「2013フェスティバル・オブ・サイドウェイ・トロフィー」の会場から
2013.05.07 画像・写真2013年5月4日、千葉県袖ケ浦市の袖ケ浦フォレスト・レースウェイで、「2013フェスティバル・オブ・サイドウェイ・トロフィー」が開かれた。
これは、ヒストリックカーレースの本場であるイギリスをはじめとした、ヨーロッパのイベントを範とする二輪および四輪の旧車レースである。ただし、レースとはいえ着順やラップタイムだけにとらわれることなく、エントラントやゲスト、スタッフやギャラリーなど、会場に集う人間がこだわりのファッションやスタイルを意識することで、「大人の社交場」としてのイベントの雰囲気を作り上げていくことを目的としているという。
2004年から筑波サーキット、ツインリンクもてぎ、富士スピードウェイなどで、ほかのイベントと併催する形で開催されてきたが、2012年秋に袖ケ浦フォレスト・レースウェイで初の単独開催を行い、今回は2回目となる。前回同様、1960~70年代に国内はもとより欧州のレースでも大活躍したリヴィング・レジェンドである生沢徹氏も参戦し、大いに盛り上がった会場から、リポーターの印象に残ったマシンとシーンを紹介しよう。
(文と写真=沼田 亨)

開会式の始まりを告げるのは、バグパイプの演奏。
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開会式の始まりを告げるのは、バグパイプの演奏。
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マン島を舞台に活躍した、単気筒モーターサイクルによる「マンクス・トロフィー」には9台が参加。一斉にスタートすると騒音規制に引っかかる懸念があるため、1台ずつ等間隔でスタートしてベストラップを競うタイムトライアル形式で行われた。これは3位のタイムを記録した1959年「ノートン・マンクス 30M」。
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四輪を含め、参加車両中もっとも古いモデルだった1929年「ヴェロセットKTT Mk1」。ウエアもバッチリとキメている。
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1969年までのシングルシーターで争われる「ヒストリックフォーミュラカップ」。今回は参加台数7台と少なかったが、これは映画『男と女』にも登場するフォード・フランスのマシンを模したカラーリングの1966年「ブラバムBT21」。予選1位だったが、決勝ではフライングスタートにより30秒加算。わずか10ラップのレースでは致命的と思われたが、見事2位に31秒少々の差をつけて優勝した。
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ゴールドリーフカラーに塗られた1969年「ロータス59」は3位。生沢徹氏も同型のマシンで69年のイギリス/ヨーロッパF3を戦った。
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1969年までに生産されたサルーンカーによる「ティントップ・カップ」には、ほぼフルグリッドとなる24台がエントリー。決勝前にはグリッドガールが並ぶ本場風の演出も。
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個人的には「キモカワイイ」と思う1965年「フォード・アングリア105E」は、60年代の英国フォードのボトムラインを支えたモデル。
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1969年「サンビーム・スティレット」。今は亡き英国の「ルーツ・グループ」が、オリジナル・ミニの対抗馬として63年にリリースしたリアエンジンの小型セダンである「ヒルマン・インプ」をベースとする小粋なスポーティークーペ。ルックスは「シボレー・コルベア」のまんま縮小版。
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1969年「フォード・カプリ」。カプリはヨーロッパ・フォード版「マスタング」として誕生したスペシャリティーカーだが、これは往年のドイツ・フォード・ワークスの「カプリ2600RS」のカラーリングを模している。
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1968年「アルファ・ロメオ1750GTV」。ジウジアーロの最高傑作のひとつといわれ、今も人気の高い通称ジュリア・クーペ。60年代のヨーロッパのツーリングカーレースを語る際にも欠かせないモデルである。
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「ティントップ・カップ」で、ブッちぎりでポール・トゥ・ウィンをキメた1964年「オースチン・ミニクーパーS Mk1」。ご覧のようにコーナーでは内側後輪を浮かせていたが、不安な感じはまったくない、見事な走りだった。
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1957年「オースチンA35」。およそレースとは縁のなさそうな、愛嬌(あいきょう)のある姿の「ミニ」の先輩格だが、本国でもヒストリックレーサーとして人気があるという。
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縁石を使ってコーナーを攻める1963年「オースチンA40ファリーナ」。先の「A35」の後継モデル。名称が示すとおりピニンファリーナがスタイリングを手がけている。
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これも「ミニ」の先輩格である1954年「モーリス・マイナーSr2」。ひっくり返りそうなほどのロールやノーズダイブなど、思わず「おっとっと」という吹き出しを付けたくなるような姿勢変化の大きな走りは、これまた見る者を引きつけた。
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「ティントップ・カップ」で2位に入った1963年「コルチナ・ロータスMk1」。英国フォードの平凡な小型車であるコルチナのボディーにロータス・ツインカムを積んだ、60年代を代表するスポーツサルーン。
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1969年までに生産されたスポーツカーによるメインイベントである「エバーグリーン・カップ」には、23台が出走した。
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現役時代と同じく、トレードマークの丹頂鶴(タンチョウヅル)をデザインしたヘルメットをかぶった生沢徹氏のドライブする1968年「ポルシェ911T」。見事ポール・トゥ・ウィンを飾ったのだが……。
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1964年「ジネッタG4」。日本では90年代に再生産されたモデルで広く知られるようになったが、こちらはオリジナル。「エバーグリーン・カップ」で3位に入賞したが……。
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1968年「MGB GT」。超有名なオープン2座スポーツの「MGB」をテールゲート付きのクーペにアレンジしたモデル。サックス(水色)で、フロントエプロンだけ白いカラーリングがさわやか。
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1959年「アルファ・ロメオ・ジュリエッタSZ」。SZとはスプリント・ザガートの略で、ザガートがアルミボディーを架装したコンペティションモデル。
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1965年「アルファ・ロメオ・ジュリア1600スパイダー」。大胆にモディファイされたスパイダー。白と赤で塗り分けたカラーリングもイカしてる。
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1966年「ロータス・レーシングエランS2」。26Rのタイプ名で呼ばれるエランのレーシング仕様。生沢ポルシェを懸命に追ったが、届かず2位。しかし……。
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1967年「マーコス・ミニGT」。オリジナル・ミニのパワートレインとサスペンションを流用したFWD(前輪駆動)のミニ・スポーツ。
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1969年「TVRヴィクセン」。鋼管バックボーンフレームにFRP製ボディーをかぶせ、英国フォード製の1.6リッターエンジンを搭載。車名のヴィクセンとは「雌ギツネ」という意味。6位でフィニッシュしたが、前走車のペナルティーにより5位入賞。
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ある意味エバーグリーンという言葉を象徴するモデルである1969年「モーガン4/4」。7位でフィニッシュしたが、前走車のペナルティーにより6位入賞。
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このイベントを企画・主催している英国車専門店「エコスカーズ」代表の金子温(たずぬ)氏の駆る1960年「オースチン・ヒーレー3000」。5位でフィニッシュしたが、前走車のペナルティーにより4位入賞。
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各レース終了後には、コース上で暫定表彰が行われた。これは「エバーグリーン・カップ」で、真ん中でシャンパンファイトに興じているのは生沢徹氏。ところが正式結果では生沢氏は黄旗無視により1周減算され、9位にとどまった。それで2位の「ロータス・レーシングエランS2」が繰り上げ優勝となり、以降も9位までが1位ずつ順位が繰り上がった。
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生沢氏は表彰式でプレゼンターも務めた。これは二輪の「マンクス・トロフィー」に親子で参加して1位と2位のタイムを記録し、なおかつベストドレッサー賞を受賞した参加者との記念撮影。ちなみに左側は元マツダの立花啓毅氏で、右側は息子さんの啓道氏。
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ペナルティーにより優勝は逃した生沢氏だったが、遊びに真剣に取り組む姿勢がイベントの趣旨にもっともふさわしいと評価され、「スピリット・オブ・サイドウェイ・トロフィー」、平たくいえばイベント大賞を受賞。さらに「イメージは進駐軍」というスタッフ用ユニフォームを新調したチーム生沢もチーム賞を獲得。オールドファンならば、生沢氏の赤いVネックセーター、右手に持ったペプシコーラの意味がわかるだろう。
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会場には競技車両のほかにも、ご覧のように英国車がたくさん並んでいた。なおこの「フェスティバル・オブ・サイドウェイ・トロフィー」、次回開催予定は今年の11月という。