必見! イタリアの自動車博物館(その3):トリノ自動車博物館
2019.11.09 画像・写真トリノ自動車博物館(Il Museo Nazionale dell'Automobile)はイタリア自動車産業の中心地、フィアットのお膝元であるトリノの観光名所。頭文字をとってMAUTO(マウト)と呼ばれる。その歴史は古く、起源は1930年代。設立に貢献したのはフィアット創立メンバーでもあったR.ビスカレッティ・ディ・ルッフィアと息子のカルロ。自動車を文化として後世に残すことに早くから情熱を注いだ親子である。数回にわたって場所を変えつつ、1960年代に、かつてサーキットのあったヴァレンティノ公園の近くに移された。一時期は常設展示に頼ったために閑古鳥が鳴いたが、近年のイタリアでのミュージアムブームに後押しされて2011年、大幅にリニューアル、再オープンとなった。リニューアルにあたってはトリノ市やピエモンテ州、イタリア自動車クラブ、フィアットが財政面で援助、これがレベルアップにつながった。
多くの自動車ミュージアムが存在するこの国にあって、MAUTOの特徴は「自動車の歴史」にフォーカスしたところ。クルマが時代の変化とともにどんなふうに変化し、またどのような形で時代の要請に応えたか、そこをじっくり見せる。ここにトリノという欧州自動車産業を支えた街の誇りを感じる。現在はイベントや自動車本記念パーティーも行われることが多く、トリノ自動車人のミーティングポイントにもなっている。常設展示車両台数はイタリアのみならずフランス、ドイツ、アメリカなど9メーカーの200台あまり、シャシー/エンジンは20ほど、カロッツェリア・マップを展示するのはいかにもお膝元のミュージアムだ。それではMAUTOへレッツゴー!
(文=松本 葉/写真=トリノ自動車博物館)
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1/24館内に入って最初に目につくのはこのシーン、「馬車からエンジンへ」。左に見えるのはカロッツァ・ディ・ボルディーノ。製作されたのは1854年、江戸時代後期のことである。馬車を改造、蒸気自動車に仕立てたのは、イタリアでは自動車製作のパイオニアとして知られた軍人、ヴィルジニオ・ボルディーノ。3tの車体は毎時30kgのコークスを燃やしつつ8km/hで走行したという。
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2/24「グレート・ガレージ・オブ・ザ・フューチャー」に並ぶ1800年代終わりから1900年代はじめにかけてのクルマたち。いずれも馬車と自動車のトランジット期を思わせるスタイリング。プジョー(展示車両は「TIPO3」1892年)やフィアット(同「4HP」1899年など)といった現存メーカーのほかに、ダラック、ド・ディオン&ブートン、チェイラーノといった、閉鎖・吸収されたものの自動車業界に大いなる貢献を果たしたメーカーの作品が並ぶ。
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3/24イタリアで巻き起こった、過去の芸術との決別、機械化によってもたらされたスピードをたたえるムーブメント、未来派(フュ―チャリズム)を絡ませた展示「1900年代のメカニカルフィーバー」。キャッチコピーがふるっている。「自動車は『サモトラケのニケ』より美しい」。紀元前に製作された大理石彫刻と比較するあたり、いかにもイタリアの博物館だ。
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4/24スピードが距離を縮めることを知らしめた北京~パリ・ラリーレイドの優勝車「イタラ35/45HP」。初開催となった1907年6月、貴族のS.ボルゲーゼ、メカニックのE.グイッザルディが乗り込み北京からパリまで1万6000kmを走破した。新聞記者のL.バルジーニがリポートしたとされる。車両は7リッターエンジンを搭載、最高出力は45PS。最高速95km/h。花の都に着いたのは出発から2カ月後のことだった。
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5/24欧州において自動車技術を鍛えたのは、庶民の楽しみであるレースと庶民の犠牲の上に成り立った戦争だ。写真は、1911年製作の「フィアット4」。5702cc 4気筒モノブロックエンジン搭載。最高出力53PS/1600rpm。最高速95km/h。車重は1100kg。1918年まで684台が製作された。ミリタリーバージョンも存在し、第1次世界大戦でヴィットリオ・エマニュエルIIが用いたことで知られるという。アメリカでもライセンス生産されたモデル。
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6/24スペースのタイトルは「クレイジーな20/30年代」。右はアメリカの「コードL-29」(1931年)。5279cc 8気筒。スタイリングの特徴は全長の半分を占めるエンジンフードの長さだろうか。左は1906年から1925年まで生産された「ロールス・ロイス40/50HP」、通称“シルバー・ゴースト”。写真は1914年型で、7428cc 6気筒。戦時中、英国軍が使用したもので銃撃戦を生き延びたモデル。
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7/24「自動車は時代、社会、人間の嗜好(しこう)の鏡である」というのがこのスペースのテーマ。タイトルはラグジュアリー。高品質の素材、ハイレベルな手作業、プロジェクトの野望は、時代のイコンとなるような自動車を生み出した。右はこの時代、最も洗練されたスポーツカーを生み出したフランスのドラージュの「AB-8」(1913年)。左はエレガントな「イソッタ・フラスキーニAN 20/30HP」(1909年)。
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8/24ミュージアムは3階建て。見学は上の階から始まる。3階は21のテーマ別展示。2階は8つ。入り口にイベントスペースを備える1階はデザインがテーマになっている。写真からも察せられる通り、時代/社会の動き/トレンドや嗜好と、自動車の変遷を強く意識した展示方法だ。自動車ミュージアムとしては特異なほどアートをふんだんに用いていることもMAUTOの特徴といえる。写真はエアロダイナミクスをテーマにしたスペース。
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9/24タイトルは「イタリアン・レボリューション」。写真は動く彫刻としてMoMAに永久展示される「チシタリア202クーペ」。1948年生まれ。その美しいスタイリングによりイタリアンデザインを世界に知らしめた一台だ。ピニンファリーナの名をとどろかせたモデルであると同時に、存在期間はわずか2年でしかなかったチシタリアの名を永遠に自動車史に残すことになった。
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10/24チシタリアがイタリアのデザイン革命を引き起こしたとすれば、隣国フランスのレボリューショナルモデルは「シトロエンDS19」以外にはないだろう。イタリア人デザイナー、フラミニオ・ベルトーニの手になる前衛的なスタイリングとハイドロニューマチックサスペンションを特徴とするイコンモデル。もちろん駆動方式は“トラクシオン・アヴァン”、前輪駆動だ。車体を持ち上げた展示方法がにくい!
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11/24「ダヴィデとゴリア」というスペースタイトルはイタリア人画家、カラヴァッジョの作品名に由来するが、要は巨人(ゴリア)をアメリカ車にたとえ、イタリア車を巨人に戦いを挑んだダヴィデになぞらえているのだろう。まさに巨人だった時代のアメ車がところせましと57台あまり並べられている。星条旗のなかからぬっと顔(フロントマスク)を出す展示方法も楽しい。
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12/241937年の「パッカード・スーパーエイト1501」。写真のモデルは5261cc直列8気筒エンジンを搭載。車重はなんと2t超え。3段トランスミッションを介しての最高速は120km/h。フロントサスペンションは独立懸架。もちろんパッカードの18番、12気筒エンジンを搭載したスーパーエイトも存在した。
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13/24珍しい一台、「ガズM-20ポベダ」。ロシア(ソ連)で1957年に製作された自動車。ガズ(GAZ:Gorkovska Automobile Zadov)は1932年に設立されたメーカーで、「ヴォルガ(Volga)」や「チャイカ(Cjajka)」を生み出したようだ。勝利を意味するポベダ(Pobeda)はレーニンの足として使われたらしい。アメリカあり、ロシアあり。社会変化のなかで自動車の変遷を見せるというコンセプトが遺憾なく発揮されている。
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14/24「グローバリゼーション」。新興国の台頭、自動車技術の複雑化、肥大する開発費用、製作費用削減、環境問題、エネルギー資源見直し、自動車使用形態の変化――さまざまな要素が生み出した自動車のグローバリゼーション化を語るのは、アートだ。これもMAUTOならではの展示方法。従来の自動車博物館の枠組みを超えたもの。
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15/24「デスティニー」、運命。これもうまいスペースタイトルだ。左は1993年発表の「フィアット・ダウンタウン」。アルミニウムを多用した電気自動車。中央は1987年製作のソーラーカー「フェニックス・イル・ソラーレ」。ボディーはカーボンファイバー製。右は2000年につくられた「フィアット・エコベーシック」。“3リッターで100km走れる”をセリングポイントとした。1200ccの4気筒コモンレール式ディーゼルエンジン搭載。
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16/24写真のアートもまた「デスティニー」の展示の一部。「変わるか、死ぬか。分かれ道に差し掛かった自動車は変わらなければ生存を続けることはできない」。こう記した、オピニオンリーダーともいえるイタリアの日刊紙の記事を引き合いに、自動車の運命を見つめ直そうというのがテーマだ。見つめ直すには120年以上におよぶ自動車の歴史にヒントがあるはず。これがMAUTOのオピニオンである。
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17/24個人的にはこの展示が最も楽しい。MAUTOでなければ見られないもの。トリノの航空写真をフロアに敷き詰め、そこに歴代カロッツェリアの場所を記した。自動車製作の複雑化によってこの街で生まれた多くのカロッツェリアが閉鎖を余儀なくされたが、自動車史のなかで果たした役割は大きい。遠くに見える山はアルプス、手前に「フィアット500」。まさにトリノの象徴だ。
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18/24タイトルは「メタモルフォシス」、変形である。ロボットの導入による自動車工場の変化、および自動車技術の変わり方をまとめてくくった展示。展示車両を見るとテーマの意味が理解できる。大量生産の象徴である「フォード・モデルT」「フォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)」のほか、フィアットにおける前輪駆動搭載のテスト車として、ラジカルな変化へのマーケットの反応をうかがうために誕生した「アウトビアンキ・プリムラ」などが飾られている。
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19/24自動車の持つもうひとつの側面である、危険や道交法、教育、訓練などにフォーカスしたブース。これもまた自動車愛好者、ドライバーが無視してはならないことという視点。クラッシュテストの様子を示す車両(写真)以外で展示されているのは、「フィアット500スポーティング」(1995年)。
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20/24フォーミュラカーがずらりと並ぶスペースは実に華やか。1903年の「フィアット16/20」から始まり、「ブガッティ・タイプ35B」、アスカリの事故死によりランチア最後のマシンとなった「D50」など、モータースポーツ史にその名を刻むマシンが勢ぞろい。実に見応えのある展示だ。写真手前は2001年の「フェラーリF2001」。ミハエル・シューマッハーがステアリングを握り、ドライバーズ/コンストラクターズ双方のタイトルがもたらされた。
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21/24「フォームラ」のスペースに置かれた歴代ドライバーの姿。右端は1903年生まれの、自転車/二輪/四輪のレーサー、ガストーネ・ブリッリ・ペーリ。四輪でのデビューは1920年。一番左はミハエル・シューマッハー。F1で7度チャンピオンに輝いた。並んでいる12人はタツィオ・ヌヴォラーリ、ジョン・サーティース、ジャッキー・スチュワート、ジム・クラーク、アイルトン・セナなど、いずれも伝説を生み出したドライバーたち。
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22/241924年にデビューした「アルファ・ロメオP2」は数々の勝利を手にしたマシン。天才設計者、ヴィットリオ・ヤーノの手になるもの。1925年にはコンストラクターズチャンピオンを獲得した。写真は1930年に製作された、P2の改良版モデル。この年のミッレミリアをヴァルツィのドライビングにより制覇した。それまでの記録をすべて書き換えての勝利だった。
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23/241993年からDTM(ドイツツーリングカー選手権)に参戦したアルファ・ロメオの「155 V6 T1」は、メルセデスと大バトルを繰り広げ最終的にニコラ・ラリーニがチャンピオンの座に輝いた。イタリア中を久しぶりに熱狂させたレースだった。写真のモデルは1996年製。この年からDTMを吸収、1本化されたITC(国際ツーリングカー選手権)参戦モデル。2499ccのV型6気筒エンジンを搭載。最高出力は490PS/1万1900rpm。最高速は300km/h以上。
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24/24カロッツェリアのマップとともに、トリノにある自動車博物館らしさを見せるのは、自動車デザインにまつわる展示があることだろう。カロッツェリア ・ベルトーネを興したジョヴァンニ・ベルトーネや1849年に生まれたミラノのカロッツェリア、カスターニャのカルロ・カスターニャから、現代にいたるまでを網羅した世界のデザイナーリストは、ここでしか見られないものだ。