「第9回 コッパ ディ 東京2016」の会場から
2016.11.25 画像・写真2016年11月23日、「第9回 コッパ ディ 東京2016」(9a Coppa di Tokyo 2016)が開かれた。勤労感謝の日の恒例となったこのクラシックカーイベントは、晩秋の都内を設定ルートに沿って走行。途中3カ所のスタンプポイントに立ち寄り、そして5カ所でPC競技を行って、走りの正確さを競うラリーである。スタート/ゴール地点は、イベントにぴったりの雰囲気を持つ場所としておなじみとなった、汐留シオサイト5区「イタリア街」の汐留西公園。今回のルートは、イタリア街を出てから銀座~お茶の水~上野~浅草・今戸神社~柳橋~両国~木場~晴海~大門~桜田門~竹橋~小川町~東京駅~御成門を経て、イタリア街に戻る全長約46kmだった。参加車両は例年の70~80台に対して、今回はなんと110台以上を数えた。主催者いわく「スタート/ゴール地点のキャパシティーから考えて、理想は80台」とのことだが、今回は参加希望が多く、断るに断れない状況だったという。盛況なのは喜ばしいことだが、その一方で、この台数では進行に影響が出ることも懸念された。しかしふたを開けてみれば、何もトラブルはなく無事に全プログラムが終了。過去の開催で、さまざまな経験を積み重ねてきたスタッフ、そしてエントラント双方の力が発揮された結果と言えるだろう。(文と写真=沼田 亨)
-
1/35例年より30台近くも多いおよそ110台の参加車両で埋め尽くされた、汐留シオサイト5区「イタリア街」の中央にある汐留西公園。
-
2/351974年「フィアット・アバルト124ラリー」(写真左)と2016年「アバルト124スパイダー」、新旧のアバルト124が先導車を務めた。
-
3/35参加台数が多いため午前10時の予定を5分ほど切り上げてスタートした。カーナンバー1は、最も古い年式の参加車両である1924年「ブガッティT13ブレシア」。
-
4/35スタートしてすぐにPC競技(例えば20mを5秒で、30mを6秒で走行せよ、といったふうに、決められた区間を指定時間にいかに近く走れるかを1/100秒単位で競う)が3連発。1930年「アストンマーティン・インターナショナル」は今回の総合優勝車両で、ドライバーは群馬県渋川市にある「伊香保おもちゃと人形自動車博物館」館長の横田正弘氏。
-
5/351928年「ブガッティT44」で参加した竹元京人/淳子夫妻は、2009年から2016年まで「ラ・フェスタ・ミッレミリア」を8連覇している国内クラシックカーラリー界の最強ペア。今回は優勝はならなかったが、空気を読んだのかも?
-
6/35決められた区間をいかに指定時間に近いペースで走れるかを競う“PC競技”に臨む、1948年「マセラティA6G」。ドライバーは「ラ・フェスタ・ミッレミリア」の参加窓口であるヴェテランカークラブ東京の会長を務めるタレントの堺 正章氏。コドライバーが下を見ているのは、俗に“線踏み”と呼ばれるPC競技の、「線」こと路上に設置されたセンサーの位置を見きわめドライバーに指示するため。
-
7/351947年「フィアット500Bザガート パノラミカ」。通称トッポリーノこと初代「フィアット500」のシャシーにザガートがボディーを架装した愛らしいモデル。路面に貼られた黄色い線がPC競技用のセンサーで、画像右端でスタッフが測定している。
-
8/35PC競技を終えて走りだした1963年「ハンバー・セプター」。「品5」のシングルナンバーを付けた新車以来のワンオーナー車である。後ろにオールドダットサンが続いているが……。
-
9/35単なる「5」で始まる、さらに古い東京ナンバーを付けた1937年「ダットサン16型ロードスター」は、前出の「ハンバー・セプター」と同じオーナーが所有するクルマ。今回は2台ともオーナーの子女がドライブした。
-
10/351972年「日産フェアレディZ432R」。「スカイライン2000GT-R」から2リッター直6 DOHC 24バルブエンジンを移植された、初代S30Zの発売当初のトップグレードであるZ432のレース用ライトウェイト仕様。
-
11/35特別参加した1992年「ブガッティEB110GT」。ブガッティの創設者であるエットーレ・ブガッティの生誕110周年である1991年に、名前の頭文字であるEBと110を冠して発表されたスーパーカー。3.5リッターV12クワッド(4基)ターボエンジンを搭載。スタートしてすぐに汐留西公園に戻り、終日展示されていた。
-
12/353カ所設けられたスタンプポイントのひとつである、神田川にかかる柳橋の西詰(台東区柳橋)にて。これから通過の証しであるスタンプと記念品をもらおうというのは、クーペ風のハードトップを装着した1959年「オースチン・ヒーレー・スプライトMk1」。
-
13/35柳橋を中央区東日本橋方面に渡る、「5」で始まる陸運支局名がなかった時代の東京ナンバーを付けた1955年「トライアンフTR2」。後方のスタンプポイントには「ジャガーXK120」や「トライアンフTR3」などが並んでいる。
-
14/35柳橋を渡る、1967年「シトロエンDS19」。漆黒のボディーが美しい。
-
15/35東京駅中央口交差点と和田倉門交差点を結ぶ、通称行幸通りを行く1929年「アルファ・ロメオ6C 1750SS」。モータースポーツでも大活躍した、戦前のアルファの傑作のひとつ。続くのは「フィアット850ベルリーナ」をベースにした1965年「フィアット・アバルト OT850」。
-
16/351963年「アバルト・シムカ1300コルサ」。フィアットの影響が濃いRRセダンの「シムカ1000」をベースにしたレーシングスポーツで、1963~1965年の間ニュファクチャラーズ選手権のGTIクラス(1.3リッター以下)を3連覇した。
-
17/35世界初の市販ミドシップスポーツカーである1964年「ルネ・ボネ・ジェット」に、ルネ・ボネを買収したマトラが改良を加えて継続生産した1965年「マトラ・ジェット」が続く。超希少な2ショットだ。
-
18/351951年「アストンマーティンDB2」。現在も使われているDB(戦後アストンの経営を握ったデヴィッド・ブラウンの頭文字)の名を冠した最初のモデル。2.6リッター直6 DOHCエンジンを搭載。
-
19/35はみ出しそうに太いタイヤを履き、イエローバルブのヘッドライトを点灯させて走る「ルノー・ドーフィン ゴルディーニ」。ゴルディーニチューンの845ccエンジンを積んだスポーツセダンである。
-
20/35前を行く「愛5」のシングルナンバー付きの1958年「ポルシェ356A」は、1963年の第1回日本グランプリの出走車(国内スポーツカー1300~2500ccレースで9位)。後ろの1962年「ポルシェ356B 1600スーパー」は、モータージャーナリストの吉田 匠氏がドライブしている。
-
21/351973年「フォード・マスタング マッハ1」に1973年「ポルシェ911E」、1970年「ロータス・エランS4」などが続く。
-
22/35後ろから塗り壁のような大型バスに迫られる(?)1956年「ロータス11」。コドライバーの坊やは、10歳にしてすでに5年のキャリアを持つベテランだ。
-
23/351967年「ダットサン・フェアレディ2000」と1967年「トヨタ・スポーツ800」という、60年代生まれの国産スポーツカー2台。
-
24/35ドイツのハインケルを英国でライセンス生産した1963年「トロージャン200」と、フルサイズのアメリカ車である1967年「クライスラー・ニューポート コンバーチブル」。出走車両中、最小クラスの一台と最大の一台が仲よくランデブー。
-
25/351975年「ランボルギーニ・カウンタックLP500S」。3台だけ作られたという、超希少な「ウォルター・ウルフ バージョン」である。続くのは1957年「メルセデス・ベンツ190SL」。
-
26/35行幸通りを和田倉門交差点で左折して日比谷通りに入った1953年「MG-TD」。ドライバーは雅楽演奏家の東儀秀樹氏。
-
27/351965年「アルファ・ロメオ・グランスポルト クアトロルオーテ」。イタリアの自動車専門誌『QUATRORUOTE』の企画により、「ジュリア」のシャシーに、先に紹介した戦前の名車「6C 1750」を模したザガート製ボディーを載せたモデル。
-
28/351953年「モレッティ750ベルリネッタ“Alger Le Cap”」。今回が国内デビューというモデルで、ボンネットとドアには2014年の本国版ミッレミリアのナンバーが貼られたままである。
-
29/351969年「ディーノ206GT」。ディーノはこのほか「246GT」が5台、計6台が参加していた。
-
30/35和田倉門交差点を左折し、日比谷通りを加速していく1974年「ランチア・ストラトス」。
-
31/351975年「フェラーリ365GT4BB」。横断歩道を行く人も思わず目を留める。
-
32/35渋いカラーリングに、クルーのかぶる赤いキャップがアクセントになっている1954年「ジャガーXK120」。
-
33/351965年「マセラティ・ミストラル スパイダー」。800台以上作られたクーペに対して、スパイダーは生産台数約120台という希少車。
-
34/351970年の誕生から半世紀近くを経た今なお前衛的な姿の、1975年「シトロエンSM」。
-
35/35フィニッシュ後の汐留西公園。