【F1 2005】第15戦イタリアGP、モントーヤ今季2勝目、史上3度目の全車完走
2005.09.05 自動車ニュース【F1 2005】第15戦イタリアGP、モントーヤ今季2勝目、史上3度目の全車完走
F1世界選手権第15戦イタリアGP決勝が、2005年9月4日、イタリアのモンツァ・サーキット(5.793km)を53周して行われた。
ファン・パブロ・モントーヤ(マクラーレン・メルセデス)が、ポール・トゥ・ウィンを飾り、第11戦イギリスGPに次ぐ今季2勝目をあげた。
速さでマクラーレンに負けるルノー勢だが、手堅くレースをまとめ2-3フィニッシュ。2位フェルナンド・アロンソ、3位ジャンカルロ・フィジケラが表彰台にのぼった。意外だが、フィジケラにとっては優勝した開幕戦以来のポディウムとなる。
キミ・ライコネン(マクラーレン・メルセデス)は、フリー走行時のエンジン交換でポールポジションをチームメイトに譲り、レース中は遅いマシンに抑えられ、タイヤを壊し、スピンをきっし、それでもファステストラップを記録しながら最後は4位でゴールした。チャンピオンを争うアロンソとの点差はさらに3点開いて27点。早ければ次戦ベルギーGPで、アロンソの最年少チャンピオンが決まる。
以下、5位ヤルノ・トゥルーリ、6位ラルフ・シューマッハーとトヨタ2台が得点し、コンストラクターズランキング3位のフェラーリにヒタヒタと迫り、7位にはテスト中のクラッシュで休んだニック・ハイドフェルドの代役アントニオ・ピッツォニア(ウィリアムズBMW)、8位には予選3位からズルズルと後退したジェンソン・バトン(BARホンダ)が入り得点した。
4番グリッドと好位置からスタートした佐藤琢磨(BARホンダ)は、最初のピットインで給油がうまくいかず、翌周やり直して大幅に順位を落とし、最後は16位でチェッカードフラッグを受けた。
20台出走し完走20台。全車がゴールラインを通過した、1961年オランダGP以来となる、F1史上3度目のレースとなった。
■ライコネンの果敢な挑戦
ズバ抜けて速いドライバー/マシンでも、ポールポジションを取れないのがいまのF1レギュレーションである。
土曜フリー走行中、相も変わらずエンジンが不調をきたし、交換を余儀なくされたライコネンは、唯一の1分20秒台で最速タイムを叩き出すも、10グリッド降格で11番グリッドからスタートしなければならなかった。
ポールポジションが僚友モントーヤにわたったのはライコネンにとって不幸中の幸い。モントーヤはスタートからレースをリードし、ポイントリーダー、アロンソに最高得点(=10点)を与えるのを阻みつづけた。
だがライコネンの前にはさらなる障壁が待ち構えていた。まずは序盤ジャック・ヴィルヌーヴ(ザウバー・ペトロナス)に鼻っ面を抑えられグリッド順位(11位)に押し込められた。
前がクリアになり瞬く間にペース&順位をあげるも、レース中盤、左リアタイヤが壊れ緊急ピットイン、5位から12位へ再びドロップ。
鬼気迫る勢いでリカバーし、ファステストラップを記録しながらトゥルーリから4位の座を奪取、表彰台の一角へ向けて周回を重ねるが、今度は縁石に乗り上げた拍子にスピンをきっし、再び5位へ。
それでももう一度トゥルーリを抜き返し、最終的にトップから22.7秒差の4位でゴールした。
何度も訪れる不運を振り払いながら、果敢に挑戦を続けたライコネン。ルノーに2、3位を取られたが、終盤に起きたタイヤトラブルでモントーヤがトップから脱落しなかっただけ、ラッキーだったのかもしれない。
この結果、タイトル争いはアロンソ103点、ライコネン76点となった。24から27点に開いたギャップをもって、残り僅か4戦のシーズンを、ライコネンはどう戦うか、アロンソはどう応戦するか。
次戦はヨーロッパ最終戦ベルギーGP。決勝は9月11日だ。
(webCG 有吉)
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