クラシックカーのタイムラリー「スプレンドーレ榛名」
2012.09.25 画像・写真2012年9月16日、群馬県高崎市にある榛名湖の湖畔駐車場をスタート/ゴール地点として、周辺約50kmを走るクラシックカーのタイムラリー「スプレンドーレ榛名」が開かれた。「スプレンドーレ」は、群馬県渋川市伊香保町にある「伊香保おもちゃと人形自動車博物館」が数年前から開催しているクラシックカーイベントのシリーズで、3月に開かれた「スプレンドーレ東京」は『webCG』でも紹介している。今年は全部で6つのイベントが開催されるが、同じ「スプレンドーレ」を冠していても、イベントごとに参加資格が微妙に異なり、それによってエントリー車両のラインナップも変わってくる。「スプレンドーレ榛名」に関しては、参加資格が1989年までに生産された国内外の車両と幅広いため、参加車両がバラエティーに富んでいるのが特徴。今回も往年のスポーツカーを筆頭に軽から商用バンまで、展示のみの車両を含め200台近くが集まった。その中から印象的だった参加車両を紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

スタートはナンバー順ではなく、ゲート前に並んだ順。一番乗りは1969年「ロータス・ヨーロッパS2」だった。
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スタートはナンバー順ではなく、ゲート前に並んだ順。一番乗りは1969年「ロータス・ヨーロッパS2」だった。
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1979年「イノチェンティ・ミニ120SL」。オリジナル・ミニをライセンス生産していたイタリアのイノチェンティが、ミニをベースに独自のボディーを着せたモデル。デ・トマゾがチューンした「ミニ・デトマゾ」は日本でも一時期見かけたが、120SLは非常に珍しい。なお、これを含むイノチェンティ・ミニはオリジナル・ミニから受け継がれた1リッター/1.3リッター直4エンジンを積んでいたが、82年にダイハツ製1リッター直3に換装される。
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1967年「BMW 1600GT」。ドイツの小メーカーだったグラースを66年に吸収したBMWが、「グラース1300/1700GT」のボディーに「BMW 1600TI」用のエンジンとギアボックス、そしてリアサスペンションを移植し、フロントにキドニーグリルを付けて再登場させたモデル。1年間に1300台弱しか造られず、日本で実動状態にあるものは数台という希少車。
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1955年「ポルシェ356スピードスター」。おわんをふせたような低く丸っこいボディーが魅力的な356のなかで、もっとも軽量でスポーティーなモデルがスピードスター。「カブリオレ」に比べウインドスクリーンの丈が低く、サイドウィンドウもない。言うなれば先代「ボクスター・スパイダー」のルーツのようなモデル。
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1955年「シボレー・ベルエア」。フィフティーズのアメリカ車の鉄板モデルである55〜57年のシボレーのなかでも、とくに人気の高い2ドアセダンのデラックス版。映画『アメリカン・グラフィティ』のラストで、黄色い「デュース・クーペ」とのドラッグレースに敗れクラッシュするモデルが、これと同年式、同タイプの廉価版である「シボレー150」。ちなみにドライバー役は、若き日のハリソン・フォードだった。
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1965年「シボレー・コルベット・スティングレイ」。「スティングレイ」のサブネームが付いた、C2と呼ばれる2代目コルベットのクーペ。サイドマフラーにホワイトリボンタイヤでキメている。C2コルベットは、もう1台白い「ロードスター」が参加していた。
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1982年「トヨタ・スターレット1300S」。KP61の型式名で呼ばれる2代目スターレットの中期型で、この個体は新車からのワンオーナー車。「走り、較べたし。」というキャッチコピーを掲げ、トヨタのワークスラリーチームを率いていた故オベ・アンダーソンが操るテレビCMを、オールドファンならご記憶のはず。
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1966年「プリンス・グロリア・スーパー6」。やや下げられた車高のせいで幅広く見えることも手伝い、知らない人が見たらとても5ナンバー規格に収まっているとは思えないであろう、ゴージャスで風格ある姿の2代目グロリア。見た目はアメリカンだが、中身は日本初の直6SOHCエンジンにド・ディオンのリアアクスルとヨーロッパ的だった。
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1983年「日産グロリア・バン」。型式名Y30と呼ばれる6代目「セドリック」/7代目「グロリア」の4ナンバーの商用バン。Y30は83年にデビュー、ワゴン/バンは99年まで16年間にわたって造り続けられた長寿車だったが、この個体は83年式ということは最初期型で、しかも見たところスタンダード仕様。マニア的見地からは希少車のはず。
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1971年「日産スカイライン・ハードトップ2000GT-R」。サーキットで大活躍、スカイライン伝説の最大の担い手である通称“ハコスカ”こと3代目スカイラインの「ハードトップGT-R」(型式名KPGC10)。この個体はボディーカラーが純正色の赤で、新車以来の「品川55」ナンバー付きという、これまたマニア的見地からはポイントの高い1台。
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1959年「メルセデス・ベンツ190SL」。54年のニューヨークショーで、ガルウイングの「300SL」と同時にデビューした普及版。ルックスは300SLに似ているが、中身は乗用車の180系をベースにしており、性格的にはツーリングスポーツだった。ボディーサイズは今日の「SLK」より少々長く、幅狭い。
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1973年「トヨタ・スプリンター・トレノ」。ファンの間では型式名のTE27あるいはそれを略して“ニイナナ”と呼ばれる初代トレノの中期型。「カローラ・クーペ」のボディーに、ヤマハ発動機が手がけた「セリカ/カリーナ1600GT」用の2T-G型DOHCエンジンを搭載した、「カローラ・レビン」の双子車である。純正色はこのオレンジとダークグリーンの2色のみだった。
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1970年「いすゞ・ベレット1600GTR」。64年に日本で初めてGTの名を冠して登場した、“ベレG”ことベレット1600GTに「117クーペ」用のDOHCエンジンを移植した、ベレット・シリーズのホッテストモデル。ボディーに付いたエンブレムは「GT type R」となっており、「type R」の元祖とも言えるかもしれない。
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1967年「トヨタ2000GT」。現代の「レクサスLFA」のルーツともいうべき、60年代の国産スーパーカー。新車価格238万円は絶対的には高価だったが、当時の「クラウン」の最高級グレードの約2台分でしかなく、開発および生産コストを考えたら大赤字だったはず。ちなみに輸入車では「アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGTV」が245万円、2000GTと同じ2リッター級スポーツカーの「ポルシェ911S」は510万円もしていた。
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1980年「ダットサン・ブルーバード1800SSS」。910の型式名で呼ばれる6代目ブルーバード。傑作といわれる3代目510に回帰したような、直線的でクリーンなフォルムとバランスのとれた内容が評価され、小型車市場において日産としては久々のベストセラーとなった成功作。イメージキャラクターに起用された全盛期の沢田研二が、「ブルーバード、お前の時代だ」とテレビCMで囁(ささや)いていた。
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1954年「オースチン・ヒーレー100 BN1」。MGやトライアンフTRよりパワフルだが、ジャガーよりは扱いやすいところが魅力なのか、このところ日本のクラシックイベントでよく見かける通称「ハンドレッド」ことオースチン・ヒーレー100。この個体はツートンカラーのボディーに、ストーンガード付きのヘッドライト、オーバーライダーのみ残したバンパーで、ちょっぴりコンペティションムード。
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1973年「トライアンフTR6」。「TR(トライアンフ・ロードスター)」シリーズでも、ミケロッティの手になる独特の寄り目スタイルの「TR4」はこの種のイベントの常連で、クラシックな「TR3」も時折見かけるが、TR6は珍しい。TR4以来のボディーをドイツのカルマンによって前後を中心にフェイスリフト、「TR5」と同じ直6OHV2.5リッターエンジンを積んでいる。
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1983年「アウディ・スポーツクワトロ」。ノーマルのクワトロのホイールベースを320mmも短縮したシャシーにブリスターフェンダーで武装したボディーを載せ、300psを発生する2.1リッター直列5気筒DOHCのターボエンジンを積んだラリー用ホモロゲーションモデル。グループB規定を満たすため、200台限定生産されたうちの1台という希少車である。
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1959年「フィアット500」。戦前デビューの通称“トッポリーノ”こと初代500に対して、「ヌオーバ500」(新500)と呼ばれる2代目の初期型。フロントのウインカーがフェンダー上部、ほとんどサイドマーカーランプの位置にあるのが特徴で、以降のモデルに比べよりトボけた感じの表情が愛らしい。空冷2気筒エンジンは、オリジナルのままなら479cc、15psしかない。出走車両のなかでもっとも非力(「スバル360」よりも)かも。
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1974年「フィアットX1/9」。大衆車である「フィアット128」のエンジン横置きFFのパワートレインを、そのまま運転席の背後に移設するという画期的な手法で作られたライトウェイト・ミドシップスポーツ。スタイリングはマルチェロ・ガンディーニが手掛けている。この個体は日本に正規輸入された最初のロットのうちの1台で、しかも新車以来のワンオーナー車である。
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1967年「ボルボ123GT」。56年の発売当初は正式名称だった「アマゾン」の名で知られるモデル。「123GT」はシリーズ中もっともスポーティーなグレードで、2ドアボディーにスポーツクーペの「P1800」と同じツインキャブ仕様の直4OHV1.8リッターを搭載、フォグランプやタコメーターなどを標準で備える。ラリーでも活躍した。
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1983年「ホンダ・シティ・ターボII」。ブリスターフェンダーや張り出したサイドステップなどで迫力を増したボディーに、空冷インタークーラーターボを備えた直4SOHC1.2リッターエンジンを搭載、「ブルドッグ」の愛称で呼ばれたベビーギャング。この個体はレーシングストライプでさらにスポーティーに装っている。
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1988年「日産フェアレディZ 2by2 300ZX」。年式からいって一般的なクラシックイベントには出場できないため、見かける機会の少ない型式名Z31こと3代目フェアレディZの、中でもさらに少数派であろう2by2(2+2)仕様。エンジンはこの代から直6に代わって採用されたV6の3リッター・ターボ。
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1983年「日産サニー」。81年にFFに転換して登場した、型式名B11こと5代目サニーの、どノーマルの白いセダン。広い世の中、大事に乗り続けている人はほかにもいるだろうが、年式に加えてキャラクターからいっても、およそイベントとは縁のないモデル。ある意味非常に希少である。
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1972年「トヨタ・クラウン2600ハードトップ・スーパーサルーン」。スピンドルシェイプと称する、初代「セリカ」にも通じる個性的なスタイリングを導入したのが裏目に出て、セールス的には失敗作に終わった4代目クラウン。この個体はパーソナルな雰囲気の2ドアハードトップボディーに2.6リッターエンジンを搭載、当時は禁止税的に税金が高かった3ナンバーの最高級仕様。そのルックスから、通称クジラと呼ばれる。