NISMO FESTIVAL at FUJI SPEEDWAY 2011(前編)
2011.12.09 画像・写真2011年12月4日、静岡県小山町の富士スピードウェイで「NISMO FESTIVAL at FUJI SPEEDWAY 2011」が開かれた。今年で15周年を迎えた日産のモータースポーツファン感謝イベントだが、今回のスローガンは「覇者の走りを、焼きつけよ。」。自信たっぷりのその言葉のとおり、今季はSUPER GTのGT500クラスでGT-Rが全8戦中5勝を挙げ、そのうち「S Road MOLA GT-R」がシリーズチャンピオンを獲得。またFIA GT1世界選手権でもGT-Rが王座に輝き、その強さを日本のみならず世界に向けても証明した、ファンにとって忘れがたい年となった。 そうした1年を締めくくるにふさわしく、今回のNISMO FESTIVALには半世紀を超える日産のモータースポーツ史を彩ったドライバーとマシンが一堂に会した「NISSAN RACING DNA RUN」を筆頭に、例年にも増してスペシャルなプログラムが実施された。
なおフィナーレの際に、2012年12月にNISMO本社が現在の東京・大森から、日産の横浜工場がある横浜・鶴見に移転することが発表され、それに伴い来年はNISMO FESTIVALを休止し、2013年によりパワーアップして再開することがアナウンスされた。
好天に恵まれ、日中は12月とは思えないほどの暖かさのなか、昨年より2割近くも多い3万2000人のファンが集まった会場から、リポーターの印象に残ったマシンとシーンを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)
(後編につづく)

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グランドスタンド裏のイベントエリアに設けられたステージに、全出場ドライバーとチーム監督が顔をそろえた「オープニング」で、開会を告げるNISMOの柿本邦彦総監督。この後、ドライバーを代表して本山哲選手があいさつした。
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「オープニング」に続いてステージに登壇したのは、今季のFIA GT1世界選手権でパートナーのルーカス・ムーア選手とともに「NISSAN GT-R」を駆り、見事シリーズチャンピオンを獲得したミハエル・クルム選手。「2009年から3年計画で始まったプロジェクトの3年目に、ようやく結果が出せた。大好きな『GT-R』の高性能を世界を舞台に証明できてうれしい。日本ではあまり報道されていないレースだが、ネットを通じて声援してくれたファンのみなさんのおかげ」というようなことを、流ちょうな日本語で話した。ちなみに日産車がFIA世界選手権シリーズを制したのは、これが初めて。
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続いて行われた「レジェンドドライバー・トークショー part1」。出席者は左から「Zの柳田」の異名をとった伝説のZ使いであり、今季のGT500で王者となった柳田真孝選手の父である柳田春人氏、ツーリングカーからレーシングスポーツ、トップフォーミュラまでなんでも操った和田孝夫氏、そしてF1ドライバー、チームオーナーとして知られ、日産からはルマンにも出場した鈴木亜久里氏。若き日に資金不足で崖っぷち状態だった鈴木氏が、柳田氏にNISMOを紹介されたおかげでレースが続けられたという話に始まり、さまざまなエピソードが笑いとともに披露されたが、核となった話題は日産在籍時のテストにおける走り込みの量のすごさ、そしてチーム内の上下関係の厳しさ。
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ステージ前に設置された出席者用のモニターと客席に向けた大型のディスプレーには、現役時代のレース映像が流された。1988年の鈴鹿300kmを「スカイラインGTS-R(R31)」で制した和田/鈴木組の姿に、本人たちも思わず「若いね〜」。
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「レジェンドドライバー・トークショー part2」の出席者は、1960〜70年代を中心に活躍したワークスドライバー。左端のロシア帽にファンキーなサングラス姿の一見あやしい人物は、砂子義一氏。ヤマハのワークスライダー出身で、日産と合併する前のプリンス時代に日本初のプロトタイプスポーツである「R380」を駆り、第3回日本グランプリで優勝を飾った。同じくドライバーの砂子塾長(智彦)の父であり、当年とって79歳というから、おそらく存命する元ワークスドライバー中の最年長。隣は高橋国光氏。ホンダのワークスライダー時代に世界GPで優勝、四輪に転向後は50代まで現役で活躍、以後はチーム監督を務めている。その隣は高橋氏のホンダ時代からのチームメイトで、「R381」による第5回日本グランプリ優勝をはじめ高橋氏との二枚看板として活躍した北野 元氏。右端は「トッペイさん」の愛称で親しまれた都平健二氏。二輪のモトクロス出身で、レースはもちろんラリーマシンの開発まで担当した、いぶし銀のようなドライバー。
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日本のレース界では怖い者なしのように思われる星野一義TEAM IMPUL監督が、砂子、高橋、北野、都平の4氏に向かって「先輩方、前を失礼します!」と最敬礼。冗談半分とはいえ、日産チームにおける上下関係を物語る「オープニング」での光景である。そういえば以前にトークショーで、星野監督が「日産に入りたての頃、テストの際に憧れていた大先輩の北野さんから『タバコ買ってきてくれる?』と声をかけられ、それだけですごくうれしかった」と話していたっけ。
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NISMO大森ファクトリーによる、このイベントではすっかりおなじみとなった「エンジン分解デモンストレーション」。今回は「フェアレディZ バージョンNISMO タイプ380RS」用のVQ35HR改3.8リッターをバラしていた。
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ファンにとってNISMOフェスティバルの楽しみのひとつが「お買い物」。オフィシャルグッズショップには午前7時の開場直後から長蛇の列ができていたが、よりコアなファンの狙いは、旧年式のレーシングマシンのパーツなどを放出する「ガレージセール」。GT500用「R35GT-R」のカーボンボンネットが5万円とか、ノーズが3万円などというのは、日産ファンが見ればきっと欲しくなってしまうだろう。なお、お買い上げ商品はお持ち帰りが前提なので、これがお目当てのファンは自慢の「GT-R」や「Z」での来場をあきらめなければならないのである。
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「ガレージセール」に積み上げられたホイール。GT300用SSRホイールがたったの8000円! とはいえ、買ったところで筆者の場合は置き場所に困るだけなのだが……。
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「レーシングカー同乗走行」および「サーキットサファリ&タクシー」に続いて本コースで行われた「GT-Rクラブトラックエディション・エキシビジョンレース」には、7台が参加。続いて「フェアレディZ33/Z34」によるエキシビジョンレース「Z-Challenge」も行われた。
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「スカイラインGT-R」「ブルーバード」「サニー」など、主に1970年代にツーリングカーレースで活躍したマシンで争われる人気プログラム「ヒストリックカー・エキシビジョンレース」。エントリー車両はJCCA(日本クラシックカー協会)主催のクラシックカーレースに参戦している、年式は古くとも現役のマシンが中心で、速さは侮れない。これは型式名「KPGC10」こと初代「スカイライン・ハードトップ2000GT-R」、通称ハコスカ同士のバトル。
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「ブルーバード1600SSSクーペ」(KP510)と「サニー・クーペ1200GX」(B110)のバトル。現役時代はレースよりラリーで活躍した「510ブルーバード」だが、クラシックカーレースでは、4輪独立懸架を備えたシャシー性能と全体的なバランスのよさを武器に上位入賞の常連となっている。当時はエンジ色と呼ばれていたくすんだ赤のボディーカラーは、日産ワークスの「510」に倣ったものだろう。
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ADVANカラーをまとった「B110サニー・クーペ」。「マイナーツーリングレース」と呼ばれていた排気量1.3リッターまでのツーリングカーレースで、大活躍していた日産系の名チューナーである「東名自動車」(現・東名パワード)のマシンのレプリカ。搭載する「A12」エンジンはOHVターンフローという古典的な設計ながら、チューン次第では10000rpm近くまで回り、最終的には1.3リッターから170ps以上を絞り出していたといわれる伝説の名機である。
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型式名「B110」こと2代目「サニー」には、ノーズを伸ばして「ブルーバード」用のSOHC1.4リッターを積んだ「エクセレント・シリーズ」(PB110)が存在した。これはその「エクセレント・クーペ」に、「LZ14」と呼ばれるDOHC16バルブ1.6リッターのレーシングユニットを積んだホンモノのワークスマシン。1973年日本グランプリのツーリングカーレースで北野 元氏が駆って優勝したが、今回は都平健二氏がドライブした。
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2代目「B110サニー」はレースで大活躍したが、続く3代目「B210」は中身こそ基本的に先代と同じだったものの、ボディーは大きく重くなったためにモータースポーツには使われなかった。そのためレースでは公認が切れる1982年まで「B110」が使われ、その後は77年に登場した最後のFRモデルである4代目「B310」に切り替えられた。これはその「B310」同士の、サイド・バイ・サイドのバトル。
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「東名自動車」を設立した名ドライバーにしてチューナーの故・鈴木誠一氏が、それまで常勝を誇っていたカローラ軍団にたった1台で立ち向かい、撃破して「B110サニー」の時代を切り開いたのが、カーナンバー84の「丸善テクニカ・サニー」だった。今回、そのレプリカのステアリングを握ったのは、SUPER GTの前身である全日本GT選手権のGT500クラスで王座に輝いた経験もある影山正美選手。レースでは独走していた「B310サニー」をラストラップで捉え、トップでゴールするという演出をみせた。ちなみに彼がこのマシンでたたき出した富士のベストタイムは1分58秒278。ルマン・ウイニングドライバーの荒 聖治選手による「ロータス2イレブン」のコースレコードより1秒以上速いのだ。
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「ヒストリックカー・エキシビジョンレース」の出走車両が並んだパドックの一角。スタッフとギャラリーで大にぎわい。
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パドックには多くのパーツやオイルメーカー、チューナー、ショップも出店していた。これはMOTULとカルソニックカラーの「スカイラインGTS」を展示していた、「7th(セブンス)」こと「R31スカイライン」専門というマニアックなショップ「R31 HOUSE」のブース。ところでMOTULカラーのマシンって、「R31」の時代にあったっけ? いや、別になくてもいいんだけどね。
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ピットビルの屋上には、日産が座間工場跡にある記念庫に保管している、1957年に誕生した初代「ALSI」型から12代目となる現行「V36」型までの歴代スカイラインが並べられていた。
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レーシング仕様の「スカイライン」も、「R31」の「GTS-R」から「R32」「R33」「R34」の「GT-R」が勢ぞろい。(後編につづく)