「第8回 フェスティバル・オブ・サイドウェイ・トロフィー」の会場から
2016.05.27 画像・写真2016年5月22日、千葉県袖ケ浦市の袖ケ浦フォレストレースウェイで、「第8回 フェスティバル・オブ・サイドウェイ・トロフィー」が開かれた。2012年11月から、毎年春と秋に開催されているこのイベントは、ヒストリックカーレースの本場であるイギリスのイベントを範とする、四輪および二輪旧車のレースである。レースとはいえ、着順やラップタイムだけにとらわれることなく、エントラントからギャラリーまで、会場に集うすべての人間がクラシカルなスタイルを意識することで、雰囲気を作り上げていくことを目標としている。参加資格は原則として1969年までに製造されたモデル(継続生産車含む)で、オリジナルの雰囲気を壊すような改造は認めず、使用可能なタイヤはダンロップ製バイアスレーシングタイヤのみと定められている。8回目となる今回は、レギュラープログラムとなっている四輪、二輪それぞれ2レースのほか、パレード走行も行われた。終日好天に恵まれ、ジェントルな雰囲気のなかにも熱いバトルが繰り広げられた会場から、出走マシンを中心に紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)
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1/211960年から69年までの量産スポーツカーによるエバーグリーンカップ決勝のスターティンググリッド。予選1位の1966年「ロータス・レーシング・エラン(26R)」を先頭に全17台が出走した
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2/21エバーグリーンカップで総合8位、1000cc以下でクラス優勝した1967年「ホンダS800」。
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3/21エバーグリーンカップで総合5位に入った1963年「オースチン・ヒーレー3000Mk2A」。補助灯が迫力を増している。
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4/21エバーグリーンカップで、数周にわたって三つどもえのバトルを展開した1967年「アルファ・ロメオ・スパイダー」、67年「ホンダS800」、そして59年「ロータス・エリート」。
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5/21エバーグリーンカップで、激しいトップ争いを演じたナンバー26の1966年「ロータス・レーシング・エラン(26R)」とナンバー25の66年「ロータス・エランS3」。ポールポジションからスタートしたナンバー26がレースをリードしたが、最終ラップとなる8周目で25がオーバーテイク。しかし最終コーナーで26が抜き返してフィニッシュを迎えた。
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6/21各レースの表彰後、コース上で暫定表彰を実施。総合1~3位はグリッドレディーからレイを贈られ、シャンパンファイトに興じる。エバーグリーンカップで、2台の「エラン」に続く総合3位には1969年「ロータス・セブンSr3」が入り、ロータスが表彰台を独占した。
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7/21エバーグリーンカップの常勝ドライバーでもある、日本レース界のリビングレジェンドである生沢徹氏。今回は愛機1968年「ポルシェ911T」のエンジントラブルによりレースには不参加だったが、終日レースを見守った。開会式におけるあいさつの際に、数日前に訃報が伝えられた旧友である式場壮吉氏の写真を掲げ、思い出を語った。いわく「(パネル中央の)式場はトヨタ、(その左隣の)石津は三菱、そして(式場の右隣の)自分はプリンスのワークスドライバーだったのに、同じカークラブの仲間ということでおそろいのVANのレーシングスーツを着ていた。そんなことが許された時代だった」とのこと。ちなみに石津とは、VANヂャケットの創業者である石津謙介氏の次男の石津祐介氏である。
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8/21予選順に並んで決勝のコースインを待つ、1950年から69年までの量産ツーリングカーによるティントップカップの出走車両。14台を数えた。
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9/21ティントップカップでポール・トゥ・フィニッシュをキメた1965年「モーリス・ミニ クーパーS Mk1」。
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10/21ティントップカップで予選2位、決勝でも総合2位に入った1966年「フォード・アングリア」。エンジンは「フォード・コルチナ」用の1.5リッターを積んでいる。
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11/21英国で活躍した伝説のプライベートチームであるアラン・マン・レーシングカラーの1965年「フォード・コルチナ ロータスMk1 Sr2」。ティントップカップに出走。
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12/21ティントップカップにおける、FFとRRという正反対のレイアウトを持つライバル同士だった1964年「オースチン・ミニ」(右)と66年「ヒルマン・インプ」(左)のバトル。結果はインプが総合3位、ミニが6位。
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13/21ティントップカップに出走した1969年「フォード・カプリ」。カラーリングは、3度のF1王者に輝いたジャッキー・スチュワートが駆った独フォードワークスの「カプリ2600RS」に倣ったもの。
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14/21RACメモリアルランと題されたヒストリックカーパレードに出走した、日本では珍しい1975年「トライアンフ・ドロマイト」。
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15/21英国製単気筒モーターサイクルによるマンクストロフィーで、親子でデッドヒートを演じたナンバー221の1956年「BSA DBD34」とナンバー222の65年「ベロセット・スラクストン」。父の221がトップ、息子の222が2位でゴールしたが、ジャンプスタートのペナルティーにより222が総合優勝、221は2位と逆転した。
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16/21マンクストロフィーに出走した1936年「マチレスG80」。マシンに合わせライダーもクラシックなスタイルでキメている。
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17/211960年から69年までのヨーロピアンモーターサイクル(ただし国産含む)によるヴィンテージツーリストトロフィーで、上位入賞の常連である1964年「ブリヂストン90 EA1」と64年「ブリヂストン90 EA3」。こちらもライダーはファミリーだそうで、ナンバー333が総合優勝、ナンバー185が2位。
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18/21ブルックランズ&フレディ・ディクソン・トリビュート・ランと題された戦前車およびレーシングサイドカーのパレードに出走した「クララ」。単気筒106ccエンジンを搭載したスペシャルである。
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19/21レースに彩りを添えたグリッドレディース。
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20/21全レース終了後に行われた本表彰。上位入賞者にカップが贈られた。
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21/21レース前、早朝のピット風景。