッセ」と呼ばれる、今日の「5シリーズ」のルーツとなるセダン。ただしパワーユニットは72年に輸入された、おそらく日本上陸第1号と思われる2リッターのアルピナ製コンプリートエンジンに換装されている。
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「オーバーシーラン」より、大胆なモディファイが施された1964年「アルファ・ロメオ・ジュリア1600スパイダー」。JCCAのイベントでは昔からおなじみのマシンである。
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「オーバーシーラン」より、1971年「ランチア・フルビア1600スポルト」。ラリーでの活躍で知られる「フルビア・クーペHF」と同じシャシーに、ザガート製のファストバッククーペボディーを架装したモデルをモディファイしたもの。まるでサファリ仕様のラリーカーのようにロードクリアランスが高い。
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「オーバーシーラン」より、1972年「デ・トマゾ・パンテーラ」。カロッツェリア・ギア在籍時のトム・チャーダが手がけたボディーに、フォードV8をミドシップしたイタリアン-アメリカン・スーパースポーツ。
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「オーバーシーラン」より、1969年「インディ500ペースカー」のカラーリングで仕立てられた「シボレー・カマロ・コンバーチブル」。ちなみにインディ500が100周年を迎えた昨2011年は、同じカラーリングをまとった現行「カマロ」がペースカーに採用された。(→後編はこちら)