「クラシックカークラブ青森 ミーティング in こみせ」(後編)
2011.08.03 画像・写真2011年7月17日、青森県黒石市で「クラシックカークラブ青森 ミーティング in こみせ」と題された旧車イベントが開催された。「こみせ」とは、当地に江戸時代から残る、夏は暑い日差し、冬は吹雪や積雪から人々を守るアーケード状の通路。この「こみせ」に沿って、国の重要文化財をはじめとする古い建物が軒を並べる黒石商店街、通称「こみせ通り」を会場に行われるこのミーティングは、今回で20回目を数える。今や東北地区最大級の旧車イベントであるだけでなく、街をあげてのお祭りに成長したが、今回は先の東日本大震災を受けて、同じ東北人として地域復興の願いを込め、「がんばる! 東北!!」をスローガンに掲げての開催となった。遠くは大阪や神戸からの参加者も含め、約200台の旧車が参加したミーティングを、前日に行われたツーリングや、20回記念の特別企画として実施された高橋国光氏の講演会の様子などもあわせて紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)
(前編はこちら)

ミーティング前日の7月16日には、約70台が参加して「Hero達のツーリング」と題された、黒石から八甲田方面を巡る全行程100kmほどのツーリングが実施された。ミーティングともども参加資格は「旧車」というだけで年式による規定はなく、その判断は参加者自身に委ねられているため、GX80系「トヨタ・マークII」など1980年代生まれのクルマも参加していた。
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ミーティング前日の7月16日には、約70台が参加して「Hero達のツーリング」と題された、黒石から八甲田方面を巡る全行程100kmほどのツーリングが実施された。ミーティングともども参加資格は「旧車」というだけで年式による規定はなく、その判断は参加者自身に委ねられているため、GX80系「トヨタ・マークII」など1980年代生まれのクルマも参加していた。
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ツーリングに参加した1938年「ロールス・ロイス25/30HP」。日本ロールス・ロイス&ベントレー・オーナーズクラブ(RRBOCJ)会長の和田篤泰さんの愛車だが、この日は都合によりご子息の祐助さんがドライブ。ご本人は翌日羽田から青森空港に飛んできて、親子間でバトンタッチ。もちろん往復とも自走である。和田さん親子を筆頭に、RRBOCJには戦前車で遠方のイベントに平然と自走で参加する強者がそろっているのだ。
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先頭を行くのは「ロナートW152ジャガー」。英国の少量生産スポーツカーメーカーのロナートが1986年から製造している「W152」は、50年代のフロントエンジンF1をイメージしたモデル。エンジンはジャガー用で、この個体は4.2リッター直6 DOHCを積んでいる。それに続くのは「ポルシェ911」(964)、2代目「プリンス・グロリア」、「メルセデス・ベンツSクラス」(W126)……。
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1968年「三菱ミニカ」。62年に登場した初代「ミニカ」は、当時の軽乗用車で唯一リアに独立したトランクを持つ3ボックスのボディを持ち、空冷2ストローク2気筒エンジンによるこれまた当時の軽乗用車としては唯一FRレイアウトを採用した、当時の三菱らしい堅実なモデルだった。ロールスやフェラーリから、こうした懐かしの軽やバブルカーまで共存しているところが、このイベントの魅力のひとつである。
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ツーリングは今回で6回目、参加者が飽きないように毎回コースを考えるのに苦労すると主催者はいう。しかし、そのかいあって今回のコースはすばらしかった。ワインディングあり、見晴らしのいい高原あり、しかも全行程にわたって流れはスムーズで、すべて一般道にもかかわらず信号は数えるほどしかなかった。先頭を行くのは1967年「ジャガーEタイプロードスター シリーズ1」。
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静岡ナンバーだが現在は名古屋在住という村井徹さんの「BMW2002tii」。「3シリーズ」のルーツで、BMWのスポーツサルーンとしての評価を一躍高めたモデルである。この個体はBMW好きの友人から譲り受けたクルマで、新車以来の走行距離は40万km(!)に達しているという。にもかかわらず美しさを保っており、筆者も同乗させていただいたが、走りもすこぶる快調だった。
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とってもキレイな「ロータス・エラン+2」。ピュアスポーツカーの傑作である「エラン」のホイールベースを320mm延長し、全長と全幅をそれぞれ600mm、260mmも拡大して2+2とした「ファミリーマンのためのロータス」で、1967年にデビュー。というと巨大なボディを持つように思えるが、スタイリングのバランスがいいため、そうは見えない。同時にオリジナルのエランがいかにコンパクトだったかがわかる。
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埼玉からやってきた「マツダ・コスモスポーツ」。1967年に市販化された世界初の2ローター・ロータリーエンジン搭載車だが、この個体はホイールベースが150mm延長され、エンジンが110psから128psにパワーアップされた68年以降のモデル。ホイール/タイヤが15インチと大径なこともあって、前出の同時代のスポーツカーである「エラン+2」と比べると絶対的な車高は低いものの、姿勢はやや腰高である。
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「足立5」のシングルナンバーを付けた1967年「日産シルビア」(型式名CSP311)も、関東からの参加車両。オーナーの榎本浩司さんが30年以上乗り続けている個体で、1.6リッター直4 OHVエンジンはキャブレターをノーマルのSUツインからソレックスのツインチョーク2連装に替え、ギアボックスも「フェアレディ2000」(SR311)用の5段に換装するなどして走りっぷりを磨いている。
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埼玉県志木市でホンダSシリーズおよびブリティッシュスポーツのショップ「ガレージイワサ」を営む岩佐三世志さんが、自ら仕上げた「ホンダS800」で参加していた。このエスハチ、RSCレプリカのホイールを除いてはノーマルに見えるが、ボディパネルはすべてFRP製という。岩佐さんいわく「車重を量ったことはないけど、かなり軽くなっていると思うよ」。
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1966年「プリンス・スカイライン1500デラックス」。初代「スカG」のベースになった2代目「スカイライン」で、「コロナ」や「ブルーバード」と市場を争うファミリーセダンだった。沼津から参加したオーナーの望月喜六さんは、御年79歳。にもかかわらず、このスカイラインともう1台の愛車である「トライアンフTR4」で各地で開かれる旧車イベントに精力的に参加している。もちろんすべて自走である。
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ツーリングの折り返し地点は青森市内にある「ねぶたの里」。その名のとおり「ねぶた祭り」にまつわるあれこれを集めた施設で、そこで昼食および休憩タイム。「お祭り広場」と呼ばれる広大な芝生広場に、ズラリと並んだ参加車両。さまざまな生産国、サイズ、カテゴリーのモデルが、仲良く同席。
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左から「メッサーシュミットKR200」「シトロエン2CV」「ロールス・ロイス シルバーレイス リムジン」そして「ロールス・ロイス25/30HP」。旧車イベント数多しといえども、こうした並びはめったに見られるものではない。
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都内から参加した1971年「サーブ99」。「99」は1967年に登場したサーブの主力モデルで、70年に追加されたこの4ドアセダンは、サーブ初の4ドアモデルだった。エンジンはトライアンフ設計の1.7リッター直4 SOHCを搭載する。この個体はスウェーデン大使館の職員が持ち込んだ本国仕様だそうで、現オーナーの柴田正明さんは13年前から乗っているという。
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美しく仕上げられた1968年「日産スカイライン1500スポーティデラックス」。通称「ハコスカ」と呼ばれる3代目の「スカイライン」の基本モデルである1500の、デビュー年度の最初期型である。旧プリンス設計のG15型直4エンジンは、当時としては高度な設計のSOHCクロスフローで、最高出力は88psだった。ナンバープレートを見ればわかる人にはわかる、というのがハコスカGT-Rも所有するというオーナーのこだわりである。
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「青5」のシングルナンバーを付けた1963年「プリンス・グロリア デラックス」。62年に登場した2代目グロリアは、2リッター直6 SOHCエンジンを搭載した「スーパー6」が有名だが、この個体は1.9リッター直4 OHVを搭載した「デラックス」の希少な初期型。フェンダーミラーとホイールキャップはオリジナルではないが、歩行者をひっかけやすい形状から俗に「殺人ミラー」と呼ばれた純正ミラーより、安全対策上はこのほうがいいだろう。
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1973年「日産フェアレディ240Z-G」を囲む、会長を務める石岡賢一さん(右から2人目)以下、主催者である「クラシックカークラブ青森」のメンバーのみなさん。同クラブは会員数約30名とけっして大きな所帯ではないが、これだけ大がかりなイベントをよく切り盛りしていた。お疲れさまでした。
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「Hero達のツーリング」を終えた7月16日の夕刻には、イベント開催20周年記念企画として、「〜栄光のレーサー〜 高橋国光」と題された講演会が開催された。会場となった黒石市の「津軽伝承工芸館」には、アドバンカラーの「スカイラインGTS」(R32)、「スカイライン2000GT-R」(PGC10)、「ブルーバード1600SSS」(R411)という愛称「クニさん」こと高橋氏にゆかりの3台が展示された。
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講演する高橋国光氏。デビュー戦となった浅間火山レースから、ホンダのワークスライダーとして戦った世界ロードレースGPまでの、二輪時代の話題がほとんどだったが、筆者のようなオールドファンには大いに楽しめた。日本人の海外渡航が自由でなかった1960年代初頭に、20歳になったばかりでいきなり欧米を転戦する立場になった彼が、現地で受けたカルチャーショックがいかに大きかったかを力説していたのが、印象に残った。
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講演会の後はサイン会。「適当にサインしたら、やがて捨てられてしまうかもしれないけど、心を込めてすれば、ずっと取っておいてもらえるかもしれない。だから僕は、いつも心を込めてサインしている」というクニさん。その言葉どおり、列をなした大勢のファンに、1枚1枚丁寧に3色のペンを使い分けてサインしていた。これは彼が現役時代に駆った最後のマシンである「RAYBRIG NSX」用(?)のホイールを持ち込んだコアなファン。