「横浜ヒストリックカーデイ 8th」の会場から
2019.11.15 画像・写真2019年11月9日、神奈川県横浜市の横浜赤レンガ倉庫イベント広場で「横浜ヒストリックカーデイ 8th」が開かれた。「一日限りの青空展覧会」をうたったこのイベントは、歴史遺産である赤レンガ倉庫を舞台にヒストリックカーを展示することで、その魅力や文化を次世代に伝えたいという思いから、横浜在住の旧車愛好家が2012年に立ち上げた。
参加規定は1974年までに生産された、オリジナルの雰囲気を損なっていない国内外の車両(特認車両あり)。回を重ねるに連れて参加希望が増えているそうで、今回も会場キャパシティーいっぱいのおよそ160台が集まった。主催グループの人脈からBMC系を中心とする英国車が多いのが初回以来の特徴で、今回も60台弱を数えた。残りは各国のモデルが程よいバランスで並んでおり、全体としてはバラエティーに富んだ印象を受ける。毎回設定されているフィーチャーカーは、今回は「オープンカー」だったが、こちらも英国車をはじめ独、伊、仏、米、日のモデルがそろっていた。会場から、リポーターの目に留まった参加車両を紹介しよう。
(文と写真=沼田 亨)
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1/30およそ160台のヒストリックカーがそろった会場風景。
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2/30会場へのアプローチロードを行く1967年「シボレー・コルベット スティングレイ」。C2こと2代目コルベットの最終モデル。
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3/30レーシングスクリーンを装着した通称“ハンドレッド”あるいは“ビッグヒーレー”こと「オースチン・ヒーレー100S」。オーナーとのマッチングがキマっている。
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4/30「トヨタ・パブリカ コンバーチブル」。1963年に初代パブリカに追加されたコンバーチブルの希少な初期型で、しかも新車からの「神5」ナンバー(横浜ナンバー誕生以前の神奈川ナンバー)付き。
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5/301969年「日産フェアレディZ432R」。2リッター直6 DOHC 24バルブのS20型エンジンを積んだ、初代Zデビュー当初のトップグレードである「Z432」。その競技用ベース車両であるライトウェイト版がZ432Rである。薄いボディーパネルやFRP製ボンネット、アクリル製ウィンドウなどを用い、内装も簡素化されている。
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6/301965年「ダットサン・ブルーバード1600SSS」。ブルーバードのスポーティーグレードの名称である“SSS”を最初に冠したモデル。純正キャップ付きのスチールホイールにホワイトリボンタイヤと、オリジナルの姿を守っている。
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7/30新車からの「品5」ナンバー付きの1963年「プリンス・グロリア デラックス」。1962年に、このデラックスのみのモノグレードで登場した2代目グロリアの希少な最初期型。後に追加された「スーパー6」が2リッター直6 SOHCを積んでいたのに対し、初代グロリアから受け継いだ1.9リッター直4 OHVエンジンを搭載。
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8/30日本では希少な「メルセデス・ベンツ300カブリオレD」。1951年に登場した、当時のメルセデスの最上級シリーズである300の、メルセデスでは最後となった4ドアのカブリオレ。エンジンこそ3リッター直6だが、車格では今日のメルセデス・マイバッハに勝るとも劣らない。
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9/30「メルセデス・ベンツ300カブリオレD」の堂々たるリアビュー。ソフトトップのリアクオーター部分にある立派なランドージョイントだけでも、かなりの重量がありそうだ。
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10/30前列には通称“ビッグヒーレー”こと「オースチン・ヒーレー100」や「同3000」、“カニ目”こと「同スプライトMk1」などのオースチン・ヒーレーが並んでいる。
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11/30こちらの前列には1960年代の英国製ライトウェイトスポーツの代表的なモデルである「MGミジェット」と「MGB」などが。
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12/301948年に登場し、直6 DOHCのXKユニットによるハイパフォーマンスで今日へと続くジャガーのスポーツイメージを決定づけた「XK120ロードスター」(写真右)と、その後継モデルとなる「XK150ロードスター」(同左)。
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13/301968年「メルセデス・ベンツ280SL」。「品川3」のシングルナンバーが付いたワンオーナー車。インポーターだったウエスタン自動車(ヤナセ)による正規輸入車で、しかも当時は希少だった右ハンドル仕様である。
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14/301959年「ルノー・カラベル コンバーチブル」。カラベルは北米仕様の名称で、本国名は「フロリード」。リアエンジンの小型セダン「ドーフィン」をベースとするパーソナルカーで、「フォルクスワーゲン・カルマンギア」のライバル。カルマンギア同様、このコンバーチブルとクーペが存在した。
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15/301953年「フォルクスワーゲン・カブリオレ」。マルーンのボディーカラーの色合いといい、リアホイールアーチに履かせたスパッツといい、美しく上品な雰囲気。
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16/302台並んだ「アルファ・ロメオ・スパイダー1300ジュニア」。ボートテールと呼ばれる優美な後ろ姿を持つ初代「ジュリア」ベースのスパイダーの初期型。2台ともキャップ付きのスチールホイールをはじめ、本来の姿を保っている。
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17/301975年「フェラーリ365GT4 BB」(写真右)と1981年「デロリアンDMC-12」(同左)。参加車中、(バブルカーを除くと)2台のみだったミドシップ車。
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18/304台並んだ「フォルクスワーゲン・カルマンギア」。写真左端は「タイプ3」こと「フォルクスワーゲン1500/1600」ベースのモデル。
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19/30「トライアンフ・ドロマイト スプリント」。1965年にデビューしたトライアンフ初のFF車「1300」由来のボディーを持つFRサルーン、ドロマイトに1973年に追加された、2リッター直4 SOHC 16バルブエンジンを積んだスポーツサルーン。ツーリングカーレースでも活躍した。
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20/30「フォード・エスコート1300GT」。1967年にデビューした欧州フォードのエントリーカー、初代エスコートでも2ドアボディーにDOHCエンジンを積んだ「ツインカム」や「RS」などは時折見かけるが、4ドアは珍しい。
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21/30「トヨペット・クラウン デラックス」。1962年にデビューした2代目クラウンの初期型の高級グレード(当時は「スタンダード」とデラックスしかなかったが)。新車以来とおぼしき「栃5」のシングルナンバー付きのトヨグライド(2段AT)仕様で、内外装もオリジナルを保っている。
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22/30「トヨペット・クラウン カスタム」。前出のクラウンの次世代であり、1967年にフルモデルチェンジされた、3代目の乗用ワゴンの初期型。こちらは「横浜5」のシングルナンバー付きのワンオーナー車で、ホイールキャップが装着されていないほかはオリジナル。
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23/30「トヨペット・クラウン カスタム」の後ろ姿。アメリカ車のワゴンによくあった、横開きのテールゲートを持つ。筆者の知る限り、横開きテールゲートを持つ国産の量産乗用ワゴンはこれ1台のみ(商用バンなら存在するが)。折り畳み式のサードシートを備えた8人乗りだが、サードシートは横向きで、これも国産では唯一と思う。
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24/30「トヨペット・コロナ マークIIハードトップ2000GSS」。1972年にデビューした2代目マークIIの、2リッター直4 DOHCエンジンを積んだホットグレード。ライバルだった2代目「日産ローレル」や4代目「日産スカイライン」(ケンメリ)と同様、スタイリングはモパー(クライスラー)のマッスルカーを縮小したような雰囲気だ。
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25/301971年「トヨタ・カローラ1200 2ドアデラックス」。1970年に世代交代した2代目カローラだが、2ドアセダンの残存車両は非常に珍しい。ちなみに日本ではセダンは4ドアが主力だったが、アメリカでは2ドアの人気が高かった。
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26/30日産でライセンス生産された、陸運支局名がなかった時代の「5」で始まる東京ナンバーを付けた1959年「オースチンA50ケンブリッジ」(左)と、その兄貴分である本国版の1955年「同A90ウエストミンスター」。一見ボディーは共通のように見えるが、A90のほうが約20cm長く、5cm幅広い。エンジンはA50が1.5リッター直4で、A90が2.6リッター直6。
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27/30往年の個性的なフランス車、パナールのサルーンが2台並んだ貴重な光景。左は1958年「ディナZ」、右はその後継モデルとなる1963年「PL17b」。ディナZは全長4570mm、全幅1668mmというサイズの、オールアルミ製で軽量かつ空力的なボディーを、わずか845ccの空冷水平対向2気筒エンジンで動かす。PL17bのボディーはスチール製となったが、エンジンは同じフラットツインだった。
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28/30ズラリと並んだクラシックMini。オースチンとモーリスのブランドを冠していた時代の、「Mk1」と「Mk2」が多かった。
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29/30「退屈だなあ……」とでも言いたげなワンちゃん。クルマは「モーリス・ミニ トラベラーMk1」。
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30/30手前から「メッサーシュミットKR200」と「BMWイセッタ300」、そして『クラシックカーフェスティバル in 桐生(後編)』のリポートでも紹介した「ツェンダップ・ヤヌス」という3台のバブルカー。ちなみにヤヌスのオーナー氏は、トヨタ博物館クラシックカーフェスティバル(愛知県)、桐生(群馬県)、そして横浜赤レンガ(神奈川県)と、3週連続でイベント参加。それもひとりで積載車を運転して……お疲れさまです!