「ラリーニッポン2011」 〜靖国神社の出発式から
2011.10.24 画像・写真2011年10月21日、東京都千代田区の靖国神社で「ラリーニッポン2011」の出発式が行われた。今回で3回目となるこのイベントは、人類の技術遺産であるクラシックカーで、東京から京都までの約1000kmの行程を、世界遺産や国宝・有形文化財などが存在する名所旧跡をたどりながら走破するというタイムラリー。日本の歴史や文化を再認識するともに世界に発信しようというのが、イベントの目的である。今回は72台の参加車両が、ゴールである京都の上賀茂神社を目指して、4日間のラリーに旅立った。スタート地点に設定されたのは今回が初めてという靖国神社での出発式から、印象的なマシンとシーンを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

靖国神社の参道に並んだ出場車両。車列は参道の左右にあるのだが、ご覧のように平日の昼間にもかかわらずギャラリーが意外なほど多く、向かって左側の車列はほとんど見えない。
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靖国神社の参道に並んだ出場車両。車列は参道の左右にあるのだが、ご覧のように平日の昼間にもかかわらずギャラリーが意外なほど多く、向かって左側の車列はほとんど見えない。
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日本車なのだからキャンギャルも和風、ゲイシャガールでキメてみましたという1970年「マツダ・ファミリアプレスト・ロータリークーペ(輸出名称マツダR100)」。同年の「スパ・フランコルシャン24時間」で5位に入賞したレーシング仕様を模したものである。ちなみにそのレースでは、日本から遠征したサムライドライバーの片山/武智組の駆る「R100」が「BMW2800」と序盤から激しいデッドヒートを展開したが、残り3時間で惜しくもリタイアした。
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珍しいという点では、参加車両中随一であろう1968年「ルノー・アンディーノGT」。アルゼンチンで「ルノー」「ランブラー」「ジープ」などのモデルを生産していたメーカーである「IKAルノー」が、「ルノー・ドーフィン」をベースに作ったスポーツカー。見た目はプロトタイプレーシングのようだが、シングルキャブ仕様の直4OHV1.1リッターという草食系エンジンを積む。
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今年の「ラリー・モンテカルロ・ヒストリック」に「トヨタ・スプリンター・トレノ(TE27)」で参戦した東京大学/関東工業自動車大学校のジョイントチーム(過去に『webCG』で紹介)。来年はダークグリーンから赤に塗り替えた「トレノ」(右)と、通称「ダルマセリカ」こと初代「セリカ1600GT」(左)の2台体制で再度挑戦するそうで、そのためのマシンテストおよびリハーサルとしてエントリー。
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プロモーションのために参道にいた、ケータイのアプリのキャラだという「ゆるキャラ」が、たまたまお散歩でやってきた近所の園児たちとご対面。なかには「こわい〜」と逃げ出す子もいた彼らのかわいらしさに、一瞬取材を忘れてなごんだ。ちなみに後ろに見える「X6」ほかのBMWのモデルは、イベントスポンサーであるBMWが提供したオフィシャルおよびスタッフ用車両。
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午前10時30分、1925年「ブガッティT35A」を先頭にスタート。スターターはイベントスポンサーである「アルフレッド ダンヒル ジャパン」社長のカルロ・ダリリオ氏。
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センターポール(?)に日の丸をなびかせた1951年「ベントレー・マークVI ハルス・スペシャル」。一見したところ戦前型のようだが、46年に登場した戦後第一作である「マークIV」に、よりクラシックなボディーを載せたスペシャルである。
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1924年「ベントレー3リッター」。ドライバーは長年にわたって国内有数のプライベートレーシングチーム「チームタイサン」を率いている千葉泰常氏(左)で、この「ベントレー」を駆って各種ヒストリックイベントの常連でもある。ナビゲーターは1976年、77年の「F1世界選手権イン・ジャパン」に、純国産F1マシン「コジマ007/009」を走らせた「コジマエンジニアリング」の小島松久氏。
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神社での出発式とあって、参加車両は1台ずつ、スタート前に神主と巫女(みこ)よりおはらいを受ける。クルマは1939年「ジャガーSS100 3.5」。ジャガーの名を一躍高めたモデルで、車名の「100」は時速100マイル(約160km/h)の最高速度にちなんだものである。
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初回からこのイベントのスポークスマンとして尽力している東儀秀樹氏の駆る1954年「ACエース」。あの「コブラ」のベースになった英国製スポーツカーで、2リッター直6エンジンを搭載する。
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1956年「ロータス11 Sr1 ルマン」。いちおうストリートカーとはいうものの、地をはうように低く、快適装備などまったくない小排気量(1.2リッター直4)のマシンで1000kmのグランドツーリングにチャレンジする精神に敬服。心身ともにタフじゃないと、まず無理だろう。
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1958年「ポルシェ356Aカブリオレ」。陸運支局名がなく、単に「5」から始まる東京ナンバーを付けた、現存する唯一のポルシェ。それだけでも非常に貴重な存在だが、コンディションもすばらしく、さらに俳優の高倉健氏がオーナーだったこともあるというヒストリーまで付いている。
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1955年「サンビーム・アルパインMkIII」。いすゞでもライセンス生産された「ヒルマン・ミンクス」が主力モデルだった英国の「ルーツ・グループ」のスポーティーなブランドが「サンビーム」で、「アルパイン」は2.3リッター直4エンジンを積んだ上品な2座オープン。淡いブルーのボディーとベージュの内装が、持ち味であるエレガントさをいっそう際立てているが、このコンビネーションは後のモナコ王妃であるグレース・ケリーが映画『泥棒成金』で駆った個体と同じである。
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1951年「フェラーリ340アメリカ・ヴィニャーレスパイダー」。1気筒あたり340ccで4.1リッターのV12エンジンを搭載した、希少な初期のフェラーリ。ボディーはカロッツェリア・ヴィニャーレ製だが、ほかにツーリングおよびギア製ボディを架装したモデルも存在する。51年のミッレミリアでは、ヴィニャーレ製のクーペが優勝している。
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1956年「メルセデス・ベンツ300SL」。珍しい黒いボディーカラー、そしてトレードマークのガルウイングドアを開け放ったまま花道を走っている姿が妙にカッコイイ。世界初のガソリン直噴エンジンである直6SOHC3リッターを積む。
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すばらしくエレガントな1961年「アストン・マーティンDB4」が、靖国神社の敷地内から公道に出た瞬間。ボンドカーとして有名な「DB5」の前のモデルで、「DB5」よりクラシックな顔つきのボディーに(ただしDB4でも最終のシリーズ5はDB5と同じマスク)、やや小さい3.7リッターの直6DOHCエンジンを搭載する。
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1964年「フェラーリ330GT 2+2」。フェラーリには珍しく4灯式ヘッドライトを採用したものの、「らしくない」という声もあってわずか1年で2灯式に替えられてしまった経緯を持つ、ある意味希少なモデル。本来はラグジュアリーなGTだが、バンパーレスにしてストライプを入れたレーシングライクな姿も、意外に悪くない。
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1967年「トヨタ2000GT」。映画『007は二度死ぬ』に登場したことで知られるオープン仕様にモディファイした個体。激しいコーナリングをかましているようにも見えるが、カメラアングルとシャッタースピードのイタズラ。実態は靖国神社を出て2つめの曲がり角を、ごく普通に通過しているところだ。
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1974年「BMW2002ターボ」。ストライプも、フロントスポイラーの「2002 turbo」の逆文字(前を走るクルマのミラーに写ったときにちゃんと読めるように)も入らない真っ白いボディが、塗装前のレーシングカーのようでカッコイイ。これも疾走しているように見えるが、シャッタースピードが遅いためである。
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1974年「ホンダZ360」。軽初のスペシャルティーカーとして70年に登場した「Z」だが、これは水冷2気筒SOHCエンジンを積んだ初代「ライフ」をベースにした最終型。今回のエントリー車両中、最小モデルである。ガンバレ!