「オートジャンボリー2019」の会場から
2019.07.26 画像・写真2019年7月20日と21日、埼玉県伊奈町にある埼玉自動車大学校で「オートジャンボリー2019」が開かれた。これは自動車整備の専門学校である同校が、教育方針や学生の活動内容の周知を目的に2007年から始めたもので、カーショーと学園祭が合体したようなイベントである。
エンスージアストにとってメインイベントといえる、グラウンドにおけるヒストリックカーの展示は21日のみで、参加資格は原則として1988年以前(昭和時代)に生産された車両とその同型車。エントリーリストによれば、参加台数は学生および学校の所有車両20台を含め280台だった。
ヒストリックカー展示のほかにも、会場では恒例となっている二輪&四輪のスタントショーといったアトラクションをはじめ、地元の警察、消防そして自衛隊の協力による特殊車両の展示。近隣のディーラー、ショップによる新型車および中古車の展示や試乗。ショップの展示や物販から子供向けのプログラムまで、内容は実に盛りだくさん。大勢の来場者が訪れ大盛況だった会場から、ヒストリックカー展示とスタントショーの様子を紹介しよう。
(文と写真=沼田 亨)
-
1/44手前の4台の軽三輪トラック、1962~69年「ダイハツ・ミゼット」をはじめ、今回は軽自動車のエントリーが目についた。
-
2/441968年「スバル・サンバー ロッカー付きトラック」。内外装は天然物(未再生)だが、エンジンとサスペンションはオーバーホール済みという2代目サンバー。ロッカーとは、荷台の下部が観光バスの床下トランクのような貨物スペースになっていることを指す。オーナーいわく、劣化していたヘッドライトを新品に替えたことで、少々変わってしまった表情が残念とのこと。
-
3/442台並んだ「スバル360カスタム」。スバル360ベースの商用バンとして1963年に登場したカスタム。最大積載量250kgとなっているが、リアエンジンのため荷室は浅く、洋品店などが営業車として使うケースが多く見受けられた。
-
4/441983年「スズキ・マイティボーイ」。「スズキのマー坊とでも呼んでくれ」というキャッチコピーを掲げて登場した軽ピックアップ。2代目「セルボ」をベースに、Bピラーから後方をピックアップ化している。
-
5/441957年「トヨペット・クラウン デラックス(RSD)」。1955年に誕生した初代クラウンの高級グレード。ちなみにデビュー時はスタンダード相当のモノグレードで、遅れてこのデラックスが追加された。フロントグリルは、その形状から俗に“ブラジャーグリル”と呼ばれる。
-
6/441967年「トヨタ・カローラ1100 4ドアデラックス」。初代カローラは1966年に2ドアセダンのみでデビューし、翌67年にこの4ドアセダンが加えられた。この個体はホイールキャップを含め、オリジナルの内外装が維持されている。
-
7/442台並んだ1975年「トヨタ・セリカ リフトバック2000GT」。1970年に誕生した初代セリカ(通称ダルマことノッチバッククーペ)に、73年に追加設定されたテールゲートを持つリフトバックのトップグレード。アルミホイールは左が「ハヤシ・ストリート」で、右が「アドバン・ディッシュ」。
-
8/441978年「トヨタ・カリーナ1600ハードトップ」。1977年に世代交代した2代目カリーナの2ドアハードトップ。残存車両は非常に珍しい。
-
9/44これも今となっては珍しい1987年「トヨタ・カムリ プロミネント」。1986年に登場した3代目カムリに追加設定された、2リッターV6エンジンを積んだ高級版。この個体は4ドアセダンだが、遅れて追加された4ドアハードトップが北米向け初代「レクサスES」のベースとなった。
-
10/441982年「トヨタ・チェイサー アバンテ」。4代目「マークII」(X60系)の兄弟車となる2代目チェイサーの、6ライトウィンドウを持つ4ドアセダン。「エンケイ・バハ」のアルミホイールを履いている。
-
11/441987年「トヨタ・チェイサー 4ドアハードトップ アバンテ」。前出のチェイサーの次世代モデル(X70系)のハードトップ。「マークII」「クレスタ」と3兄弟そろって大ヒットしたモデルだ。
-
12/441982年「トヨタ・セリカ クーペ1800GT-TS」。国産初のツインカムターボエンジンを積んだ3代目セリカの「1800GT-T」をベースに、WRC(世界ラリー選手権)のグループBホモロゲーション取得用に200台限定生産されたモデル。整備性を重視してリアサスペンションをセミトレーリングアームの独立から4リンクのリジッドに替え、エンジンはターボ係数1.4を掛けて2500~3000ccクラスに入るよう、ボアを0.5mm広げて排気量を21cc増した1791ccの4T-GTEUを搭載。ボディー関係ではフロントフェンダーがウレタン製となっている。20年ほど前に入手したというオーナーによれば、普通の中古車店で希少車と認識されずに売られていたそうだ。
-
13/441987年「トヨタ・クラウン スタンダード」。「いつかはクラウン」のキャッチフレーズで知られる7代目クラウン セダン(120系)の、タクシー風コスプレ(改造)かと思いきや、LPGエンジンを搭載したホンモノの営業車仕様だった。
-
14/441968年「ダットサン・ブルーバード1600SSSクーペ」。型式名510こと3代目ブルーバードに追加設定された、シリーズ初の2ドアクーペの初期型。新車時からと思われる「多摩5」のシングルナンバー付きで、キャップ付きのスチールホイールも、(下げられていることが多い)車高もオリジナルのままだ。
-
15/441967年「日産グロリア スーパーデラックス」。1966年の日産との合併翌年の67年にデビューした3代目グロリアのトップグレード。カタログや広告におけるメーカー表記は日産になったが、車検証上の車名にはプリンスが残されていた。凝ったフロントグリルのパターン(グレードによって異なる)に、プレミアム志向だったプリンスの意思が反映されている。
-
16/441970年「日産スカイライン2000GT-R」。今年生誕50周年を迎えた、型式名PGC10ことスカイラインGT-Rの最初のモデル。2リッター直6 DOHC 24バルブのS20型エンジンは、量産市販車用としては世界初の4バルブDOHCユニットだった。
-
17/441983年「日産240RS」。先に紹介した「セリカ1800GT-TS」と同様、グループB時代のWRC参戦を目的としたホモロゲーションモデル。オーバーフェンダーなどでモディファイされた3代目「シルビア」(S110)のノッチバッククーペボディーに、2.4リッター直4 DOHC 16バルブのFJ24型エンジンを搭載。ホモロゲーション取得に必要な生産台数200台のうち、左ハンドルが150台、右ハンドルが50台といわれている。
-
18/441973年「日産チェリー クーペ1000デラックス」。初代チェリー クーペでも、付加価値の高い最強グレードの「X-1・R」はイベントで時折見かけるが、このベーシックな1000デラックスは非常に珍しい。しかも装飾付きのスチールホイールを含めオリジナル状態が保たれている。
-
19/441966年「プリンス・グロリア6ワゴン」。名称はワゴンだが、4ナンバーの商用バン。しかしセダンと同じ国産初となる2リッター直6 SOHCエンジンにド・ディオン・リアアクスルを備えた高級コマーシャルカー。内外装とも新車時の状態にレストアされている。
-
20/441987年「日産マキシマ」。日本国内では「ブルーバード マキシマ」として販売された、7代目ブルーバード(U11)のV6エンジン搭載車の北米仕様。国内向けにはない3リッターエンジン(VG30E)を搭載している。マニアが中古を個人輸入したのかと思ったら、新車当時に正規ディーラーの東京日産が20台輸入したうちの1台とのこと。そんな事実があったことを初めて知ったが、オーナーによれば、東京日産はこれを国内仕様の2倍以上の約500万円で売ろうとしたというから驚く。バブル時代ならではの話である。駐留米軍人/軍属用のYナンバーはイベント展示用のダミー。
-
21/441975年「三菱ランサー セレステ1600GSR」。初代「ランサー」をベースにした、テールゲートを持つスペシャルティークーペで、この個体は初期のトップグレード。広告では「妹は20歳。」という、わかったようなわからないようなキャッチコピーを掲げていたが、先日、その広告に出演していた純アリスの訃報が伝えられた。合掌。
-
22/441989年「マツダ・ファミリア カブリオレ」。6代目ファミリアに存在した、歴代唯一となるカブリオレ。1986年に追加設定され、当初は1.5リッターSOHCターボを、この後期型では自然吸気の1.6リッターDOHC 16バルブエンジンを搭載していた。ボディーは「スバル・インプレッサ」用のWRブルーでリペイントされている。
-
23/44会場ではスタッフを務めた学生が選んだ10台のオーナーへのインタビューが行われた。これはフォード製5.7リッターV8を積み、主にアメリカで販売されたイタリアン-アメリカン・スーパースポーツの1972年「デ・トマソ・パンテーラ」。
-
24/44校内のテストコースをパレード走行しながら退場するエントリー車両。お目々パッチリの愛らしい表情は、ローダウンされた1973年「マツダ・ポーターキャブ」。
-
25/441969年「コニー360トラック」。現在は日産系のパワートレインメーカーである愛知機械工業が、かつて製造販売した軽商用車がコニー。AF7という型式名のこれは、1962年からコニーが自社製モデルの生産を終了する70年までつくられた軽トラック/ライトバン。ボンネット型だが、シャシー床下に空冷水平対向2気筒エンジンをミドシップしており、同じシャシーを使った「コニー・ワイド」と名乗るキャブオーバー型も存在した。
-
26/441969年「いすゞ・ベレット1600GTファーストバック」。通称ベレGことベレットGTのルーフをファストバックに改めたモデルだが、商品名は「ファーストバック」。異なるのはルーフラインだけでなく、フロントグリルやテールランプ、前後バンパーなども専用品。
-
27/441972年「ホンダ1300クーペ」。熱烈な空冷エンジンの信奉者だった本田宗一郎肝いりの、DDAC(Duo Dyna Air Cooling system=二重空冷)と称する特殊なエンジンを積んだモデル。抜群の動力性能と水冷エンジン並みの静粛性を誇ったが、複雑な構造のため水冷よりも重くて高コストになってしまった。
-
28/441983年「スバル・レオーネ ハードトップ4WD 1.8RX」。2代目レオーネ末期のスポーツモデルだが、4WDはまだパートタイム式だった。後ろは1993年「スバル・ドミンゴ4WD GX」。軽の「サンバー トライ」をベースにした小型7人乗りワンボックスワゴンだった初代ドミンゴの末期の高級グレードで、1.2リッター直4エンジンとフルタイム4WDを組み合わせている。
-
29/441970年「三菱ジープJ30-A」。ライセンス生産されていた三菱製ジープで最長のホイールベースを持つワゴンモデル。アイボリーとエンジの2トーンカラーは長年にわたるトレードマークとなり、基本的にこの姿のまま初代「パジェロ」登場後の1980年代半ばまでつくられた。
-
30/441972年「日産セドリック2000スーパーデラックス」。1971年に「グロリア」と双子車となって登場した、型式名230こと3代目セドリックの基本となるセダン。ライバルの「トヨタ・クラウン」が、俗にクジラと呼ばれる個性的なスタイリングが裏目に出て自滅したこともあり、セドグロ史上で唯一クラウンにセールスで勝利した世代となった。
-
31/441984年「日産スカイライン ハードトップ2000ターボ インタークーラーRS」。インタークーラー付きターボを装着した2リッター直4 DOHC 16バルブエンジンを積んだ、6代目スカイライン(R30)の最強モデルで、通称ターボC。これを含むRS系の後期モデルは、グリルレスの表情から俗に鉄仮面と呼ばれる。
-
32/441988年「トヨタ・スープラ3.0GTターボA」。初代スープラ(A70)のグループA仕様のホモロゲーションモデルで、500台が限定販売された。エンジンは標準の240psから270psまでチューンされ、サスペンションも固められている。ボディーカラーは黒のみで、ホイールも黒仕上げだった。
-
33/44シグナルカラーをまとった3台の「スズキ・ジムニーSJ30」。1981年に世代交代した2代目ジムニーで、水冷2ストローク3気筒539ccエンジンを搭載。真ん中の赤はリフトアップされている。
-
34/44およそ280台のクラシックカーが並んだ会場風景。手前のモデルは日産がライセンス生産した1954年「オースチンA40サマーセットサルーン」。
-
35/44ショップのコーナーに展示されていた「マシンX」。根強い人気のあるテレビドラマ『西部警察』の撮影に使われたホンモノの劇中車だそうで、ベースカーは1980年「日産スカイライン ハードトップ2000GTターボ」(KHGC211)。通称ジャパンの後期型である。
-
36/44「マシンX」のコックピット。ドライバーズシートはレカロに、ステアリングホイールはナルディのクラシックレザーに交換。助手席は取り払われ、そのスペースは特殊装備で埋まっている。
-
37/44恒例となっているバイクのスタントチーム「ノーリミットジャパン」によるエクストリームショー。バイクの上に直立するこの技は、キリストと呼ばれているとのこと。
-
38/44ヘビー級の「ハーレーダビッドソン・スポーツスター」も軽々と扱い、さまざまな技を披露した。
-
39/44『西部警察』をはじめとする石原プロ作品や『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』の日本ロケシーンなど、数々の映画やテレビドラマでカースタントを演じてきた四輪スタントチーム「チームラッキー」による、これも恒例のカースタントショー。まずは軽トラ「スズキ・キャリイ」による片輪ランデブー走行。
-
40/44今回の「チームラッキー」のメイン車両は、白黒パンダのパトカー仕様の、11代目にして最終世代となった「日産グロリア」(Y34)。軽トラに続いて片輪走行を披露。
-
41/44わずかな助走やちょっとしたきっかけで、ドリフトだろうが空転だろうが、自由自在にクルマを操るスタントドライバーのすご腕に、毎度のことながら感動する。
-
42/44ハイライトは発破(火薬による爆発)を仕込んだTボーンアタック。ジャンプ台を通過した「グロリア」が、11代目「トヨタ・クラウン」を踏み台としてさらに角度をつけ、上空に向かってカタパルトから射出されたように飛び出す。
-
43/44そのまま滑空して……。
-
44/444台並べられた初代「ホンダ・フィット」のサイドに、直角に激突する。これがTボーンクラッシュという名称の由来。もちろんドライバーは、カスリ傷ひとつ負わない。