トヨタ博物館 クラシックカーフェスタ in 神宮外苑
2011.12.07 画像・写真2011年11月26日、東京都新宿区の明治神宮外苑 聖徳記念絵画館前で、「トヨタ博物館 クラシックカーフェスタ in 神宮外苑」が開かれた。愛知県長久手町にあるトヨタ博物館が、「クラシックカー愛好家同士の交流とクルマ文化の継承を目的とするイベントを首都圏でも」と始めたこのフェスタも、今年で5回目を迎え、すっかりおなじみとなった。主役となるのは一般オーナーから募集したクラシックカーだが、会場キャパシティーの関係で台数は100台に限定されている。しかし、事前審査によって原則として同一車種は1台しか参加が認められないため、車種構成には偏りがなく、毎回なんらかの変化があるのは、見る側にとってはうれしいことである。晩秋の抜けるような青空の下、参加車両はいちょう祭りでにぎわう会場周辺から銀座間の全長11kmの公道パレードを行ったのち、夕刻まで会場に並べられた。
いっぽう恒例となっているトヨタ博物館による企画展示のテーマは「100年前のクルマたち」で、所蔵車両4台が展示され、デモ走行も行われた。好天に恵まれ、多くのギャラリーが訪れた会場から、リポーターの印象に残ったモデルを中心に紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

シザースドアをはね上げたお約束のスタイルで、レッドカーペットの敷かれた花道を進む1977年「ランボルギーニ・カウンタックLP400」。エントリー車両はカーペット上で一時停止し、オーナーと車両の紹介を受けてからパレードに向かう。
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シザースドアをはね上げたお約束のスタイルで、レッドカーペットの敷かれた花道を進む1977年「ランボルギーニ・カウンタックLP400」。エントリー車両はカーペット上で一時停止し、オーナーと車両の紹介を受けてからパレードに向かう。
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1968年「ランボルギーニ・イスレロ」。ランボでもぐっとおとなしい雰囲気の2+2GTで、フロントに「ミウラ」などと基本的に同じ4リッターのV12DOHCを積む。ランボの初作である「350GT」〜「400GT」の後継モデルとして68年にデビューしたが、短命だった。
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1967年「パナール24BT」。世界最古の自動車メーカーのひとつであるパナールの最後のモデル。65年にパナールを吸収したシトロエンの「DS」にも似た雰囲気のボディーは全長4.2m以上、全幅1.6m以上というサイズだが、エンジンはわずか848ccの空冷フラットツイン。ただし車重は875kgと軽く、空力性能の高さと相まって公称最高速度は135km/h。日本では非常に珍しい。
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1980年「トヨタ・コロナ マークII 2000グランデ」。旧車好きの間では「ブタ目」と呼ばれる(2灯式ライトを指すそうだが、なぜブタなのかは不明)、76年に登場した3代目「マークII」の最終型。10年ほど前までは、年配のオーナーが大事に乗り続けているクルマを街中でも時折見かけだが、最近はめったにお目にかかれなくなった。この個体は新車当時からとおぼしきナンバーが付いている。
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1957年「メッサーシュミットKR201ロードスター」。オーナーは東日本大震災からの復興への願いを込めて遠く岩手県から参加したそうで、側面に貼られた日の丸には「がんばれ、日本。がんばれ、東北」のメッセージが。女性モデルに囲まれた人物はトヨタ博物館の川本常敬館長。後方右から2人目は、来賓代表である『CAR GRAPHIC』の小林彰太郎名誉編集長。
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パレードにて、神宮外苑の外周路を走る1958年「アストン・マーティンDB2/4 MkIII」。50年に登場したDB2系の最終モデルで、この個体は黒塗りボディーのボンネットにナンバーサークルを書き込み、バンパーを外してコンペティションマシン風に仕立てている。195psを発生する直6DOHC3リッターエンジンを搭載。
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「品川3」のシングルナンバーを付けた、1969年「メルセデス・ベンツ280SE」(W108)。テールフィンを生やした通称「ハネベン」(W111/112)の後継にして、初代「Sクラス」(W116)の前身となるフルサイズのメルセデスで、1965年から72年まで作られた。後ろにチラっと見えるのは、同じく69年の「280SL」(W113)である。
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1971年「NSUプリンツ4L」。50年代には世界最大の二輪車メーカーとして君臨し、ロータリーエンジンの開発メーカーとしても知られるNSUが、61年に送り出した小型車。「シボレー・コルベア」に倣った、ウエストラインをぐるりとクロームのモールが取り囲んだボディーのリアに、600ccの空冷直2SOHCエンジンを積む。
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1967年「シムカ1200Sクーペ」。シムカは戦前にフィアット車のライセンス生産から始まったフランスのメーカーで、戦後もフィアットの影響が濃いモデルを多くラインナップしていた。1200Sクーペは、85psまでチューンされた直4OHVクロスフローの1.2リッターエンジンをリアに積んだスポーツクーペ。これも日本では希少である。
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1962年「ファセル・ベガ・ファセリアF2B」。戦前はブガッティやドラージュ、ドライエなどの超高級車が存在したものの、戦後は実用的な小型車ばかりになったフランスで、唯一高級車メーカーとして名乗りを上げたファセル。クライスラーV8を積んだ大型車が中心だったが、「ファセリア」は自社製のDOHC1.6リッターを積んだ小さな高級クーペである。
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1981年「トヨタ・ソアラ2800GTエクストラ」。「未体験ゾーンへ」というキャッチフレーズを掲げて今から30年前に誕生した初代ソアラは、オイルショックと排ガス対策による高性能車の冬の時代に終わりを告げる高級グランツーリスモだった。この個体は当初の最上級グレードの、イメージカラーである2トーンに塗られたフルオリジナル車両である。
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1980年「マツダ・サバンナRX-7」。オイルショック後に燃料消費過多と批判され消滅の危機にあったロータリーエンジンを、軽量でコンパクトなスポーツカー用ユニットとして蘇生させた初代「RX-7」(SA22C)。デビュー当初のイメージカラーだったメタリックグリーンに塗られ、フェンダーミラー、純正アルミホイールを備えたオリジナル度の高い個体である。
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1966年「プリンス・スカイライン2000GT-B」。64年の第2回日本グランプリに向けて、「スカイライン1500」のノーズを200mm延長し、「グロリア」用の直6SOHC2リッターエンジンを押し込んだホモロゲーションモデルの「スカイラインGT」を量産化した初代「スカG」。第2回日本グランプリ仕様をイメージした、「千5」ナンバー付きの個体である。
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1967年「ローバー2000SC」。保守的で上質な中型車と多用途車のランドローバーを作っていたローバーが63年にリリースした、当時の英国車としては異例に進歩的な設計の中型セダン。レンジローバーの開発者として知られるスペン・キングの設計で、高剛性のモノコックボディーにSOHCエンジン、凝ったサスペンション、4輪ディスクブレーキなどを備えていた。
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1931年「フォードA型フェートン」。エントリー車両の中から6台が選ばれ、オーナーがインタビューを受けたのちにデモランを披露したが、これはそのうちの1台。慶応大学体育会自動車部が、昭和20年代に警視庁から払い下げを受けて以来所有しているもので、1920年代から30年代にかけて横浜に存在した日本フォードの組立工場で作られたモデルである。コンディションはすばらしい。
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今回最大のサプライズ。1968年の第5回日本グランプリに、故・滝 進太郎率いるタキレーシングチームから、長谷見昌弘のドライブでエントリーした「ローラT70マークIII」。スポンサーのステッカーに至るまでオリジナルに忠実に復元された姿に、マニアはもちろん一般ギャラリーも老若男女問わず見入っていた。これもデモランを実施した1台で、ドスの利いたシボレーV8サウンドをとどろかせて微速ながら走行した。
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トヨタ博物館所蔵車に乗り込んで記念撮影ができるサービス。この1959年「シボレー・インパラ・コンバーチブル」と1920年「パッカード・ツインシックス」の2台が用意されて、終日にぎわっていた。
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特別展示された1950年「トヨタBM型トラック」。戦中・戦後のガソリン不足に対応した代用燃料車で、「薪(まき)ガス発生装置」を搭載。ナラ、クヌギなどの木材を蒸し焼きにして発生させた、一酸化炭素を主成分とする可燃ガスをガソリンの代わりにキャブレターに送り込む。エンジン始動やメンテナンスに大変な手間がかかり、ガソリンに比べ大幅な性能低下を余儀なくされたという。
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今回の企画展示は「100年前のクルマたち」。1904〜1912年の所蔵車両4台が展示され、うち2台がデモランを行ったが、これはちょうど車齢100年となる1911年「ドゥローニー ベルビュ タイプHB6L」。フランスのロールス・ロイスと呼ばれた高級車で、ロシア皇帝ニコライ2世も同型車を購入したという。
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本年、国の重要文化財に指定された聖徳記念絵画館の前に並べられた展示車両の一部。