旧車イベント「ノスタルジック2デイズ」開催
2011.03.01 画像・写真2011年2月26日、27日、パシフィコ横浜で「ノスタルジック2デイズ」が開かれた。これは旧車専門誌『ノスタルジックヒーロー』および『ハチマルヒーロー』がプロデュースするイベントで、基本形態としては旧車のトレードショー。すなわち実車をはじめ、モデルカーやパーツなどの専門ショップが展示即売を行うというものだ。そのほか誌面を飾った車両の特別展示や往年のワークスドライバーのトークショーなど、旧車、とくに国産旧車好きには堪えられないプログラムが用意されていた。その会場から、リポーターの印象に残ったモデルを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

今回の目玉である特別展示車両より、1978年のジュネーブショーに出展された元祖和製スーパーカーである「童夢 零」。強烈なウェッジシェイプを描くボディは全長3980mm、全幅1770mm、全高980mmとコンパクトで、大柄な人はたぶん乗れない。エンジンは日産製L28(直6SOHC2.8リッター)をミドシップ。運輸省(当時)の型式認定が受けられず市販化は断念したが、スーパーカー少年の間での人気は絶大で、モデルカーは大ヒットした。
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今回の目玉である特別展示車両より、1978年のジュネーブショーに出展された元祖和製スーパーカーである「童夢 零」。強烈なウェッジシェイプを描くボディは全長3980mm、全幅1770mm、全高980mmとコンパクトで、大柄な人はたぶん乗れない。エンジンは日産製L28(直6SOHC2.8リッター)をミドシップ。運輸省(当時)の型式認定が受けられず市販化は断念したが、スーパーカー少年の間での人気は絶大で、モデルカーは大ヒットした。
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「童夢RL81」。「童夢 零」のモデルカー化による版権料を元手に、童夢は1979年から84年まで5年連続でルマンに参戦した。これはその名のとおり81年の第49回に出走したマシンで、3リッター規格時代のF1を支えた名機であるフォード・コスワースDFVを搭載する。戦績は予選20位、決勝リタイアだった。
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「トヨタ2000GT」のエキスパートとして、その世界では知られる「ビンテージカーヨシノ」のブース。いずれも価格は応談だが、現在の相場は2000万円以上というから、こうしたバリものなら3000万円超かもしれない。
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「トヨタ2000GT」を国産旧車番付の西の正横綱とすれば、東の正横綱はこれではないだろうか。直6DOHC24バルブ2リッターのS20型エンジンを搭載した、型式名「KPGC10」こと「日産スカイライン ハードトップ2000GT-R」である。こちらもコンディションによっては1000万円以上のプライスタグがつくという。
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1968年にデビューした、初代「トヨペット・コロナ マークII 1900ハードトップ」(後のトヨタ・マークII)の珍しい初期型。アルミホイールを除いてはオリジナルだが、よく見たらフロントグリル向かって右側エンブレムが欠けていた(細かくてゴメン)。エンジンは直4SOHC1.9リッター。98万円也。
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1971年「いすゞ117クーペEC」。68年から73年まで作られた、いわゆる「ハンドメイド」時代の117クーペだが、「EC」は直4DOHC1.6リッターエンジンに日本で初めて電子制御式インジェクションを装着したモデル。インジェクションはボッシュ製だが、「パーツの入手はほぼ絶望的なので、大事に大事に乗ってもらうしかない」とのこと。
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1970年「マツダ・ルーチェ ロータリークーペ スーパーデラックス」。マツダのロータリーエンジンのなかで、唯一ローター径が大きい「13A」型エンジン(655cc×2)を積んだ、しかも唯一のFF車。クラウンの最高級グレードが120万円前後だった69年に175万円という高価格で発売された高級パーソナルカーで、1972年までに1000台弱が作られた。この個体の価格は288万円。
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「マツダスピード」のルマン初挑戦となった1979年のマシン「マツダRX-7 252i」のレプリカ。オリジナルと同様に初代「サバンナRX-7」(SA22C)のボディを大幅にモディファイし、クーゲルフィッシャー製インジェクションを装着した13B型エンジンを搭載している。79年までのルマン出走車によって争われるフランス本国の「ルマン・クラシック」への出場を目指しているという。
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通称「ハコスカ」こと3代目スカイラインと、型式名「S30」こと初代フェアレディZの専門店で、エンジンスワップなどのアップデートを得意とする「ロッキーオート」の「RB30カーボンZ」。ボディはフロントフェンダー、ボンネット、ドア、テールゲートなどをカーボン製に換え、エンジンは輸出用のRB30(直6SOHC3リッター)に、R32〜34GT-R用のRB26DETT(直6DOHC2.6リッター)のヘッドを載せてツインカム化し、50パイのソレックスを3連装。クラシックとモダンが混在した超スペシャル仕様の価格は1290万円。
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1986年から92年まで作られた、型式名「F31」こと2代目「日産レパード」一筋に21年目を迎えたというマニアックな「カーショップフレンド」。計8台も展示された「F31」のなかには、「インフィニティM30」の名で販売された北米仕様の左ハンドル車もあった。
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通称「ヨタハチ」こと1967年「トヨタ・スポーツ800」。空冷フラットツイン800ccエンジンをはじめ、初代「パブリカ」のメカニカルコンポーネンツを流用したライトウェイトスポーツの傑作だが、この個体は珍しい左ハンドル仕様。出展していた「四ツ葉オート」によれば、新車当時アメリカ領だった沖縄から、オーナーだった米軍人とともに米本土にわたり、里帰りしてきたクルマとか。375万円。
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1973年「ホンダ・ライフ ステップバン スタンダード」。72年に360cc規格時代の軽乗用車である初代「ライフ」をベースに生まれたセミキャブオーバー・バン。右フロントと左リア、左フロントと右リアが共通のドアなど、合理性を追求した設計の商用車だったが、人気が出たのは74年の生産中止後。現在、軽の主流となっているトールワゴンの元祖と見ることもできる。
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佐川急便の飛脚便カラーに塗られた「ダイハツ・ミゼット」。戦後の高度経済成長を支えた、横丁の働き者である軽三輪トラックのベストセラーだが、このカラーリングだと現代の町並みにも違和感なく溶け込めそう? ベースは1962年から72年まで作られた、空冷2ストローク単気筒305cc エンジンを搭載した「MP5」型と思われる。
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特別展示された「サニー・エクセレントTSレーシング」。1973年日本グランプリのツーリングカーレースで、デビューウィンを飾った日産のワークスマシンの同型車である。ノーマルの「L14」型エンジン(直4SOHC1.4リッター)に、DOHC16バルブのワークス謹製スペシャルヘッドを載せた「LZ14」エンジン(1.6リッター)を搭載している。
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「ノスタルジックヒーローの表紙を飾ったクルマたち」コーナーに展示されていた1989年「トヨタ・ソアラ エアロキャビン」。2代目ソアラの最高級グレードである「3000GT」に追加された日本初の電動格納式メタルトップ仕様で、500台が限定生産された。
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「ノスタルジックヒーロー」の読者から公募し、選ばれた車両を展示した「選ばれし10台」のコーナーから、1967年「日野コンテッサ1300S」。「ルノー4CV」のライセンス生産から始まった日野の、最後のリアエンジン乗用車である。オリジナルとは異なる異形ヘッドライトを装着しているが、じつはこれ、コンテッサのフェイスリフト用としてデザインされたものの、マイナーチェンジの計画が流れたために、後に大型バスに流用されたといういわくつきのライトなのだとか。
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「選ばれし10台」から、1981年「三菱ランサー1400GL」。車種を問わず、趣味性の高い上級グレードに比べ、実用的な下位グレードの残存率は低い。79年に登場した「EX」のサブネームが付いた2代目ランサーでも、「ランタボ」ことランサーEXターボはけっこう残っているが、こうした実用グレードは希少な存在。しかもこの個体はフルオリジナルで走行1万6700kmと程度も極上である。
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「選ばれし10台」から、1972年「オペル・レコルト クーペ」。直4SOHC1.9リッターエンジンを積んだ、「ベクトラ」の前の世代のオペルの中級モデルである。オペルは50〜60年代、およびヤナセが輸入元となった90年代は日本でもポピュラーな輸入車銘柄だったが、排ガス規制の影響などで70年代の輸入台数は限られていたため、残存車両は非常に希少だ。
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26日に行われた、元トヨタワークスのドライバーである見崎清志氏(右)と関谷正徳氏(中央)のトークショーより。見崎氏は1960年代のビッグマシン「トヨタ7」で日本グランプリを戦い、映画「ヘアピンサーカス」に主演したこともある人物で、関谷氏は日本人初のルマン優勝ドライバーにして、現チームトムスの監督である。左は進行役を務めたモータージャーナリストの片岡英明氏。27日には日産ワークスOBの高橋国光氏と長谷見昌弘氏のトークショーが行われた。
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去る1月に亡くなった、「スカイラインの父」と呼ばれる名設計者の櫻井眞一郎氏をしのび、急きょ設けられた「櫻井眞一郎 追悼展」コーナーより、彼が手がけたスカイラインの広告を並べた一角。櫻井氏の後を受けてR31、R32スカイラインの開発主管を務めた伊藤修令氏らによる追悼トークショーも行われた。