「第18回クラシックカーフェスティバル in ところざわ」の会場から
2014.10.22 画像・写真2014年10月19日、埼玉県所沢市のところざわ自動車学校で「第18回クラシックカーフェスティバル in ところざわ」が開かれた。これは住宅街のなかにある自動車教習所の教習コースが会場というユニークなスタイル、エントリー車両の多さとバラエティーの豊かさによって、関東では名の知られた旧車イベントである。昨年は過去最悪の降雨にたたられたが、今年は日差しが強烈で写真が撮りにくいほどの、絶好のイベント日和に恵まれた。「1978年以前に生産された車両およびその同型車」という参加規定に沿ったエントリー車両は、スワップミートを含めおよそ250台で、うち200台以上が日本車。さらにそのなかで軽自動車が70台近くを数えた。オート三輪などの懐かしの商用車が少なからず見られるのも、このイベントの伝統である。ほかのイベントではあまり見かけることのない珍しいモデルを中心に、リポーターの印象に残った参加車両を紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

スバルは続くよどこまでも。軽自動車というカテゴリーを確立した、日本が世界に誇る傑作車である「スバル360」が、通称デメキンと呼ばれる初期型(1962年)から最終発展型となる高性能版の70年「ヤングSS」まで12台、ズラッと並んでいた。
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スバルは続くよどこまでも。軽自動車というカテゴリーを確立した、日本が世界に誇る傑作車である「スバル360」が、通称デメキンと呼ばれる初期型(1962年)から最終発展型となる高性能版の70年「ヤングSS」まで12台、ズラッと並んでいた。
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ホンダ初の市販四輪車であり、日本初のDOHCエンジン搭載車である1965年「ホンダT360」。ボンネットを開けてスペアタイヤとヘッドライトを露出しているこの姿は、どこか見覚えがあるような……。ちなみにエンジンは座席下に収まっており、ミドシップである。
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ボンネットを開けた「T360」の姿から思い浮かべたのは、この「バモスホンダ」だった。バモスは「N360」用の空冷2気筒SOHCエンジンをアンダーフロアに置いた(これもミドシップ)、T360の後継モデルとなる軽トラックの「TN360」をベースにした多目的車。血は争えないということか。
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1971年「スズキ・キャリイ・バン」。ジウジアーロがカロッツェリア・ギアから独立して立ち上げた、イタルデザインの記念すべき第1作となる4代目キャリイのバン。前後対称に近い電車のようなボディーはスタイリッシュだが、テールゲートが傾斜しているぶん荷室が狭く、続く5代目では通常のワンボックス・スタイルに変更されてしまった。
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昨年は悪天候にもかかわらず8台が集結した、1969年から77年まで作られた軽トラック「マツダ・ポーターキャブ」軍団。今回はそれを上回る9台がエントリーしていたが、諸事情により会場にやってきたのは5台にとどまった。残念!
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派手な黄色に塗られた軽三輪トラックの代名詞的存在である「ダイハツ・ミゼット」のトラック(1971年)とパネルバン(69年)。よく見れば2台とも左ハンドルで、アメリカから里帰りしたものという。輸出名称は「ダイハツ・トライモービル」だそうで、三輪車を直訳しただけ。
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「ミゼット」のライバルだった、通称ケサブローこと1964年「マツダK360」。ブルー(ピンクもあった)とアイボリーのツートーンに塗られたボディーのデザインは、「R360クーペ」や初代「キャロル」なども手がけた工業デザイナー小杉二郎氏による。ドライサンプの空冷4ストロークVツインエンジンをキャビンと荷台の間に積む(つまりミドシップ)という凝った設計だった。
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フルレストアされた1958年「くろがねKE3型」。製造元の日本内燃機は、旧日本陸軍の制式車両である95式乗用自動車、通称くろがね四起などを作っていたメーカー。戦後は三輪トラックが主力製品だったが、第1期ホンダF1の初代監督を務めた故・中村良夫氏をはじめ、ホンダの初期の四輪技術者はくろがね出身者が多かったという。
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1955年「みずしまTM5F」。こちらの製造元である新三菱重工は、現在の三菱自動車水島製作所(岡山県倉敷市)。もともとは旧日本海軍機を作っていた三菱重工の航空機工場で、戦後はオート三輪を経て、初代「ミニカ」のベースとなった軽商用車の「三菱360」から四輪車生産に移行した。
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「みずしまTM5F」のキャビン内部。バーハンドル式でオートバイのようにまたがって運転するが、変速はハンドチェンジ。エンジンは空冷単気筒サイドバルブ886ccで、最高出力21psという。
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1961年「日産セドリック・バン」。初代セドリックの、通称タテ目と呼ばれる初期型のなかでも最初期の商用バン、しかも内外装はオリジナル仕様のままという超希少車。リアウィンドウは開閉可能で下方開き式のテールゲートに収まるが、その乗降は電動。おそらく日本初のパワーウィンドウ標準装着車だろう。1.5リッター直4エンジンを積む。
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1962年「日産セドリック・カスタム」。ロングホイールベース・ボディーに1.9リッター直4エンジンを積んだ、初代セドリックの高級グレード。マイナーチェンジによって先のバンではプレス製の横バーだったフロントグリルがダイキャスト製となり、フロントフェンダー先端(ヘッドライト上部)が張り出した。
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今回はなぜか初代「セドリック」、それもコンディションのいい個体が多くエントリーしていた。これらはヘッドライトが横4灯となった、中期以降の通称ヨコ目の3台。手前から65年「エステートワゴン」、63年「デラックス」、64年「バン」。
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新車のように美しい1965年「日産セドリック・エステートワゴン」の後ろ姿。ボディーは商用バンと共用だが、5ナンバーのデラックス仕様で、荷室に後ろ向きの折りたたみ式サードシートを備えた3+3+2の8人乗り。バンと同様にテールゲートは下方開きで、開く際にはリアウィンドウを下げてテールゲートに収める。
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1973年「ダットサン・トラック」。型式名620と呼ばれるダットラの荷台にキャンパーシェルを載せ、エンケイのディッシュ(アルミホイール)を履かせた70年代アメリカ西海岸風のカスタム。
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きれいに仕上げられた2台の戦前型ダットサン。1938年「17型クーペ」と37年「16型ロードスター」。いずれも最高出力16psを発生する直4サイドバルブ722ccエンジンを搭載。国産初の量産乗用車だが、アクセルペダルとブレーキペダルの位置が通常とは逆なので(戦前のクルマには少なくない)、素人にはまず運転できないだろう。
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1966年「いすゞ・ベレット1500 4ドアデラックス」。63年から73年にかけて作られたベレットの、初期型の最終モデル。新車以来の“多摩5”のシングルナンバー付きで、塗装も含め内外装は未再生のオリジナル状態を保っている。半世紀近い歳月を感じさせるヤレ具合が味わい深い。
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1973年「三菱コルト・ギャラン16L」。11月に開かれる「レジェンド・オブ・ザ・ラリー2014」に出場する、往年の三菱ワークスの篠塚健次郎/宮地久司組のために現オーナーが仕立てた、当時のワークスマシンのレプリカ。モデルとしたのは72年の国内ラリー「PMCSラリー・クリサンテーモ」仕様で、ベース車のブルーメタリックだったボディーをオレンジに塗り替え、ステッカー類はすべて複製、登録もいったん抹消して当時と同じナンバーで登録し直すという徹底ぶり。
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1980年「三菱ギャランΣエステートバン」。名称はエステートだが、4ナンバーの商用バン(この個体は5ナンバーで登録し直されている)。バンとはいえ、サイドに入る木目シートも純正オプションで用意されていた。85年に「ミラージュ/ランサー・ワゴン」が登場するまで、三菱には乗用登録のワゴンは存在しなかった。
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1967年「トヨタ・カローラ1100デラックス」。66年に誕生した初代カローラの初期型で、ホイールキャップやホワイトリボンタイヤなど新車当時を思わせる、まるでカタログや広告から抜け出てきたような個体。デビュー当初はこの2ドアセダンのみで、4ドアは半年後に追加された。
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1971年「トヨタ・クラウン・デラックス」。通称クジラこと4代目クラウンの初期型セダン。5ナンバーフルサイズの黒塗りセダンは、お役所などの公用車の定番だったが、国産で初めてカラードバンパーを全車種に採用した前衛的ともいえるスタイリングは、そうした需要からは敬遠されてしまったのだった。
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1963年「トヨペット・マスターライン・ライトバン」。2代目クラウンの初期型の商用バン。ノーマルのまま車高だけ下げた姿は、かつて存在した国産ミニカーブランドであるダイヤペット(米沢玩具)のアンチモニー製ミニカーのよう。1.9リッター直4エンジンを積む。
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左は往年のトヨタのロゴマークステッカーで、右はそれをモチーフに東京都八王子市在住のオールドクラウン愛好家が製作したステッカー。郷土愛とトヨタ愛にあふれ、シャレの効いた傑作。
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左が1970年、右が71年の「トヨペット・コロナ・マークII 1700デラックス」。初代マークIIの中期型と後期型の、セダンの代表的なモデルである。聞けば仲間には前期型「1600デラックス」のオーナーもいるそうなので、今度はぜひ3台並んだところを拝見したい。
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1978年「トヨペット・コロナ2000GT」。俗に安全コロナと呼ばれる5代目コロナの後期型4ドアセダンに、「セリカ/カリーナ2000GT」や「マークII GSS」と同じ直4 DOHC 2リッターエンジンを積んだ仕様。トヨタがGTと名付けたなかで、もっとも地味なモデルといえるだろう。
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スワップミートに出店していた1964年「スバル・サンバー・トラック」。初代サンバーのトラックだが、荷台にバン用のリアシートが取り付けられている。それも後付けではないようで、車検証に定員4人と記されていた。会場に居合わせた軽トラマニアたちも「初めて見た」と口をそろえた超レア車。
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「サンバー」の前に並べられていた売り物も希少品ぞろいだった。4台並んだ軽トラのティントイは、左から初代「ダイハツ・ハイゼットキャブ」、大小の2代目「スバル・サンバー」、そして実車がほとんど残っていない、いわば “幻の軽トラ”である「くろがね・ベビー」。まさかベビーのティントイが存在したとは! ちなみに手前のセダンは「いすゞ・ヒルマン・ミンクス」である。
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これもサンバーの店主が並べていたお宝グッズ。スズキの“CCI坊や”の看板である。CCIとは1965年からスズキの市販車に採用された、ヤマハのオートルーブやスバルのスバルマチックなどと同類の、2ストロークエンジン用の分離給油システムの名称で、“Cylinder Crankshaft Injection”の略。スズキはこんなマスコットキャラクターまで作ってPRに努めたというわけで、販売店用や販促用の大小フィギュアも存在する。
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常連である1955~57年の「シボレー・ベルエア」軍団。今回は55年が2台、56年が2台、57年が3台の計8台。
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1970年「プリマスAARクーダ」。F1で4勝を挙げ、ルマン24時間でも67年に総合優勝したアメリカン・ドライバー、ダン・ガーニー率いるAAR(オール・アメリカン・レーサーズ)がトランザムシリーズに出場するために作られたホモロゲーションモデル。2バレルキャブを3基備えた340(5.6リッター)のV8エンジンを積む。