「トヨタ博物館 クラシックカーフェスタ in 神宮外苑」
2013.12.03 画像・写真2013年11月30日、東京都新宿区の明治神宮外苑 聖徳記念絵画館前で、「トヨタ博物館 クラシックカーフェスタ in 神宮外苑」が開かれた。愛知県長久手市にあるトヨタ博物館が、クラシックカー愛好家同士の交流とクルマ文化の継承を目的とするイベントを首都圏でも開催すべく、2007年に始めたこのフェスタも、今回で7回目となる。一般オーナーから募集した約100台のクラシックカーの展示と公道パレードを中心とする内容は初回以来不変で、これも恒例となっている企画展示の今回のテーマは、「50年前のモーターショーとその頃のクルマたち」。折しも2020年の東京オリンピック開催が決定し、来年は1964年の東京オリンピック開催から50年を数えるが、50年前といえば日本車にもスポーツカーや海外デザイナーの作品など魅力的なモデルが登場し始め、モーターショーが熱かった時代でもある。その頃を振り返るべく、トヨタ博物館の所蔵車両7台のほか、初の試みとして日産自動車および日野自動車の協力により、それぞれが所蔵する貴重なショーカー1台ずつを加えた計9台が展示された。ロケーションがいちょう祭りで賑(にぎ)わう神宮外苑とあって大盛況だった会場から、リポーターの印象に残ったモデルを中心に紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

午前10時からのオープニングセレモニー終了後、恒例の公道パレードへと出発。先導車に続くカーナンバー1は、1919年「ロールス・ロイス・シルバーゴースト40/50HPアルパインイーグル」。白洲次郎のベントレーや吉田 茂のロールス・ロイスをはじめ、貴重なロールスとベントレーを動態保存しているワクイ・ミュージアムの所蔵車両である。
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午前10時からのオープニングセレモニー終了後、恒例の公道パレードへと出発。先導車に続くカーナンバー1は、1919年「ロールス・ロイス・シルバーゴースト40/50HPアルパインイーグル」。白洲次郎のベントレーや吉田 茂のロールス・ロイスをはじめ、貴重なロールスとベントレーを動態保存しているワクイ・ミュージアムの所蔵車両である。
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1961年「プリンス・スカイライン・デラックス」。57年に「トヨペット・クラウン」と市場を争うモデルとして誕生した初代スカイラインのマイナーチェンジ版で、国産乗用車で初めてデュアルヘッドライトを採用したモデル。テールフィンの生えたスタイリングは50年代の米車の縮小版だが、ド・ディオン式のリアアクスルやプジョーに範を取った直4 OHVエンジンなど、中身は欧州車の影響が濃かった。
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1963年「プリンス・スカイラインスポーツ・コンバーチブル」。先の初代スカイラインのシャシーに、イタリアのミケロッティがデザインし、ハンドメイドされたボディーを載せた国産初の高級パーソナルカーで、クーペも存在した。コンバーチブルで195万円という価格は、ベースとなった「スカイライン1900スタンダード」(84万円)の2倍以上という高額なもので、生産台数は約60台にとどまる。
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1968年「日産プリンス・クリッパー」。乗用車ベースではない純商用車は原則としてエントリーできないと思っていたが、ダメ元で応募したら受理されてしまったという2トン積みトラック。オーナーいわく「まさかトラックでレッドカーペットの上を走れるとは思いませんでした」。
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1966年「日野コンテッサ1300クーペL」。ボディーに薄い鋼板を使用するなどしてノーマルより100kg以上軽く仕立てられたレース用のライトウェイト仕様で、20台だけ作られた。この個体は、先頃東京モーターショーに合わせて来日したピート・ブロック率いるBRE(ブロック・レーシング・エンタープライズ)のリクエストに応じてアメリカに送られ、後に日本に里帰りしたものという。白とオレンジの組み合わせは当時のBREカラーである。
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1967年「オースチンJ4-10ドゥオモービルキャラバン」。60年からモーリス/オースチンの両ブランドにラインナップされていた、イギリス版「ハイエース」的なワンボックスバンをベースにしたキャンパー。日本には1台きりという。
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1969年「BMW 2000CS」。近代BMWの祖として61年に登場した「ノイエ・クラッセ」こと「1500」に始まる4ドアセダンをベースとするクーペで、65年にデビュー。ボートのような、いささかアクの強いマスクを持つボディーに、直4 SOHCヘミヘッドの2リッターエンジンを積む。
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1965年「ポルシェ911」。63年のフランクフルトショーでのデビューから数えて、今年生誕50周年を迎えた911。生産開始は翌64年からだから、65年式というこの個体は、通称ナローのなかでもかなり初期に作られたモデル。オーナーが走り好きとみえ補助灯が装着され、室内にはロールバーも入っている。
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1983年「アルファ・ロメオ・ジュリエッタ」。77年に登場した、日本では珍しい2代目ジュリエッタ。シャシーは兄貴分である「アルフェッタ」と基本的に同じで、実用セダンながらギアボックスがデフの直前に位置するトランスアクスルとド・ディオン式のリアサスペンションを持つ。
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1968年「ダフ44」。ミケロッティの手になるボディーのフロントに844ccの空冷フラットツインを積み、リアアクスルの前方に置かれたバリオマチックと称する元祖CVTを介して後輪をドライブするオランダ産の小型サルーン。日本における実動車両はこれ1台かも。
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パレードの終盤、外苑の外周路を走る1924年「ベントレー3リッター」。ドライバーはレース界では高名なチームタイサンのオーナーである千葉泰常氏。過去、数多くのヒストリックカーイベントで好成績を残しているマシンである。
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1959年「日産オースチンA50ケンブリッジ」。日産が英国オースチンとの契約の下にライセンス生産したモデルで、「5」で始まる陸運支局がなかった時代の東京ナンバーを付けている。後ろを走るのはA50の先代となる、日産が初めてライセンス生産した54年「日産オースチンA40サマーセット」である。
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1970年「日産ローレル・ハードトップ2000GX」。68年に「ハイオーナーカー」をうたって登場した初代ローレルに70年に加えられた、日産初となるセンターピラーレスの2ドアハードトップの高性能版。筆者が思うに東京モーターショーに出展された「IDx(アイディーエックス)」の元ネタのひとつで、サイズ的にも近い。
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1974年「トライアンフ・ドロマイト・スプリント」。9月に開かれた「熱海HISTORICA G.P.」にもエントリーしていた希少車。SOHC 16バルブ2リッターエンジンを積み、BMWイーターを標榜(ひょうぼう)した高性能サルーンである。
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1969年「オペルGT 1900」。親会社であるGMの「シボレー・コルベット」を縮小したようなボディーを持つスポーツクーペ。もっともシャシーは初代「カローラ」も参考にした大衆車である「オペル・カデット」からの流用で、言ってみればカローラに「トヨタ2000GT」風のボディーを着せたようなもの? ただし日本での新車価格は235万円で、2000GT(238万円)とほとんど変わらなかった。
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1982年「フォルクスワーゲン・ゴルフGTI」。GTI(Iはインジェクションの意味)の名を冠した元祖である、初代ゴルフGTI。日本には正規輸入されず並行のみだったが、345万円という新車価格はノーマルのゴルフ約2台分で、当時の「クラウン」の最高級グレードより高かった。
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1968年「ランボルギーニ・ミウラP400S」。今回エントリー中唯一のスーパーカーで、見たところコンディションもすばらしい。ほほ笑みを浮かべ、控えめに手を振る助手席の女性もステキだ。
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1959年「キャデラック・セダン・ドヴィル」。テールフィンが全盛を極めた50年代の米車のなかでも、もっともフィンが高くそびえ立っていたのが、この59年キャディ。後方から眺めると、モチーフはジェット機やロケットだったことがわかる。
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1958年「トヨペット・クラウン」。観音開きドアを持つ初代クラウン(型式名RS)の左ハンドル仕様(RSL)である。トヨタが58年に北米に輸出した最初の643台のうちの1台で、現存は4、5台という希少車。2011年に里帰りして、フルレストアされたとのこと。
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トヨタが創立75周年を迎えた昨年は先頭を走ったが、それは例外としてトヨタ車はいつもパレードの最後で、アンカーを務めるのは「トヨタ2000GT」と決まっている。
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企画展示「50年前のモーターショーとその頃のクルマたち」の一部として、当時のショーに出展された3台のプロトタイプ(今でいうコンセプトカー、復元車含む)が特別展示された。左から日産が所蔵する「プリンス・スカイラインスポーツ」、日野が所蔵する「日野コンテッサ900スプリント」、最近になって復元された、トヨタ博物館所蔵の「パブリカ・スポーツ」。
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それぞれが独特の個性を放つリアビュー。関係者によるトークショーの後、「スカイラインスポーツ」と「パブリカスポーツ」は走行も披露した。
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写真3枚目でコンバーチブルを紹介した、「プリンス・スカイラインスポーツ」のクーペのプロトタイプ。前述したようにデザインはミケロッティ、ボディー製作はミケロッティの相棒的存在だったカロッツェリア・アレマーノが行い、1960年のトリノショーに参考出品(日本車初のワールドプレミア)された。市販型とはインパネほか内外装の細部が異なる。
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1962年のトリノショーでワールドプレミア、翌63年の第10回全日本自動車ショウ(当時の東京モーターショーの和文表記)に出展された「日野コンテッサ900スプリント」。コンテッサ900のシャシーに、これまたミケロッティが手がけたボディーを架装。エンジンのチューンは、ステアリングホイールで有名なイタリアのナルディが担当。日野はこれをイタリアで生産してヨーロッパで販売する計画を持っていたが、実現しなかった。「ヒノ」とカタカナで表記されたノーズのエンブレムに注目。
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1962年の第9回全日本自動車ショウに参考出品された「パブリカスポーツ」を、近年になって復元したもの。パブリカのコンポーネンツを用い、軽量化と空気抵抗の軽減を徹底して追求した実験車で、通常のドアはなく、軽飛行機のキャノピーのようにルーフが後方にスライドして乗降する。この形では市販化されなかったが、軽量で空力に優れた小型スポーツカーというコンセプトは、65年に発売された「トヨタ・スポーツ800」として結実した。
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「50年前のモーターショーとその頃のクルマたち」というテーマに沿ったトヨタ博物館の所蔵車両6台も展示され、走行も披露した。手前から1961年「ロータス・エリート」、63年「スチュードベーカー・アバンティ」、64年「ホンダS500」、65年「トヨタ・クラウン・エイト」、65年「ダットサン・ブルーバード1300デラックス」、68年「三菱コルト1000F」。
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1964年「ホンダS500」。62年の第9回全日本自動車ショウに、今年の東京モーターショーに復元モデルが出展された軽規格の「S360」とともにプロトタイプがデビュー。翌63年にボディーおよびエンジンの拡大など手直しされたS500のみが、ホンダ初の市販四輪乗用車として発売された。
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1965年「トヨタ・クラウン・エイト」。2代目クラウンのボディーを延長、拡幅したボディーに2.6リッターの国産初となるV8エンジンを搭載した最高級車。「ショーファードリブンカー50年史」でも触れたように、4720mmの全長に対して全幅は1845mmという、超ワイドなプロポーションが特徴。67年にクラウンの世代交代に伴い、「センチュリー」に発展した。
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1968年「三菱コルト1000F」。65年にその頃流行していたファストバックスタイルを採り入れた「コルト800」としてデビュー。その2ストローク3気筒800ccエンジンが不評だったため、1リッターの4ストローク直4エンジンに換装したモデルが「1000F」(Fはファストバックの意味)。これは独立したトランクを持つ2ドアだが、後にテールゲートを備えた3ドアや4ドアも加えられた。
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今年の東京モーターショーは前回を上回る数の入場者が訪れ成功裏に終わったが、このイベントも好天も手伝って大盛況だった。選ばれた数名のオーナーがインタビューを受けた後、走行を披露する「オーナーインタビュー」が行われている左手前のスペースには、特に人垣ができている。