「横浜ヒストリックカーデイ 6th」の会場から
2017.11.17 画像・写真2017年11月11日、神奈川県横浜市の横浜赤レンガ倉庫イベント広場で「横浜ヒストリックカーデイ 6th」が開かれた。歴史遺産である赤レンガ倉庫を舞台にヒストリックカーを展示することで、その魅力や文化を次世代に伝えたいという思いから、横浜在住の旧車愛好家が2012年に立ち上げたこのイベント。6回目を迎えた今回も例年同様、1974年までに生産された、オリジナルの雰囲気を損なっていない国内外の車両という規定をクリアした約160台が集まった。主催者の人脈からBMC系を中心とする英国車が多いのが初回以来の特徴で、今回も60台以上を数えた。それを除けば各国のモデルが程よいバランスで並んでおり、見る者を飽きさせない。毎回設定されているフィーチャーカーは、今回は「はたらく車」で、なつかしいライトバンや小型トラックなどが並んだ。それら車両展示のほか、一昨年に始まった誰でも参加できる写生大会「古い車の絵を描こう」を今回も実施。また新たな試みとして、翌12日に参加者有志によるツーリングが行われ、20台ほどが参加したという。(文と写真=沼田 亨)
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1/38表通りに面した最前列に、1950~60年代のジャガーとデイムラー(1960年にジャガー傘下となった)のモデルがズラリと並んだ。
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2/38「ジャガー・マークVII」。1950年に登場した、当時のフラッグシップサルーン。全長5mに達しようというボディーに、スポーツカーの「XK120」と基本的に同じ3.4リッター直6 DOHCエンジンを積む。
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3/38「デイムラー2.5リッターV8」。「ジャガー・マーク2」のボディーにデイムラー設計の、OHVヘミヘッドの2.5リッターV8エンジンを搭載したモデル。頂部が波形のフロントグリルがマーク2との識別点。
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4/38「デイムラー・ソブリン」。同名を冠した初代「ジャガーXJ」の姉妹車もあったが、これはそれより一世代前のモデル。「ジャガー・マーク2」から発展した「ジャガー420」のバッジエンジニアリングによる姉妹車で、1966年に登場した。
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5/383台並んだ「ジャガーEタイプ クーペ」。左端はロングホイールベースの2+2クーペである。
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6/381940~50年代の英国車、オースチン4連発。左から「A90アトランティック コンバーチブル」、「A90ウエストミンスター」、日産でライセンス生産された「A50ケンブリッジ」、そして「A40サマーセット ドロップヘッドクーペ」。
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7/384台のオースチンはいずれも日本では珍しいが、筆者も初めて見たのがこれ。3つ目風の独特のマスクを持つ1950年「A90アトランティック コンバーチブル」。後述する「オースチン・ヒーレー100」と同じ2.6リッター直4 OHVエンジンを積む。
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8/38左が「オースチンA30」、右が「モーリス・マイナー1000」。オリジナルのミニ誕生以前の1950年代、オースチンやモーリス、MGなどのブランドを擁していた英国のBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)のボトムラインを支えていた大衆車である。
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9/38エンジン横置きFFという、その後の小型車の主流となる革命的なレイアウトを採用して1959年に誕生した初代ミニ。左がオースチン、右がモーリスの「マークⅠ」モデル。双方の相違点はフロントグリルのパターンとエンブレムなど内外装の細部のみ。
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10/38「モーリス・オックスフォード」。先に紹介した「オースチンA50ケンブリッジ」の後継モデルである「A60ケンブリッジ」の、バッジエンジニアリングによる“モーリス版”となる中型サルーン。スタイリングはイタリアのピニンファリーナで、やはりピニンファリーナの作である同時代の「プジョー404」とよく似ている。
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11/38「ローバーP4」。母国イギリスでは親しみを込めて“Auntie”(おばちゃん)と呼ばれていたという、地味だが高品質な中型サルーン。
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12/38参加車両中唯一の戦前車だった1937年「オースチン・セブン」のスペシャルに、戦前型の設計を引き継いだ戦後モデルの「MG TC」「MG TD」などが続く。
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13/383台並んだ通称“ビッグ・ヒーレー”。手前から「オースチン・ヒーレー100」、レーシング仕様にモディファイされた「ヒーレー3000マークII」、そして「ヒーレー100」。100(ハンドレッド)は2.6リッター直4 OHV、3000マークIIは3リッター直6 OHVエンジンを積む。
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14/38「ジェンセン・ヒーレー」。先の「オースチン・ヒーレー」を設計したヒーレー親子が“ビッグ・ヒーレーの再来”を念頭に開発、1972年にデビューしたモデル。2リッター直4のロータスツインカムを搭載する。
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15/38色とりどりの「ロータス・エラン」群。
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16/38イタリアの「イソ・イセッタ」をライセンス生産した三輪バブルカーの「BMWイセッタ」(右)と、それをベースに発展させた四輪の「BMW 600」(左)。戦後のBMWの低迷期を支えた小さな功労者である。
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17/38こちらは「フォルクスワーゲン・カルマンギア」群。コルベアルックをまとった手前のタイプ3こと「フォルクスワーゲン1500/1600」ベースのモデルは珍しい。
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18/38さらに珍しい、ブラジル工場製のオリジナルモデルである「フォルクスワーゲン・カルマンギアTC」。日本にはこれ1台きりかも。
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19/38「フォルクスワーゲン・タイプ2バス」。俗に“21ウィンドウ”と呼ばれる、タイプ2バスのなかで2番目に窓の多い仕様(1番は23ウィンドウ)。室内に置かれたショーケースには、同色のモデルカーがズラリ。
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20/38「メルセデス・ベンツ220SEカブリオレ」。通称ハネベンことテールフィンの生えた縦目のメルセデスの前世代となる、本国ではポントン、日本ではダルマと呼ばれるモデルのカブリオレ。今日の「Sクラス カブリオレ」の先祖。
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21/38「アルファ・ロメオ・ジュリア ジャルディネッタ」。「ジュリア ベルリーナ」をベースにした、非常に珍しいワゴン仕様。これはリアクオーターウィンドウがパネルで覆われているが、通常のガラス窓バージョンも存在する。
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22/38「ASA1000GT」。フェラーリが企画したものの、諸事情により生産化を断念したフェラリーナ(小型フェラーリ)の製造権を買い取ったASAにより、100台前後作られた小型GT。スタイリングはベルトーネ時代のジウジアーロ、シャシー設計はフェラーリ出身のジオット・ビッザリーニ、1リッター直4 SOHCエンジンの設計も元フェラーリのカルロ・キティで、1965年に市販化された。
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23/38「シムカ1200Sクーペ」。これもベルトーネ時代のジウジアーロ作のボディーをまとった、フランス製小型クーペ。フロントにラジエーターを持つが、直4 OHVクロスフローの1.2リッターエンジンをリアに積むRRレイアウトを採る。デビューは1967年だが、この個体は1971年製の最終型。
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24/38「ルノー8ゴルディーニ1300」。弁当箱のような角張ったボディーのリアに、ゴルディーニが高度にチューンした1.3リッター直4 OHVクロスフローのエンジンを搭載。モータースポーツでも活躍した。
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25/38「ダットサン・ブルーバード1600SSS」。ブルーバード系を中心とする日産のスポーツグレードに長らく使われたSSS(スーパースポーツセダン)の名を最初に冠したモデルの、1965年にデビューした初期型。
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26/38後方から眺めた1965年「ダットサン・ブルーバード1600SSS」(手前)と、翌66年にマイナーチェンジされた「同1300デラックス」(奥)。ピニンファリーナによる、テールに向かってなだらかな弧を描くデザインが、日本では“尻下がり”と呼ばれ不評だったため、マイナーチェンジでお尻を持ち上げた。双方のヒップラインの違いがおわかりいただけるだろう。
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27/38「日産スカイライン2000GT-R」。プロトタイプレーシング「R380」用をベースに量産化した2リッター直6 DOHC 24バルブのS20型エンジンを積んで1969年にデビューした、最初期型GT-R(型式名PGC10)。GT-R伝説の原点。
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28/38新車以来とおぼしき「静岡5」のシングルナンバーを付け、オリジナル状態を保った「ホンダS800」。
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29/38こちらは「横浜5」ナンバーを付けた「トヨタ・スポーツ800」。「カローラ スプリンターSL」用の砲弾型フェンダーミラーやZ(東洋ゴム)のアルミホイール、手作り風ステーに取り付けられたフォグランプなど、1960~70年代にリアルタイムで施されたであろうモディファイが光る。
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30/38「トヨペット・コロナ マークIIハードトップ2000GSS」。2リッター直4 DOHCの18R-G型エンジンを積んだ2代目マークIIのホットグレード。1973年以降の後期型。
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31/38「横浜5」のシングルナンバーを付けた「トヨペット・クラウン カスタム」。1967年に登場した3代目「クラウン」の、サードシートを備えた8人乗りの乗用ワゴン。85歳になるオーナーが新車で購入、アメリカンレーシングを模したエンケイ製アルミホイールも、70年代に装着したものという。
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32/38レストアされ、新車のような輝きを放つ「プリンス・グロリア6ワゴン」。車名はワゴンだが4ナンバー登録の商用バンで、一方、5ナンバーの乗用ワゴンは「グロリア6エステート」を名乗るという、ややこしいラインナップだった。ただしこの個体は、5ナンバーで登録し直されている。
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33/38「日産セドリック バン」。1960年に登場した初代セドリックに、翌1961年に加えられた4ナンバーの商用バンの最初期型。しかもこの個体は、後席バックレストが2:1の分割可倒式になっている特注の寝台車仕様である。
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34/38「トヨエース」。現在もラインナップされているトヨタ製小型キャブオーバートラックの、1960年代中ごろのモデル。“トラックの国民車”のキャッチフレーズでヒットした初代の後を受けた2代目である。
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35/38「日産プリンス クリッパー」(右)と「日産クリッパー」(左)。現在も日産の軽トラックに名称が使われているクリッパーは、1958年にプリンスがリリースした小型キャブオーバートラック。右は1966年の日産との合併直前に登場した2代目で、左は1976年に「日産キャブオール」の双子車として登場した3代目。
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36/38「沖4」のシングルナンバーを付けた、右側通行(左ハンドル)だった時代の沖縄仕様の「ダットサン・トラック」。520の型式名で呼ばれるダットラの、1968年ごろのモデルである。
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37/38「スバル・サンバー ライトバン」。俗に“スーサイド・ドア”と呼ばれる前開き式ドアを持つ、1966年に登場した2代目サンバーの商用バン。
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38/381963年に発売されたホンダ初の市販四輪車であり、日本初のDOHCエンジン搭載車だった軽トラックの「ホンダT360」。荷台に積まれているのは、生産終了が話題となった「モンキー」のルーツとなる2台。右側はホンダが1961年にオープンしたモータースポーツ施設である多摩テックの遊具用として作られた「Z100」のレプリカで、左側は1963年に輸出専用として登場した最初の市販型である「CZ100」。