「19th ジャパン ミニデイ in浜名湖」(前編)
2011.11.10 画像・写真2011年11月6日、静岡県浜松市の渚園キャンプ場で「19th ジャパン ミニデイ in浜名湖」が開かれた。これは全国34のスペシャルショップが加盟する団体「JMSA」(Japan MINI's Specialist Association)が主催する、今回で19回目を迎えた日本最大のクラシックミニのイベントである。会場となった渚園キャンプ場の広大な芝生広場には、前夜からの雨が昼過ぎまで降り続いたあいにくの天候にもかかわらず、50のオーナーズクラブと個人参加を合わせて、全国からざっと1200〜1300台ものクラシックミニと2000人以上の愛好家が集結。今年生誕50周年を迎えた「ライレー・エルフ」、「ウーズレー・ホーネット」、「ミニ・ピックアップ」の3車種をテーマカーとする「メモリアルミュージアム」(コンクールデレガンス)をはじめ、多くのプログラムとアトラクションが用意されたなか、来場者は思い思いに年に1度の秋祭りを楽しんだ。その会場から、リポーターの印象に残ったモデルを中心に紹介しよう。
(文と写真=沼田 亨)(後編につづく)

会場に集まった1200〜1300台のクラシックミニのうち、クラブ単位のエントリーだけで700台以上を数えたが、こちらは個人参加車両のパーキングスペース。もちろん、ここに写っているのがすべての個人参加車両ではない。大まかにいって1/3から半分くらいだろうか。
-
会場に集まった1200〜1300台のクラシックミニのうち、クラブ単位のエントリーだけで700台以上を数えたが、こちらは個人参加車両のパーキングスペース。もちろん、ここに写っているのがすべての個人参加車両ではない。大まかにいって1/3から半分くらいだろうか。
-
1959年から67年までに作られたオースチンまたはモーリスの「ミニ MkI」を6台並べていたのは、今年創立30周年を迎えたという、愛知県に本拠を置くオーナーズクラブ「B.Friends」(MkI以外の展示車両もあり)。
-
1959年に誕生した当初は、オースチンとモーリスの2つのブランドからリリースされ、それぞれ「オースチン・セブン」と「モーリス・ミニ・マイナー」の名を冠していた。双方に「ベーシック」と「デラックス」の2グレードがラインナップされており、エンジンは34psの848ccのみ。これはごく初期型となる60年式「オースチン・セブン・デラックス」。ちなみに「オースチン・セブン」という車名は、1920〜30年代に大成功を収めたオースチンの傑作小型車から受け継いだものである。
-
同じく1960年のモーリス版である「ミニ・マイナー・デラックス」。オースチン版とは、フロントグリルのパターンが異なる。先の「オースチン・セブン」と並んで、クラシックミニの原点となるモデルである。
-
1961年に登場した「ミニ・クーパー」。55psを発生する997ccのツインキャブエンジンを搭載し、前輪ディスクブレーキなどを備えた高性能版で、やはりオースチンとモーリス版があった。次いで63年には、さらにチューンを高めた「ミニ・クーパーS」が追加された。エンジンは当初1075ccで、後に970ccと1275ccも加えられたが、最後まで残ったのは1275cc版。これは「モーリス・ミニクーパーS MkI」である。
-
ミニは1967年秋に「MkII」に進化する。外観上の主な識別点としては、フロントグリルが角張り、リアウィンドウやテールランプが大型化された。さらに69年に秋に登場した「MkIII」では、ドアヒンジが内側に隠れ、スライド式だったサイドウィンドウがようやく巻き上げ式となった。また生産合理化のためにオースチンとモーリスのブランドネームは消滅して一本化され、単に「ミニ」と呼ばれるようになった。この個体は「MkIII」の最高性能版である「クーパーS」で、「埼56」という古いナンバーの付いた1971年登録の正規輸入車。日本では輸入元がブランドにより異なっていた関係で「MkIII」もオースチンとモーリスを名乗ったため、この個体にはモーリスのエンブレムが貼られていた。
-
1960年秋に追加されたエステート。ホイールベースを104 mm延長し、伝統的なウッドフレームをあしらった、観音開きのテールゲートを持つワゴンボディーを架装。オースチン版は「ミニ・カントリーマン」、モーリス版は「ミニ・トラベラー」と名乗った。これは「モーリス・ミニ・トラベラー MkI」。
-
「カントリーマン」や「トラベラー」のウッドフレームは経年劣化により腐食してしまうことが多いが、この「オースチン・ミニ・カントリーマン MkI」は、腐り落ちた部分を「そのへんで拾った」枝で代用。シャレが効いている。ナンバーは「ミニ・ミニ」ですな。
-
当初は輸出用として作られ、後にイギリス国内でも販売されたというウッドフレームのない「オースチン・ミニ・カントリーマンMkI」。とてもコンディションがよさそうだが、聞いたところによると、愛好家の間で「長物」(ながもの)と呼ばれるホイールベースの長いエステート、バン、ピックアップは、相当数の程度のいい個体が日本にやって来たという。いっぽう本国のマニアは、買い戻したくても円高で手が出ないとか。
-
エステートよりやや早く、1960年初頭に登場した「ミニ・バン」。エステートと同じボディーの、リアサイドウィンドウをスチールパネルとした商用バンである。この個体は、BMC(ミニが登場した際にオースチンやモーリスなどのブランドを擁していたメーカー「ブリティッシュ・モーター・コーポレーション」の略)の、モンテカルロラリーのサポートカーと側面に記されている。「ミニ・クーパーS」が64年、65年、67年にモンテを制しているが、当時のサポートカーはこういうカラーリングだったのだろうか。
-
2台並んだ、とてもキレイな「ミニ・クラブマン・エステート」。1969年秋、オリジナル・ミニが「MkIII」に進化した際に、同時にデビューしたのが「クラブマン」。ミニのノーズを11cm延ばして現代的なマスクを与えたモデルである。これの登場を機に「エステート」は「クラブマン」のみとなった。
-
ここからはスペシャルなミニを紹介しよう。まずは空気抵抗を減らすためにルーフの丈を詰めた、「スプリント」と呼ばれるモデル。レースの世界に最初に登場したのは1965年で、いくつかのコーチビルダーが製作しているが、もっとも有名なのはF1にもチームを率いて参戦していた「ロブ・ウォーカー」が手がけたモデル。ルーフを3インチ(約7.6cm)詰めていたが、この個体もそれに近いものと思われる。
-
やりすぎ? と思われるほどルーフをチョップ(ぶった切る)してしまった個体。現オーナーが入手した時点で、すでに改造されていたため詳細は不明とのことだったが、ベースは1990年代初頭の「ローバー・ミニ」だという。「頭がつかえませんか?」という問いに対し、身長170cmぐらいの標準体形であるオーナーの答えは、「中央に向かってラウンドしているので、大丈夫です」。オリジナルの居住性が優れていたということか。
-
大胆にモディファイされた1980年式「バン」。オーバーフェンダーやサイドステップを装着し、モーリスのMkIサルーン用の横バーを1本ずつ抜いたグリルとバンパースポイラーでにらみをきかせ、足元はオーナー自慢の当時モノのダンロップのアルミホイールでキメている。インテリアもご覧のとおり。エンジンは1.3リッターをハイカムやウェーバーキャブなどでスープアップしている。
-
「クラブマン」の高性能版である「ミニ1275GT」をモディファイしたモデルと思いきや、モディファイはモディファイでも、1990年代の「ローバー・ミニ」に「クラブマン」の顔面を移植したのだという。結構手間のかかる作業が必要と思うが、実施したのは前オーナーなので、改造の真意は不明という。リアエンドやダッシュにも手が加えられているが、イカしているのが「サイズがちょうどピッタリ」という、ダッシュにハメこまれたiPad。これでオーディオとナビはバッチリ。
-
ミニのメカニカルコンポーネンツを流用した「ミニ・モーク」。そもそもはパラシュート投下用車両として開発されたが、英国軍には採用されず、市販モデルはレジャーカーとして日の目を見た。1964年から68年まで英国内で生産されたが、その後はオーストラリアやポルトガルで93年まで作られた。この個体はイタリアの二輪車メーカー「カジバ」がポルトガルで90年代に生産した「モーク」。本来はフルオープンのボディーに、スライド式ドアとテールにハッチウィンドウを持つMade in ItalyのFRP製トップを備えている。
-
イギリスの少量生産スポーツカーメーカーである「マーコス」が、ミニのメカニカルコンポーネンツを流用して作った「ミニ・マーコス」。特徴的なベニヤ合板製シャシーに、ミニのサスペンションとパワートレインを前後のサブフレームごと移植し、FRP製ボディーを架装。1965年にデビュー、翌66年のルマン24時間にも出場し、最後尾ながら完走している。
-
「ミニ・マーコス」やそこから派生した「マイダス」など、ミニ・ベースのキットカーの愛好家が集う「ミニ・マーコス・オーナーズクラブ・イン・ジャパン」を主宰するオーナーの1974年「ミニ・マーコス」。驚くことに、「マーコス」ならではのベニヤ合板製シャシーをそっくりカーボンファイバーで作り直している。「製作はFRPのスペシャリストである友人に依頼しましたが、作業工程を見るとほとんど1/1のプラモです」とのこと。
-
ファンにとっては、その武骨さもまた魅力という「ミニ・マーコス」だが、この個体はやけにスタイリッシュで、フィニッシュも見事だ。いったいなにかと思えば、有名なミニ専門店「ミニマルヤマ」のオーナーである丸山和夫氏が、20年近く前に「デイトナ・コブラ」をイメージして作ったクルマだという。中身は「ミニ・マーコス」でもルマン用スペシャルで、エンジンはなんとライバルであるコスワース・チューンのフォード製1.3リッター、しかもドライサンプ仕様をミニ用トランスミッションの上に載せている。
-
イタリアのイノチェンティは1965年からミニをライセンス生産していたが、74年には大幅にアップデートしたオリジナルのボディーに着せ替えた「ミニ90/120」をリリースした。これはイノチェンティを傘下に収めたデ・トマゾが、自らの名を冠して76年に追加した高性能版の「ミニ・デ・トマゾ」。エアダムやエアスクープで武装したボディーに、本家の「ミニ・クーパーS」並みにチューンされた1.3リッターエンジンを積んでいる。(後編につづく)