富士トリコローレ2011(前編)
2011.09.21 画像・写真2011年9月11日、山梨県富士吉田市の「富士Calm」で「富士トリコローレ2011」が開かれた。愛知県にある「チンクエチェント博物館」が主催するこのイベントは、イタリア車ならば年式やメイクを問わず参加OKというもので、昨年は初回にもかかわらず270台が集まったという。快晴ならば正面に富士山を望む広大な芝生広場に愛車を展示し、参加者は思い思いに一日を過ごすという「まったり系」のミーティングだが、そのすばらしいロケーションが評判を呼び、今回は昨年より200台近くも多い460台ものエントリーがあった。新旧イタリア車で埋め尽くされた会場から、リポーターの印象に残ったクルマを紹介しよう。なお、11月27日には、神戸市立森林植物園でこのイベントの関西版「関西トリコローレ2011」が開かれるという。詳しくは公式サイト(http://museo500.com/tricolore_k)まで。
(文と写真=沼田 亨)(→後編につづく)

会場風景。芝と周囲の樹木の緑に、色とりどりのイタリア車が映える。空模様は朝方こそ小雨がパラついたものの、昼前から日が差し始め、ご覧のような好天に。ただし残念ながら雲は切れず、富士山は拝めなかった。主催者によれば、早朝の開場準備中と夕刻の撤収作業中には、皮肉なことに顔を出したという。
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会場風景。芝と周囲の樹木の緑に、色とりどりのイタリア車が映える。空模様は朝方こそ小雨がパラついたものの、昼前から日が差し始め、ご覧のような好天に。ただし残念ながら雲は切れず、富士山は拝めなかった。主催者によれば、早朝の開場準備中と夕刻の撤収作業中には、皮肉なことに顔を出したという。
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同じ年式(1973年)で同じ色、まるで双子のような「アルファ・ロメオ・ジュリアスーパー」。2台とも当時のインポーターだった伊藤忠オートが入れた正規輸入車で、いずれもフルオリジナル。アルファのワンメイククラブ「クラブ・ビッシオーネ」のメンバーである2人のオーナー氏によれば、所有歴と走行距離は左が32年/18万km、右が26年/22万kmという。
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1968年に登場した「アルファ・ロメオ1750ベルリーナ」。「ジュリアスーパー」のボディを延ばし、1570ccから1779ccに拡大したアルファ・ツインカムを積んだセダン。「1750」という車名は、戦前の名車「6C1750」にちなんでいる。71年にはエンジンをさらに2リッターまで増強した「2000ベルリーナ」に発展した。
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希少な「アルファ・ロメオ・グランスポルト・クアトロルオーテ」。イタリアの自動車専門誌“QUATRORUOTE”の企画により、「ジュリアti」のシャシーに戦前の名車「6C1750」を模したザガート製ボディを載せたモデルで、1965年から67年までに92台が作られた。この個体は新車で日本に輸入された2台の右ハンドル車うちの1台で、ワンオーナー車。
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化粧直しをしたばかりとあって、まるで新車のように美しい「アルファ・ロメオ1600ジュニアZ」。いわゆる「ジュリア・クーペ」のシャシーに、ザガート・デザインの3ドアハッチバック・クーペを架装したモデル。1969年のデビュー当初は1.3リッターエンジンを搭載、72年に1.6リッターに拡大された。「コーダ・トロンカ」と呼ばれるテールをスパッと切り落としたスタイリングは、後の「ホンダCR-X」に影響を与えたといわれている。
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2009年にデビューした「アルファ・ロメオ8Cコンペティツィオーネ スパイダー」。世界限定500台、日本への割り当て70台のうちの1台。
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1952年「ランチア・アウレリアB20 GT」。世界で初めて「GT」を名乗ったモデルであり、世界初のV6エンジン搭載市販車でもある高級グランツーリスモ。優美なボディはカロッツェリア・ギアがスタイリングを担当し、ピニンファリーナが製作した。この日集まったなかで、最長老モデルでもあった。
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「ランチア・アウレリアB20 GT」のインテリア。「GT」を名乗るものの、シフトレバーはステアリングコラムから生えている。コラムシフトは当時のトップファッションであり、同時代のアルファ・ロメオの「1900」や初期の「ジュリエッタ」も採用していた。また右ハンドルではあるが、英国仕様というわけではなく、1950年代半ばまでのランチアはみな右ハンドルだった。なんでも当時は「高級車=右ハンドル」という概念があったらしい。
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フィアットの色だというきれいなペパーミントグリーンに塗られた1967年「ランチア・フルビア・クーペ」。フロントグリルに「HF」のエンブレムが装着されているが、オーナーいわく「ボディはノーマルのフルビア・クーペなんですが、エンジンはHF用に換装されているので、ウソではないんです」とのこと。
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1978年「ランチア・ベータ・クーペ」。ランチアがフィアット傘下に入ってから最初のモデルである4ドアファストバックセダン、ベータをベースにしたクーペで、73年にデビュー。エンジンはランチア特有の狭角V4でもフラット4でもなく、フィアット系の直4DOHC1.8リッターを積む。この個体は北米仕様をベースにした正規輸入車のため、大げさなバンパーを付けている。
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新車のように美しい「ランチア・モンテカルロ」。1975年にデビューした当初は「ランチア・ベータ・モンテカルロ」と名乗っていたミドシップクーペ。そもそも「フィアットX1/9」の上級版として企画されたモデルで、スタイリングおよびボディ製作はピニンファリーナによる。この個体は80年にマイナーチェンジを受け、「ランチア・モンテカルロ」に改称されてからのモデル。
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「ランチア・ストラトスHFストラダーレ」。1974年から76年にかけてWRC(世界ラリー選手権)のメイクスタイトルを3連覇した、ご存じ「ストラトスHF」のロードバージョン。ベルトーネのチーフデザイナーだったマルチェロ・ガンディーニが手がけたボディに、「ディーノ246GT」や「フィアット・ディーノ」と基本的に同じフェラーリ製V6DOHC2.4リッターエンジンをミドシップしている。
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これまた新車のようにビッカビカに輝く「ランチア・デルタS4ストラダーレ」。グループB時代のWRCを戦うべく1985年に登場したマシンの、ホモロゲーション取得用のロードゴーイングバージョン。シルエットはデルタ風だが、実体は鋼管スペースフレームにFRP製ボディをかぶせ、DOHC16バルブ1.8リッターのツインチャージャーエンジンをミドシップし、4輪を駆動するというモンスター。
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ズラリと並んだ「ランチア・デルタHFインテグラーレ」。このほかにも何台も参加しており、おそらく車種別では現行「フィアット500」に次ぐ台数が参加していたはず。
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「ランチア・ムーザ」。街中ではめったに見かける機会はないが、ガレーヂ伊太利屋が輸入販売する現行モデルである。全長4m以下、全幅1.7m以下のコンパクトなボディに1.4リッターエンジンを搭載した、「小さな高級モノスペースワゴン」とでもいうべきモデル。
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「ASA1000GT」。小型GTへの進出をもくろんだフェラーリが企画したものの、諸事情により生産化を断念した「フェラリーナ1000GT」の製造権を買い取った会社が、1962年から67年にかけて100台ほど生産したモデル。スタイリングはベルトーネ時代のジウジアーロ、シャシー設計はフェラーリ出身のジオット・ビッザリーニ、直4SOHC1リッターエンジンの設計はやはり元フェラーリのカルロ・キティというオールスターキャストによる、まさに珠玉のGTだった。
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「ASA1000GT」のリアビュー。全長3890mm、全幅1450mm、全高1245mmというサイズにもかかわらず優美で、かといって妙に大人びているような印象もなく、フィニッシュもすばらしい。日本にも正規輸入されたが、1966年当時の価格は295万円。翌67年に発売された「トヨタ2000GT」(238万円)と通称ヨタハチこと「トヨタスポーツ800」(59万2000円)の2台分にほぼ匹敵したといえば、この「フェラリーナ」(「小さなフェラーリ」という意味)がいかに高額だったかおわかりいただけるだろう。
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「マセラティ3500GT」。1957年から64年まで作られた、事実上マセラティ初の量産ロードカー。カロッツェリア・ツーリング製の2+2クーペボディに、グランプリカーの血を引く直6DOHC3.5リッターエンジンを積んだ大型高級GT。カロッツェリア・ビニャーレ製のスパイダーも存在した。
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小さいキャビンと長いテールが優雅な印象を与える「マセラティ3500GT」のリアビュー。日本に初上陸したマセラティもこの3500GTで、1963年当時の価格は800万円だったという。クラウンの高級グレードが100万円前後だった時代の話である。
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「マセラティ222 4V」。マセラティがデ・トマゾの傘下にあった1981年にデビューした「ビトゥルボ」(ツインターボの意味)に始まる一連のモデルのひとつで、88年に登場。V6DOHC24バルブ2.8リッターのツインターボエンジンを搭載したホットバージョンである。この日集まったクルマは程度のいい個体が多かったが、この「222 4V」も非常にきれいだった。