旧車イベント「U1000 in しらこばと公園」の会場から
2014.03.01 画像・写真2014年2月23日、埼玉県越谷市のしらこばと水上公園で旧車イベント「U1000 in しらこばと公園」が開かれた。昨年に続き2回目の開催となるが、イベント名のU1000とは、サッカーのユースなどと同じく「アンダー1000」の略。すなわち1000cc未満のコンパクトな旧車のミーティングという意味である。参加資格は原則として昭和時代に生産された1000cc未満の車検付きの三輪車/四輪車だが、約80台のエントリー車両のなかには排気量が少々上回ったり、年式が新しいモデルも特例として含まれていた。最も多かったのは30台近くを数えた“サブロク軽”だったが、バラエティー豊かな参加車両のなかには、めったに拝めないモデルの姿も。集まったクルマと同様に開催規模はコンパクトではあるものの、見応えは十分のイベントだった。(文と写真=沼田 亨)

1966年「マツダ・キャロル 2ドアデラックス」。総アルミ製の水冷直4 OHVヘミへッドという高級な設計の360ccエンジンをリアに積んだ初代キャロル。62年のデビュー以来の基本となるのが、この2ドアセダンである。
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1966年「マツダ・キャロル 2ドアデラックス」。総アルミ製の水冷直4 OHVヘミへッドという高級な設計の360ccエンジンをリアに積んだ初代キャロル。62年のデビュー以来の基本となるのが、この2ドアセダンである。
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1969年「マツダ・キャロル 4ドアデラックス」。63年に追加された軽初の4ドアセダンで、66年のマイナーチェンジで顔つきが変わった。オーナーは女性で、お子さんの幼稚園の送迎など普段の足に使っているという。
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1967年「スバル360デラックス」。リアクオーターのエアインテークに取り付けられたエアスクープは、オーナーがステンレス板で自作したもの。初期の日本グランプリに出場したワークスマシンに倣ったもので、現役当時はドレスアップ用の社外品が出回っていた。オーナーによれば、取り付けたことでシリンダーの温度が5~10度下がり、オーバーヒート対策に有効という。
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1967年「スバル360デラックス改コンバーチブル」。樹脂製のルーフをキャンバストップに替えたコンバーチブルは、一時期カタログモデルとしてラインナップされていた。この個体はカタログモデルが生産終了後にセダンからコンバートされたものだが、かつてはこうした改造車はさほど珍しくなかった。
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1970年「ホンダNIIIタウン・デラックス」。NIIIのなかでも非常に珍しいタウンは、その名のとおり街中での扱いやすさを重視して最高出力を標準の31ps/8500rpmから27ps/7000rpmへとデチューン。乗り心地を柔らかくするためスプリングレートを下げ、ロール対策としてフロントサスにスタビライザーを付加。内装も標準モデルとは異なる。この個体のボディーカラー、アルミホイールやフェンダーミラーはノンオリジナル。
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1969年「スズキ・フロンテ360デラックス」。67年に登場した型式名LC10と呼ばれる2代目フロンテで、駆動方式を初代のFFからRRへと転換。時代に逆行したようにも思えるが、空冷2ストローク3気筒エンジンによる軽快な走りでヒット。同じ年に誕生した「ホンダN360」に次ぐセールスを記録した。
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1971年「スズキ・フロンテ71GT/W」。前出のフロンテの後継モデルで、ボディーは卵形から角張ったものへとガラリと変わったが、中身は基本的に同じでRRのまま。この個体は水冷化された2ストローク3気筒エンジンを積んだ上級シリーズの高性能グレードである。スズキはこのスタイリングを“スティングレイ・ルック”と称していたが、いったいどこが“エイ”なのか……。
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1966年「スズライト・キャリイ」。キャリイとしては2代目となるセミキャブオーバー型の軽トラック。この次の世代からキャブオーバー型となり、車名もスズライト(スズキと軽量を意味するライトの造語)改め「スズキ・キャリイ」となった。そして現在に至るわけである。
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とても珍しく、コンディションのいい1981年「三菱ミニカ55バン」。360cc規格のボディーを拡大し、水冷2気筒 SOHC 550ccエンジンを搭載。初代スズキ・アルトに始まる、乗用車と同じボディーを使い商用車登録とした、いわゆる“軽ボンバン”ではなく、もともとバン専用ボディーを持つモデルである。
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マンガ/アニメ作品に登場するミニパトを再現した、1987年「ホンダ・トゥデイ」。作品にあわせて、ちゃんとエアスクープ(開口部は黒塗りのダミー)を装着している。シャレのきいた「軽視庁」がいい。
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1968年「トヨタ・パブリカ・コンバーチブル」。初代パブリカの最終型のコンバーチブルで、通称ヨタハチこと「トヨタ・スポーツ800」と同じツインキャブ仕様の空冷フラットツイン800ccを搭載。
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“FOR SALE”のボードが掲げられた1968年「スバル1000バン」。クラス初の4ドア、FF、そして四輪独立懸架の採用により広い荷室と使い勝手のよさ、加えて高い走行性能を兼ね備えたバン。積載量による姿勢変化に備えて、なんとヘッドランプレベライザーまで装備していた。商用バンながら(この個体は5ナンバーで登録されているが)、「レガシィツーリングワゴン」から「レヴォーグ」に至るスバルワゴンのルーツである。
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エントリー車両のなかでもっとも古い、唯一の戦前車だった1934年「オースチン・セブン・ルビー」。セブンは1922年から39年まで作られた英国生まれの傑作小型車で、国内外のメーカーの小型車づくりに影響を与えた。故・小林彰太郎氏の最初の愛車がポンコツの31年セブンだったことは、マニアの間では有名である。
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1967年「ヒルマン・インプ」。「ミニ」に対抗して63年に登場した大衆車だが、ミニとは対照的にコルベア・ルックをまとったボディーのリアに、50~60年代に F1エンジンも作っていたコベントリー・クライマックス設計の総アルミ製直4 SOHC 875ccエンジンを積んでいる。
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くすんだアップルグリーンとでもいうか、味わい深いカラーがよく似合っている「サーブ96」。ボディーは全長4m以上あるが、エンジンは2ストローク3気筒841cc。デビューは1960年で、66年に排ガス対策のためエンジンをドイツ・フォード製の1.5リッターV4に換装、改良を加えながら80年まで作られた。
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「長4」のシングルナンバーの付いた1959年「ダットサン1000トラック」(G221)。法規の改正に合わせて追加されたフェンダーミラーを除けば、塗装を含めほぼ原形を保った貴重な個体。クルマもさることながら、実は積み荷もスゴかったのだ。
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「ダットサン1000トラック」の荷台に積まれていたのは、1963年に登場したホンダ初の市販四輪車にして、日本初のDOHCエンジン搭載車だった軽トラック「T360」のエンジン単体。なんとこのエンジン、軽用(車種不明)のターボチャージャーが装着されているのだ。試運転を披露したところ、過給圧はまだ低い状態だが、エンジン自体はレブリミットの8500rpmまで軽々と回っていた。今後セッティングを詰めて車載する予定というから、楽しみである。
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「ホンダT360」の後継モデルとして1967年に登場したTN360のマイナーチェンジ版である「ホンダTNIIIデラックス」。キャブオーバー型の軽トラックで、床下にミドシップしたエンジンによる後輪駆動、前ストラット、後ろド・ディオンのサスペンションというレイアウトは、今日の「アクティ」まで連綿と受け継がれている。
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明らかに旧車ではない「ホンダ・アクティ」。なぜエントリーしているのだろうと近寄ったところ、リア2軸(6輪)である。いったいこれは……?
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と思って反対側を見たら、雪上仕様の1996年「ホンダ・アクティ・クローラ」だった。ホンダはT360の時代から「スノーラ」と名乗る雪上走行キットをオプション設定していたが、この2代目アクティが雪上仕様の最終モデルになるという。一見したところ、反対側と同じ2軸のタイヤにゴム製のクローラを引っかけただけのように見えるが、こちらのタイヤはクローラ専用の細いもの。クローラ専用タイヤで一般走行はできず、いっぽうクローラ走行時には専用タイヤに交換しなければならないというわけで、決してお手軽ではないのだ。
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今回の目玉である超レア車の1966年「ホンダLM700」。65年に「高速時代のライトバン」というキャッチフレーズを掲げて発売されたホンダ初の商用バンがL700で、LM700はデラックス仕様。ラダーフレームに2ドア+テールゲートのぶっきらぼうなバンボディーを載せ、「S600」用をベースとするツインカムエンジンを搭載。遅れてピックアップ(トラック)の「P700」も追加された。
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この後ろ姿を見ただけで車名を答えられたら、相当な国産旧車マニアである。「ホンダLM700」のボディーサイズは全長3660mm、全幅1485mm、全高1400mmで、テールゲートは当時ポピュラーだった上下開き式。最大積載量は2名乗車で400kgだった。
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インテリアは当時の標準的なデザイン。「LM700」はデラックス仕様のため、ラジオ、ヒーター、2速式ワイパー(標準はシングルスピード)、ウィンドウウォッシャーなどが標準で備わる。ギアボックスはフルシンクロの4段マニュアル・コラムシフト。座面がベンチのシートは、オリジナルに近い色目のビニールレザーで張り替えてある。
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「高速時代のライトバン」のゆえんたる、「S600」用のボアを拡大した687ccの直4 DOHCエンジン。カムプロフィールの変更、一体式の2バレルキャブレターなどで、最高出力はS600の57ps/8500rpmから52ps/7500rpmにデチューンされている。それでも同じ700ccの「トヨタ・パブリカ」の32psと比べれば6割以上も強力だったが、「回せば速いが、低回転では力不足」のエンジン特性は商用車には不向きだった。66年に「S800」用をデチューンしたエンジンに換装して「L800/P800」となるが販売は振るわず、67年には生産終了。生産期間が短くて販売台数が少なく、しかもS600/800の部品取りにされたクルマが多いので、残存車両は極めて希少なのである。
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約80台が集まった会場風景。