「2015 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑」の会場から
2015.12.03 画像・写真2015年11月28日、いちょう祭りでにぎわう東京都新宿区の明治神宮外苑 聖徳記念絵画館前で「2015 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑」が開かれた。これは愛知県長久手市にあるトヨタ博物館が、クラシックカー愛好家同士の交流とクルマ文化の継承を目的とするイベントを首都圏でも、という趣旨で2007年から始めたもので、今回で9回目となる。一般オーナーから募集した、およそ100台のクラシックカーの展示と公道パレードを中心とする内容は、初回から不変。絵画館前を出発し、外苑のいちょう並木を通って青山通り(国道246号)を三宅坂まで直進、その後は内堀通りを南進し、銀座四丁目から新京橋まで銀座中央通りを走り、二重橋前を経て外苑まで戻ってくるパレードコースも例年と同じである。これまた恒例となっている企画展示の、今回のテーマは「引き算で合理性を求めたクルマたち。」。具体的には空冷エンジン搭載車で、「フランクリン・シリーズ9」をはじめとするトヨタ博物館の所蔵車両5台と、ホンダコレクションホールから特別出展された「ホンダ1300クーペ9」の計6台が並び、デモ走行も行った。好天に恵まれ、例年より多くのギャラリーが訪れ大盛況だった会場から、リポーターの印象に残った車両とシーンを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

6台並んだ企画展示車両。手前からトヨタ博物館所蔵の1918年「フランクリン・シリーズ9」、55年「フライング・フェザー」、59年「ダフ600」、60年「シボレー・コルベア」、65年「トヨタ・スポーツ800」、そしてホンダコレクションホールから特別出展された「ホンダ1300クーペ9」。
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6台並んだ企画展示車両。手前からトヨタ博物館所蔵の1918年「フランクリン・シリーズ9」、55年「フライング・フェザー」、59年「ダフ600」、60年「シボレー・コルベア」、65年「トヨタ・スポーツ800」、そしてホンダコレクションホールから特別出展された「ホンダ1300クーペ9」。
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1955年「フライング・フェザー」。「フェアレディZの父」として知られる元米国日産社長の片山 豊氏が提唱した「最大の仕事を最小の消費で」をコンセプトに、名設計家の富谷龍一氏が具体化した軽自動車。軽量設計のいわば元祖エコカーで、ラダーフレームのリアに空冷Vツイン350ccエンジンを搭載。ホイールは19インチのワイヤホイールで、ブレーキはリアのみ。製造は日産の下請けボディーメーカーだった住江製作所で行われた。生産台数は200台弱で、残存車両は極めて少ない。
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1959年「ダフ600」。戦前からトラックメーカーとして発展してきたオランダのダフが、58年に発表した戦後オランダ初の乗用車。モノコックボディーのフロントに積んだ600cc空冷フラットツインで後輪を駆動するが、最大の特徴はゴム製のVベルトとプーリーを使った、バリオマティックと呼ばれる無段変速機。今日の国産小型車の主流となっているCVTの歴史は、ここに始まったのである。
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1960年「シボレー・コルベア」。急増する欧州からの輸入小型車に対抗すべく、この年にビッグスリーはそろってコンパクトカーを発表した。フォードとクライスラーが大型車を縮小した平凡なモデルを出したのに対して、GMは最大の仮想敵だった「フォルクスワーゲン・ビートル」の影響が濃い、このコルベアをリリース。2.4リッターの空冷フラット6をリアに積むという米国車としては異例の設計だった。これは2ドアクーペだが、4ドアセダンやワゴン、そして「フォルクスワーゲン・タイプ2」のようなワンボックスまでラインナップ。だが、RR(リアエンジン・リアドライブ)のハンドリングが危険であると消費者運動家に告発されたことをきっかけにセールスが急降下し、69年には消滅した。
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1970年「ホンダ1300クーペ9」。熱烈な空冷信者だった本田宗一郎の肝いりで作られた、DDAC(二重空冷)という特異な空冷エンジンを積んだモデルで、エンジン単体が手前に展示されている。オールアルミ製で、シリンダーブロックとヘッドは二重壁で覆われており、壁の間をファンによって強制的に送られた空気が通過して冷却。走行中には外気によってもエンジン外壁は冷却されるので、強制空冷と自然空冷を合わせて二重空冷というわけだ。空冷エンジンではオイルによる冷却も重要なため、実用車であるのにドライサンプを採用。そうした凝った設計のおかげで構造が複雑化して重量もかさみ、コストも増加。高性能ではあったが、シンプルで軽量、低コストが特徴の一般的な空冷とは正反対の、本末転倒ともいえるエンジンになってしまい、商業的には失敗した。
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開会式終了後、およそ100台の一般参加車両は、レッドカーペット上で1台ずつ紹介を受けてから、公道パレードに向けてスタート。これは1926年「ロールス・ロイス・シルバーゴースト」。
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神宮外苑のいちょう並木をいく、先頭から1972年「いすゞ117クーペ」、68年「スバル360」、70年「スバル360ヤングS」など。117クーペは通称ハンドメイドと呼ばれる初期モデルである。
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1961年「日産セドリック バン」。初代セドリックの、4ナンバーの商用バンの最初期型。とても希少な残存車両だが、加えてこの個体は、後席バックレストが2:1の分割可倒式になっている特注の寝台車仕様である。
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新車当時からとおぼしき「品川55」ナンバーを付けた、型式名KPGC10こと1971年「日産スカイライン ハードトップ2000GT-R」。赤いハコスカは珍しいが、純正色である。また、ハコスカというと硬派な男のクルマというイメージが強いが、ドライバーは女性だった。
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1967年「トヨペット・クラウンS」。3代目MS50系クラウンの最初期型の、「練馬5」のシングルナンバー付きのワンオーナーの未再生車で、しかもSUツインキャブ付きエンジンを積んだスポーティーグレードの「S」である。もともと販売台数が少なく、残存車両はごくわずか、もしかしたらこれ1台きりかもしれない希少車だ。ところで、今年はいちょうの黄葉が色合い、枝ぶりともにいまいちだったのが少々残念だった(写真左上は昨年の様子)。
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神宮外苑の外周路をいく1975年「マセラティ・メラクSS」。マセラティ初のミドシップスポーツだった「ボーラ」をベースに、エンジンをボーラの4.7リッターV8 DOHCから、マセラティが「シトロエンSM」用に開発・供給していた3リッターV6 DOHCエンジンに換装するなどしたモデルがメラク。デビューは72年だが、メラクSSは75年に登場したパワーアップ版である。
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1963年「アルファ・ロメオ・ジュリアスプリントGT」。戦後アルファの傑作であると同時にジウジアーロの代表作のひとつであり、今なお人気の高い通称ジュリア クーペの最初期型。しかも当時アルファのインポーターだった伊藤忠オートにより正規輸入された、「練 5」のシングルナンバー付きのワンオーナー車である。
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1961年「ローバーP4 100」。2.6リッター直6エンジンを積んだ、地味だが高品質な中型サルーン。母国イギリスでは親しみを込めて“Auntie”(おばちゃん)と呼ばれていたそうで、日本では珍しい存在である。
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1953年「ベントレーRタイプ ドロップヘッドクーペ バイ グラバー」。4.6リッター直6エンジンを積んだサルーンであるRタイプのシャシーに、コーチビルダーのグラバーがコンバーチブルボディーを架装したモデルで、4台のみ作られたという。希少なロールス・ロイスおよびベントレーのクラシックモデルを動態保存しているワク井ミュージアムの所蔵車両。
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1964年「ダットサン・フェアレディ1500」。強化した初代「ブルーバード」のシャシーに2座(初期は3座)オープンボディーを載せ、初代「セドリック」用をチューンした1.5リッター直4 OHVエンジンを積んだ、国産初の本格的なスポーツカー。キャップ付きホイールにホワイトリボンタイヤを履かせるなど、オリジナルの姿を保っている。
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1959年「ダイハツ・ミゼットDK型」。バーハンドルを持ち、バイクのようにまたがって乗る一つ目小僧で、エンジンは空冷2ストローク単気筒250cc。「街のヘリコプター」という秀逸な宣伝文句を掲げて販売されヒットした。
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1957年「トヨペット・マスターライン ピックアップ」。初代「クラウン」の姉妹車であるタクシー向けモデル「マスター」から派生した4ナンバーの商用車。このシングルピックのほかにダブルピックとライトバンも存在した。サスペンションは前後ともリーフスプリングでつったリジッドアクスルで、エンジンは1.5リッター直4 OHV。
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新車以来の「松本55」ナンバー付きで、内外装ともにオリジナル状態を保った1975年「トヨタ・セリカ 1600GTV」。1.6リッター直4 DOHCエンジンを積んだ「1600GT」の装備を簡素化し、足まわりを固めた走り重視のモデルである。GTVという呼称はアルファ・ロメオが始めたものだが、アルファのVがVeloce(イタリア語で速いという意味)の頭文字であるのに対して、トヨタのVはVictoryとうたっていた。
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1984年「トヨタMR2 Gリミテッド」に85年「トヨタ・スプリンター トレノ」が続く。トレノのグレードが不明だが、おそらく「1600GT APEX」(AE86)。だとすると双方とも基本的に同じ1.6リッター直4 DOHC16バルブエンジンを搭載している。
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60年代生まれのトヨタの2台のスポーツカー、1967年「トヨタ2000GT」に66年「トヨタ・スポーツ800」が続く。「品川5」のシングルナンバーを付けた2000GTは、ボディーワークを除くほとんどの作業をオーナーが自ら行い、レストアした逸品。
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トヨタ博物館館長の布垣直昭氏を助手席に乗せてデモ走行する、企画展示車両の一台である1918年「フランクリン・シリーズ9」。3.3リッター直6 OHVの空冷エンジンを搭載していたが、空冷ゆえにラジエーターグリルを持たないマスクは不評で、セールスに影響したという。この個体はかつて早稲田大学が所有し、長らく東京・神田須田町にあった交通博物館の倉庫に眠っていたもの。2007年にトヨタ博物館に寄贈され、今年になってようやくレストアが完了したという。
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企画展示車両のほか、一般参加車両のなかからも6つのテーマに沿ったモデルが選ばれデモ走行を披露した。これは「魅惑のミドシップスポーツ」から、1974年「フィアットX1/9」と、同じく74年「フェラーリ365GT4/BB」。
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乗車して記念撮影をするために用意された、トヨタ博物館所蔵の1961年「ジャガーXK150S」。好評で順番待ちの列ができていた。
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これも記念乗車撮影車両だった、メガウェブ所蔵の1963年「シボレー・コルベット スティングレイ」。C2こと2代目コルベットの最初期型クーペで、2分割式のリアウィンドウを持つ。後方視界に難があるという理由で、翌64年型からは1枚ガラスに替えられた。
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好天に恵まれた会場は、例年にも増して多くの来場者でにぎわった。手前のモデルは1948年「シボレー・フリートライン エアロセダン」。全長約5mのボディーに3.5リッター直6 OHVエンジンを積む。