「トヨタスポーツ800 生誕50周年記念イベント」の会場から
2015.05.12 画像・写真2015年5月10日、東京都江東区のアムラックストヨタMEGA WEB(メガウェブ)で「トヨタスポーツ800 生誕50周年記念イベント in MEGA WEB」が開かれた。
1965年4月に発売された通称ヨタハチこと「トヨタスポーツ800」(形式名UP15)は、大衆車である初代「パブリカ」のコンポーネンツを流用して生まれた、トヨタ初のスポーツカーである。着脱可能なタルガトップ風ルーフを備え、1台でオープンとクローズドクーペの双方が楽しめるヨタハチは、今見ても魅力的なライトウェイトスポーツだが、そのコンセプトは合理的で明快だった。パワーユニットは最高出力45psしかない800ccの空冷フラットツインだが、それを軽量コンパクト(車重580kg)で空力特性に優れた(Cd値0.32)ボディーに積むことで非力さを補い、最高速度155km/hというパフォーマンスと軽快なハンドリングを実現。その効率を追求したパッケージングは、現代のクルマ作りにも通じるものがあるといえよう。
オーナー有志によって企画されたこの生誕50周年記念イベントは、ここMEGA WEBにおける東京大会のほか、前日の5月9日にはトヨタ博物館で愛知大会を開催、さらに4都市のトヨタディーラーでも地方ミーティングが実施されるという、力の入ったものである。MEGA WEBでの参加台数は103台と、トヨタ博物館の83台を上回る最大規模となったが、うち30台以上が、熱心なオーナーによる2日連続での参加という。ちなみにヨタハチの生産台数は、諸説あるが3000台強といわれているので、うち半世紀を生き延びた約30分の1が参加したというわけだ。好天に恵まれ、大勢のギャラリーも訪れてにぎわった、誕生会の様子を写真で紹介しよう。
(文と写真=沼田 亨)

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MEGA WEBの試乗コースであるライドワンに集まった103台の通称ヨタハチこと「トヨタスポーツ800」。ここに写っているのはその半分くらいか。
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エントラントは受付を済ませた後、試乗コースの一部であるヒストリーガレージ裏の中庭で1台ずつ記念撮影を行った。
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「静岡5」のシングルナンバーの付いた、1965年登録の前期型(65年4月~68年3月)をオリジナルに忠実に仕上げた個体。赤いボディーカラーは当時の色見本に従って調色したもので、着脱可能なトップは一般的に黒と思われているが、本来は濃いダークグレーである。タイヤは、デッドストックというオリジナルと同じ6.00-12サイズのホワイトリボン入りのバイアスを履いている。
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同じく1965年式。室内もオリジナル状態を保っている。ルームミラーがダッシュ上に取り付けられ、タコメーターの目盛りが8000rpmまで刻んであるのは、前期型でも66年式までだそうだ(あとのモデルはつり下げミラーで、回転計は6000rpmまで)。
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これも前期型。塗装がはがされているのでわかりやすいが、ボンネットとルーフ、そしてトランクリッドは軽量化のためアルミ製なのである。
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オープン当初の富士スピードウェイでオフィシャルカーとして使われた後に河口湖自動車博物館の展示車両となり、その後は長らく眠っていた個体を近年になって仕上げたという1966年式。ホイールは本来はスチールだが、これはワークスマシン用マグホイールのレプリカに「ダンロップG5」(バイアスレーシング)を履かせている。
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元FISCOオフィシャルカーのディテール。エンジンやサスペンションには当時トヨタのスポーツコーナーで扱っていた純正レース用パーツが組み込まれており、クロムメッキされたロールバーや4点式シートベルト、マフラーも純正レース用オプション。
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「埼5」のシングルナンバーの付いた、1968年3月にマイナーチェンジを受けた後期型。顕著な変更点はフロントグリルのデザインだが、ほかにも内外装の細かい部分がけっこう変わっている。フェンダーミラーはノンオリジナル。
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後期型でも最終型となる1969年式は、安全基準の変更に伴いサイドマーカーランプやヘッドレストなどが装着された。なお純正のボディーカラーは前期型がレッドとシルバーのみで、後期型になってこのブルーメタリックが加えられた。トップはいずれもダークグレーである。この姿のまま、69年10月まで生産された。
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アルミ製のトップを外した個体。トップは前後6本のロッドで固定されており、外したトップはトランクルーム内に収まる。この形式のトップをポルシェの「タルガ」に倣って俗にタルガ・トップと呼ぶが、デビューは「ポルシェ911タルガ/912タルガ」よりヨタハチのほうが先なのである。
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「宇宙一速いヨタハチ」を目指してモディファイされ、K4GP(軽自動車主体の耐久レース)に出場しているマシン。ホイールベースを40mm延長し、サスペンションはフロントをトーションバーからコイルに、リアはリーフから4リンクに変更。ボディーパネルはウエットカーボン製で、車重はオリジナルより60kg軽い520kg。
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エンジンは830ccに拡大、FCRキャブを装着するなどして最高出力は70ps前後で、ベストラップは富士が2分23秒、筑波が1分14秒台。ヨタハチは現役当時も低燃費を武器に耐久レースで活躍したが、このマシンもフラットボトム化やスパッツ装着などの空力対策によって、富士を2分30秒のペースで走ってリッターあたり14kmをマークするという。ボディーサイドに描かれたNEKOTAKEとはオーナーの姓(小竹)にちなんだもので、某フランス車の紋章に似た、竹を持つ猫の姿が(笑)。
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MEGA WEB所蔵およびゆかりのヨタハチの同乗試乗も実施された。これは1965年に船橋サーキットで開かれた全日本自動車クラブ選手権レースにおいて、故・浮谷東次郎が雨中の大逆転勝利を演じたマシンのレプリカ。
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これはMEGA WEB所蔵の個体。ナンバープレートは「1965」だが、グリルは後期型のものである。
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トヨタ東京自動車大学校で製作された「トヨタスポーツEV」(コンバートEV)も同乗試乗に供された。
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分散して展示された103台の参加車両の、もっとも長い列。30台ほど並んでいた。
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一般来場者が展示エリアに入ることができるパドックウォークは、大いににぎわった。
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MEGA WEB内のトヨタシティショウケース1F、メガステージで行われた、参加オーナーによる愛車自慢およびヨタハチライフのリポート。
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メガステージでは、第1回日本グランプリで2代目「クラウン」を駆って優勝し、ヨタハチで耐久レースにも出場した元TMSC(トヨタモータースポーツクラブ)会長の多賀弘明氏(写真中)、やはりヨタハチでレース出場歴のあるトムス社長の大岩湛矣氏(同右)をゲストに迎えてのトークショーも行われた。
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これだけの数のヨタハチが集まったのは初めてだが、もしかしたら最後かもしれない、という声が参加者から聞かれた。そうでないことを願いたい。