軽自動車の耐久レース「K4-GP 富士1000km耐久」(後編)
2012.08.24 画像・写真2012年8月14日、静岡県小山町の富士スピードウェイで、お盆の恒例となっている軽自動車による真夏の祭典「K4-GP 富士1000km耐久」が開かれた。「K4-GP」は2001年から始まった軽自動車による耐久レースで、毎年8月に富士スピードウェイ、そして2月には富士とマレーシアのセパン・サーキットで1年ごと交互に開催されている。参加資格は基本的に軽自動車および軽規格のエンジンを使ったマシンで、燃費制限があるのが特徴。使用可能な燃料量は年々少なくなり、クラスによって多少の多寡はあるものの、今回は最大で95リッター、最小で75リッターに制限された。つまり75リッターで1000kmを走りきろうとすると、リッターあたり13km以上をキープしなければならないのだ。軽が主体のため敷居が低く、また往年のレーシングマシンのレプリカなどユニークなマシンが数多く参加するため、楽しく、和やかな雰囲気のレースではあるが、実際には高度な戦略と技量が必要とされる、とても知的なエコランゲームでもあるわけだ。今年は雨と霧という、富士スピードウェイならではの天候に恵まれ(?)、例年にも増してドラマチックな展開を見せた「K4-GP 富士1000km耐久」。142台ものマシンが出走したレースから、印象的だったマシンとシーンを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)
→軽自動車の耐久レース「K4-GP 富士1000km耐久」(前編)はこちら

スタートから約2時間を経過した、43周目のメインストレート。水煙でちょっぴり幻想的な雰囲気(?)。
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スタートから約2時間を経過した、43周目のメインストレート。水煙でちょっぴり幻想的な雰囲気(?)。
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正午を過ぎてようやく雨がやみ、乾き始めたヘアピンを行く、レナウンチャージカラーをまとった「TWR-AZ1-零号」。
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接触の痕が痛々しい初代「ホンダ・トゥデイ」、じゃなくて「ルノー・トゥインゴ」。
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ブリスターフェンダーと巨大な羽根で武装した「Hara Cars EA11R」。「EA11R」は、「スズキ・カプチーノ」の型式名である。
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「ザウビーアルファ・BMW-R」。なんとなくクラシックな顔つきのマシン。なぜBMWかといえば、「BMW R100」(二輪)用の空冷フラットツインを積んでいるから。低音の利いたエグゾーストノートを響かせていた。
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シルバーをベースにマルティニ・カラーをまとった「ポルシェ908/3」風の「VIVA908Jr.」。シャシーは「ザウルスJr.」という。
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クモの巣模様が描かれた、接触の痕跡もある「有限会社コーユー・セルボSP」。90年代の「スズキ・セルボ・モード」で、パッと見にはどうってことのない軽に見えるが、実は総合優勝を勝ち取ったのがこのマシン。平均速度は98.536kmだった。
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「工房名岐S600MINT-R」。「ザウルスJr.」のシャシーに通称「エスロク」こと「ホンダS600」風のFRPボディーをかぶせたマシン。ミドシップされたエンジンはホンモノの「S600」用である。
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1976、77、81年とルマンで3回勝っている「ポルシェ936」風の「IMAGE nsj 936」。シャシーは「ザウルスJr.」である。
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「アルファ・ロメオ・オーナーズクラブ三河」(AROC Mikawa)がエントリーした2代目「ホンダ・トゥデイ」。ノーズに描かれたアルファのエンブレムと盾がかわいい。
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「二台目ちゃり」と名付けられた「ダイハツ・エッセ」。ローダウンしたことで、台形のフォルムがいっそう目立っていた。
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往年のレーシングマシンのレプリカ、大幅なモディファイや派手なカラーリングが施されたマシンのみならず、こうした普通の軽も走っていた。左上から時計回りに、街中ではめっきり見かけなくなった4代目「スズキ・アルト」、カーナンバーとステッカーを貼っただけの地味っぷりが潔い2代目「スバル・プレオ」、希少な三菱車だった8代目「三菱ミニカ」、そしてナンバー付きの初代「ダイハツ・ミラジーノ」。
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一見したところシャコタンの「スバル・ヴィヴィオ」だが、中身はミドシップのレーシングカーという「広モちゃんVIVIO-R」。いわばシルエット・フォーミュラである。
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「マッドハウス」製の「マッド23AT」。「スバル・サンバー」のシャシーに「ロータス23」を模したボディーを載せたマシンで、その名のとおりトランスミッションはAT。
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通称「カニ目」こと「オースチン・ヒーレー・スプライトMk1」風のミドシップレーサー。ロードクリアランスが小さいこと!
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1970年代初頭に「グラチャン」こと「富士グランチャンピオン・レース」で活躍した「シェブロンB19」を模した「シェブロンBB19」。シャシーは「ザウルスJr.」。
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「富士グラチャン」の復活をもくろんで、2002年から06年まで開催された「GC-21」用のワンメイクマシン。F3用シャシーに、由良拓也氏率いるムーンクラフト製のカウルを載せている。
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スタートから10時間、午後6時でレースはフィニッシュ。217ラップ、距離にして約990kmで、今回は天候の影響もあって1000kmには届かなかった。トップを走っていた「有限会社コーユー・セルボSP」が、午後6時のわずか2秒前にスタート/フィニッシュラインを越えてしまったため、レースは1周多くなった。そのためガス欠を起こしたマシンがグリーンゾーンに止まっている。目まぐるしく変化した天候にもかかわらず、大きなアクシデントもなく、もちろん赤旗中断もなく、レースが滞りなく終了したのは何より。これも主催者と参加者、双方のキャリアに負う部分が大きいことだろう。
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午後7時を回り、メインストレートでの表彰式も終わりに近づいた頃には、あたりはどっぷりと暮れている。なお、すでにマレーシアのセパン・サーキットで24時間耐久レースを実現しているマッドハウス代表の杉山哲氏は、2015年までに富士での24時間耐久開催を目指しているという。
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フィナーレは、チームスタッフがマシンに乗れるだけ乗り込んでコースを1周パレード。なかにはあらかじめ電飾を用意してきた準備のいいチームも。 →軽自動車の耐久レース「K4-GP 富士1000km耐久」(前編)はこちら